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 雄一郎の麻酔がさめる頃、そろそろ意識が戻る頃だからと、ICUの中に入る許可
が出た。消毒を済ませ、計器や点滴にかこまれたベッドに歩み寄る。
 蒼白い顔を見ると、一層とめどもなく涙があふれ出た。もう限界だったのだ、何もか
も。自分が18年間かぶり続けてきた親友、あるいは義兄という仮面が、足下でこな
ごなに砕け散っているのを知る。
 目を開いた彼に投げ付けた言葉は、まさに祐介自身の自我主義(エゴイズム)から
出たものだった。
「君は俺を何だと思っていたのだ。俺を置いて死ぬつもりだったのか」
 こんな風に彼を突き放したのは、初めてだったろう。否、自分が彼に捨てられたの
だと、祐介は思った。
 いつ訪れても不思議ではなかった、訣別の時がきただけなのだ。
───それでも俺は、雄一郎を愛しているのだ。だからもう、会うことは出来ない───


 そうしておそらくは、自分の想いを知った雄一郎には、二度と顔を見せられないだ
ろうと思っていたのだ。それなのに。
 クリスマスを2日後に控えたその日、夜自宅に帰ると、宅配便が届いていた。差出
人の名を見てまず、何故、と思う。急に跳ね上がる脈拍に、息苦しささえ覚える。
 部屋に入り、まず食卓に包みを置いた。手荷物を片付け、コートを脱ぎ、ネクタイを
外し、スーツをハンガーにかけて、風呂を沸かしに行く。
 日常の行動の中で、ようやく少し心臓も落ち着いてきたようだ。それでも最大の勇
気をふり絞って、包みに向き合った。
 想像した通りのゴルフボールに少し微笑んで、それでも力の入らない指先で、便せ
んを開く。短い手紙に目を落とし、その文面を何度もたどった。カレンダーに目をやっ
て、イブが明日であることを確かめる。
───君という奴は、俺に考える時間を一日しかくれないのか───
 会いたいと言われてすんなりと会える程、気持ちの整理はついていない。嬉しいと思
う気持ちももちろんあるが、恐れる気持ちの方がそれを上回っていた。
 雄一郎もまた、こんな胸の痛みを感じているのだろうか。


 昨晩はあれから、なかなか寝付けなかった。昼休みに少し横にはなったものの、た
まった疲れと寝不足は簡単に解消出来るものではなかった。
それでも、気持ちは焦りを覚えて妙に興奮をしており、電車に揺られながら暗い地下
鉄の車窓を眺めていても、眠気はやってこなかった。
 いつもの車両で、いつもと同じように乗換えをし、それまで何度も迷ってきた事に、一
応のけりをつける。
 今からでも、蒲田へ向かえば、ミサには間に合わずとも雄一郎と会うことは出来たと
思う。家へ訪ねることも出来る。それをしなかった理由は色々あったが、何よりも手紙
を読んでも電話すら出来ない自分の精神状態に問題があった。
 今会ってしまっては、自分がどうなるか判らなかった。そして雄一郎が自分に何と言
うのか、聞くのが怖かった。
 駅からの道をゆっくりと歩きながら、祐介はともすれば堂々巡りになってしまう想いを、
断ち切ろうとしていた。
 途中店に寄りながら、食料やちょっとした物を買い込む。街はどこもクリスマス一色で、
まるで自分が異邦人になったかのような気分になる。
 今はただ、自宅へ戻り、今日はもう早く寝てしまおうと思った。


 突然の呼び鈴の音に、祐介はドキリとして立ち尽くした。間を置いて再び鳴るのに、ま
さかという思いで覗き穴から外を窺う。
「祐介、おるんやろ。あけてくれ」
 胸が締め付けられるように痛い。それは雄一郎の声が、意外な程に優しく、暖かいも
のであったからなのか。
「祐介、・・・頼むから」
 何度か呼吸を繰り返す間の逡巡からようやく抜け出して、祐介はドアの鍵をあけた。
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