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V. Lasciatemi morire! / 2 
 沼田司令とのやり取りを聞くうちに、深町が考えていた脱出方法が知らされる。無茶だ、と皆
が思っただろう。しかし明確に、他に残された道がないことを、速水達は悟っていた。
 交信が終わり、『はるな』からの探信音が『たつなみ』を叩いた。いつもは耳障りで身の竦むよ
うなその音も、今は頼もしい命綱のように感じられる。
 そして、速水は張り詰めていた気が、ふと緩むように息をついた。
 こんなことを考えるべきではないのだと知りつつ、それでも、ここで今死ぬようなことになって
も、自分は思い残すことがないように思われたのだ。
 その理由が、目の前にある背中だと自覚している。いつ死んでもいいと思わせるその人が、絶
対に死を覚悟してはいないと判っていても。
 自分だけが、大切な人が陸に待っているのではなく、ここに共に在るということに、罪悪感のよ
うなものすら覚える。
 ふいに、深町が振り返った。視線が合い、速水はその眼光の鋭さに息苦しいものを感じた。何
もかも見透かされるようで、たまらずに眼を逸らす。
 冷たい海水の中で、手に何かが触れた。それは速水の掌を探るように確かめると、ゆっくりと、
そして力強く握り締める。その指を握り返しながら、速水は再び深町を見つめた。
 深町はその視線を受け止めると、発令所の中を見渡しながら、その場にいる全員に宣言するよ
うに言い渡した。
「大丈夫だ、皆を死なせるような真似はせん!」
 そして、再び速水を見つめ、笑った。
 速水は、それだけでもう何もかも忘れて、ただここで今自分が生きていることだけが重要に思
えて、深町に応えるために微笑んだ。


「速水! 負傷者救助にあたれ」
「ハ!」
 気を失っている平沼2曹を、抱え上げる。深町がバラスト盤にかじりつくのを横目に、平沼を対
勢掃討盤の上に上体だけ横たわらせ、応急処置を施す。その時、目眩のような感覚で、艦体が
揺れるのを感じる。
「浮いた!」
 艦内が喜びにわく中、速水の目は無意識のうちに深町を追った。深町の眼が、その視線を捉
える。それは、一瞥という程度のものであったが、速水にだけ判るように、小さく頷いた。
 速水は再び平沼を抱え、中部ハッチに向かう。
 艦内放送で、深町の声が全員退艦を告げた。


 ボートにたどり着くまでは、とにかく必死だった。冷えきった体は感覚が薄れ、思うように動か
ない。それでもボートに上がると、夜風が更に体温を奪おうとする。四肢の筋肉が痛いほど緊張
して、それに抵抗していた。
 肺が震えるほど息を吸い込んで、速水は声を張り上げた。
「ボート上で全員点呼!」
 やがて不在の者が知らされる。その前に彼は、深町が依然艦内にいることに気付いていた。
 苦しい息を無理矢理吸い込み、力任せに叫ぶ。
「艦長――――!」
 その声が届かないことを、痛いほど実感しながら。
『たつなみ』が沈んでゆく。それを目にしながら、速水はそれでも現実的で、寒さに身を震わせる
自分が哀しく思えた。
 助けに行こうとする科員と、それを止める渡瀬の声が聞こえていたが、海面に目を向けたまま、
身動きすら出来なかった。
 ボートのへりを握り締める、指の冷たさも痛みも、大したことではない。そんなものは、感じなく
なりたかった。
 深町は、艦長は最後に退艦するのだと、瀬川を助けているに違いない。あまりにも明白で、そし
て当然の事実の前に、速水は激しい怒りを覚えた。
「最後までカッコつけて・・・」
 無意識のうちに、声に出して呟いていた。艦と運命を共にするつもりなのかと、腹を立てながら
も、それでもきっと最後に彼は生きて現れる筈だと、信じている。
 はたして、深町は海面に姿を現し、ボートの上に歓声が溢れた。すぐにでもその体に触れたくて、
速水はもどかしくボートの上で身を乗り出した。そして今度は深町に聞こえるようにと、彼を呼んだ。