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 双眼鏡から顔を上げ、肉眼で見詰める。見詰めようとして、凱は体の中が不思議な感覚に揺れ動
くのを感じた。やがて星々の輝きが消え、月も見えなくなってゆく。
 ダメだ、立っていられない――――体の感覚がすべて遠退いて、凱は手すりに掴まりながら膝を
ついた。秋亜人の声が遠くで聞こえる。
 双眼鏡は無事だろうか・・・そんなことを考えながら自分を包み込む闇が去るのを待った。
 秋亜人の方は大慌てである。いきなり体中から力の抜けてしまった凱をやっとのことで支え、(同
時に双眼鏡も死守していた)どうしたものかと思考を巡らせ、とりあえず部屋の中へ引きずるように
して運び込んだ。
「凱!?・・・大丈夫か、凱っ、なぁ凱ぃ〜、悪い冗談やめてくれよ・・・・」
 なかなか目を開かない凱に、ますます不安がつのる。
「・・・・ごめん、秋亜人、たいしたことないよ・・・・」
 ようやく目を開けた凱は、秋亜人の腕に支えられて身を起こすと、照れ臭そうに笑った。
「ただの貧血。最近じゃめずらしいけどね」
 ベッドに背中をもたれ掛けさせ、凱は小さく溜め息をもらした。
「大分・・・・気分悪いか?」
 秋亜人が恐る恐る問い掛ける。
「ううん、少し休めば平気だと思う。ホントに、大丈夫だから・・・・」
「でも・・・・何か無理に飲ませちまったみたいで、・・・・ごめんな」
「いいんだ、一度は飲んでみたいと思ってたし・・・・でも情けないよな、ちょっとビール飲んだくらい
で・・・・」
「そんなこと・・・・俺、水持ってくるから」
「あ、ごめん・・・・」
 立ち上がる秋亜人を目で追って、部屋を出るまで見送ると、凱は再び小さく溜め息をついた。
 貧血の症状はどうにか収まったものの、アルコールの抜け切らない体はまだだるく、どこかが脈打
つのが感じられる。体が熱い為か、少し寒気もしていた。
「凱?これ」
 戻ってきた秋亜人の差し出したコップを受け取り、凱は素直にそれを飲み干した。
「ありがとう。大分楽になったよ」
「そうか・・・・なぁ、テレビつけてもいい?もう10時だろ」
 いつも見ているニュース番組があるのを思い出し、凱は頷いた。
 凱の部屋の小さなテレビの画面に、半分近く欠けた月が映し出される。丁度その番組でも中継して
いたのだ。
「やっぱテレビカメラの方が良く見えるなぁ」
 凱の隣に腰を下ろして、秋亜人は言った。
「うん、でも生で見た方が綺麗だと思うよ」
「そうだな。光が違うもんな。・・・・考えてみたらさ、凱って昔、よく貧血とか起こしてたんだよな。最近
はそんなことなかったから、俺忘れてたけど・・・・」
 凱の方に顔を向けると、テレビをぼんやりと眺めている凱の横顔を見る。少し遅れて、凱も秋亜人に
顔を向けた。
「凱さ・・・・俺なんかよりずっと、強くなったって・・・・俺は昔とそんな変わってなくて、凱は凄く昔と比
べて強くなったなって、思ったんだ」
 秋亜人は凱から目を逸らして言った。どんな顔をして良いのか、判らずに困惑しているようであった。
「でもそれは、秋亜人が居たからだよ。秋亜人が居てくれたから、強くなれたんだって、僕は思うよ」
 再び凱を見る。まだ先程の余韻でほんのりと赤く、瞳は少し潤んで見える。嬉しそうに微笑む凱に、
秋亜人もつられて破顔した。
「そうかな。・・・・そうだよな。二人で強くなるんだもんな」
 秋亜人は照れ臭そうに頭を掻いた。そして凱の肩に手をかけ、もたれ掛かるように首を傾けた。
 自分も酔いが回ったのかと思うほど、ぐらぐらと体が揺れるようだった。たまらなく嬉しくて、こうしてい
るのが心地好くて、めまいがするほどなのだと気付く。
 凱が居なかったら・・・・凱と出会えなかったなら、きっと自分は本当に強くはなれなかっただろう。強
くなることを、知らずにいただろう。いつもなら凱と共に居る意味も何も考えずにいる彼も、やはり凱と
巡り会えた自分の幸運を思わずにいられない。
 凱の肩の上にある秋亜人の頭に、凱もそっと自分のそれを寄り掛からせる。