夏色のフォリア   Z  

 四月になって、変わったことが一つあった。
 それまで副部長をしていた新3年の先輩が、家の事情で転校してしまい、代わりに副部長を指
名されたのはまだ2年の手塚であった。
 部長の提案だったが、レギュラーを始め他の部員の反対もなく、手塚は副部長を務めることになっ
た。
 その頃には既に団体戦のシングルス1は手塚であったから、それも不自然なことではない。そし
て部長と共にテニス部全体を意識して見るようになったことで、手塚自身も部に対する気構えが変
わってきているように見えた。
 そして都大会を控えた、四月のランキング戦。
 不二の試合を見ていた手塚が、コートから出てきた不二に声を掛けた。
「不二・・・・手を抜いてるのか?」
 一瞬虚を突かれた不二は、その言葉を頭の中で受け止めながら、手塚を見上げた。
「何で・・・・?そんなことはないよ」
 勝った試合で、何故そんなことを言われなければならないのか。不二は苛立ちを抑えて、手塚の
横を通り過ぎようとした。
「お前ならもっと・・・・出来るはずだ。何故本気を出さない」
 掛けられた言葉に、不二はカッとなって顔を上げる。
「何で君にそんなこと言われなきゃならないんだ?僕は、こんなもんだよ・・・・どんなに頑張ったって、
君には敵わないんだ!」
 声を荒げた不二に、周りの目が一斉に集まり、手塚はわずかに目を見開いて、手のひらを向ける。
「違う、そんなことを言いたいんじゃなくて・・・・」
「だってそうじゃないか!僕が本気じゃないなんて、どうして君に言えるんだ?」
 不二は、突然大きな声を上げた自分自身に驚いていた。何が切っ掛けで、こんなに感情を爆発さ
せてしまったのか、自分でも全く判らない。
 ただ、もう引き返すことは出来ず、手塚に言葉をぶつけていた。
 そうだ、本当はいつも思っていた。敵わない自分、そして、その能力の差をまざまざと見せつける手
塚の存在――――
「そこ!何をもめてるんだっ・・・・手塚、不二、グラウンド10周してこい!」
 騒ぎに気付いた部長が駆けつけて、不二と手塚はそのままグラウンドのランニングへと向かわされ
た。
 先を走る手塚の背を見ながら、不二は思う。
 敵わないことが理由なんじゃない。それを気にしているのが、自分だけだから悔しかったのだ。
 それに、不二自身でも気付いていた。手を抜きたくて抜いたわけではないが、力の差の歴然として
いる相手には、どうしても100パーセントの力で向かい続けることが出来ないのだ。
 頭のどこかで、このくらいでいいかと、すぐに見極めてしまう。それで少々巻き返されることがあって
も、結果として勝てていれば、それでいいと思っていた。
 どうせ、校内の部活動なのだから、と――――その驕りを、手塚に見透かされて、尚更腹を立てた
のだ。否、図星を差されて、うろたえた自分を誤魔化そうとして言い返しただけなのだ。
 そして、悔しいと思う心の在り処は、自分でも理解の出来ない奥深く隠された所にあった。それに気
付くのは、それから後のこと。
 その日の部活が終わってから、手塚は部室で不二に声を掛けてきた。
「不二・・・・話があるんだが、いいか?」
「いいけど・・・・ここで?」
「いや・・・・出来れば外で」
「帰りながらでいい?駅まで行くだろ、君も」
 不二の提案に、手塚も頷いた。不二が身支度を整えている間、手塚は部長に部室の鍵を預けてい
るようだった。
 部室を出て、校門までの道を並んで歩く。この一年、二人の身長差は開く一方で、不二がちらりと
横に目をやると、テニスバッグを肩に掛けて肩紐を掴む手がまず目に入る。
 もう見限られてしまったかな、と思うと、頭の中に暗いもやがかかったように感じる。手を伸ばせば
触れる距離にあるその手が、見えない遠くへ離れていくかも知れないと、怖れる自分の心が悲しい
とさえ思った。
 人通りの少ない歩道を歩きながら、やがて手塚は少し聞き取りにくい低い声で不二の名を呼んだ。
「・・・・俺は不二に、期待してるんだ・・・・だからつい、あれこれ要求してしまって・・・・迷惑だったよな」
 思いがけない謝罪の言葉に、不二は一瞬言われた内容を掴み損ねて、マジマジと手塚の顔を見上
げてしまった。
「え、違うよ、迷惑とかそんなんじゃない・・・・僕が君を判らないのと同じように、君だって僕のこと判っ
てないだけだ」
「そうなのか?じゃあ、判るようにすればいい。言いたいことがあるなら、言えばいいだろう」
 事も無げにそう言う手塚に、不二は思わず笑ってしまう。
「簡単に言うね、手塚・・・・そんな風に、何でも言えたら苦労はしないよ」
 後半には自嘲の笑みになり、不二は小さくため息をついた。
 駅が近付いて、歩道橋を渡る。歩み続けていた足をふと止めて、不二は眼下の道を通る車に視線
を落とした。
 立ち止まった不二に気付き、手塚も振り返る。
「手塚は・・・・僕のこと、もうあきれて付き合えないと思ったんじゃないの?君に期待してもらっても、
応えられないかも知れないよ・・・・」
 本当は、絶対に言えないと思っていた言葉だった。自分をさらけ出して尚、受け入れてもらえるなら
ば、きっと自分にとって手塚は、今よりももっと特別な存在になってしまうだろう。
 不二の言葉を否定するように首を振る手塚に、不二はゆっくりと顔を上げた。
「でも、君が期待してくれてたのは、嬉しい・・・・もっと、一緒に居られたら嬉しいって、思ってる・・・・」
「これからも、一緒にいてくれるんだろう?・・・・」
 強張っていた頬を解くように、精一杯の微笑みを向ける。その笑みに、手塚がそっと応えた表情を、
不二はきっといつまでも忘れないと思った。


          ◇  ◆  ◇



 三年が引退し、満場一致で手塚が部長に選ばれた時、副部長を誰にするかで、レギュラー陣は
しばらく揉めた。
 二年生の中で、実力で言えばナンバー2は疑うまでもなく不二であった。誰もが副部長は不二が
なるべきだと推す中、不二は自分よりも大石の方が適任だと言って辞退したのだ。
 はっきりと理由を言わない不二に、周囲はなかなか納得しなかった。しかし、他でもない手塚が
その意見を受け入れ、副部長に大石を推したことで、ようやく決着を見たのだった。
 それまで、同じ二年のレギュラーであっても、手塚を挟んで対極に位置した大石とは、あまり会話
をしたこともなかったのだが、この時初めて、大石の方から話し掛けてきた。
「俺はやっぱり、副部長は不二の方が良いと思っているんだけど、どうして不二は辞退したんだ?
良ければ、教えてくれないか」
 人当たりが良く、気配りの細やかな大石が、常に無く硬い表情で声を掛けてきたのに、不二は内
心申し訳なく思いながら答えた。
「僕ってホラ、マイペースだから。サポート役とか、上手く出来そうにないと思ったんだよね。それに、
手塚のフォローが出来るのは、やっぱり大石だと思うよ。部の為を思えば、僕より君の方が向いて
るって」
 にっこりと微笑みながらそう言うと、大石も幾らか納得したようで、それ以上訊いてくることはなかっ
た。
 本当の所は、手塚にすら明かしてはいない。
 部長・副部長の間柄に縛られてしまえば、確かに普段一緒に行動することは増えるだろう。しか
し、副部長だから近くにいる、というのは何だか違うような気がした。
 自分はつくづく、自己顕示欲が強いのだなと、不二は我ながら呆れる。自分と手塚の関係が、何が
しかの繋がりを必要とするものではなく、他に二つとないものだと思い込みたかったのかも知れない。
 事実、部活以外では当たり前のようにいつも行動を共にしていたし、手塚も友人達の中では不二
を一番近くに置いているようだった。
 それから更に、二人の関係が変化してゆく切っ掛けは、あるいは手塚の側にあったのかも知れな
い。






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03.04.02.  波崎とんび

しばらく原稿(続き)に専念するので、その前にUP。
後からあとから、書きたいシーンが増えて行くってどうなんでしょう。