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U. O cessate di piagarmi / 1 
 速水健次は、彼の部下の中では飛び抜けて知名度が高く、そして絶大な人気を持った人物で
あった。副長としては、乗員の皆から好意を持たれていることは、艦内の雰囲気を良くする為に
も、歓迎すべきことではある。時折、いささか行き過ぎる程の好意に、閉口することもあったが。
 防大出身ではないこともあって、その類いまれな容姿と共に、独特の才覚にも一目置かれてい
る。彼自身もそのことは認めていた。
 ただ少しだけ、速水に対して気にかかる点があった。それは恐らく彼、深町だけが感じていたこ
とかも知れない。
 普段はあまり気にすることはないが、ごくたまに、やけに速水の瞳が気にかかることがある。ふ
とした弾みに見せる表情の中に、余りにも冷めた、そして何もかも諦めたという瞳の色があった。
 厭世的とまではいかないが、他人に見せる為の顔ではなく、自分自身の内面をふと晒してしまっ
たような瞳をした時、速水の中にただならぬ冷たさを感じるのだった。
 更にはそれが、深町の知る、とある人物に、イメージが重なることがあった。その人物と速水が、
旧知の仲であると知った時、深町は一層心の中に穏やかならざるものを感じた。
 そしてもう一つ、気になることがあった。尚更深町個人にしか感じ取れないことであろう。それは、
本当に稀なことであったが、確かに深町に向けられる視線の中に、特別な彩りを帯びたものが存
在したことであった。


 今の時間なら水測長が居るはずだと思い、深町はソナー室に足を運んだ。案の定、髭におおわ
れた顔にヘッドホンを掛けた、南波海曹長が自分の席でくつろいでいる。
 深町が近くまで歩み寄ると、声を掛ける前にヘッドホンを耳から外し、振り返った。
「いらっしゃい、艦長。何か御用っスか?」
「ん、まぁな・・・大した話じゃないが・・・」
 隣の席に腰掛けながら、深町はどう切り出したものかと眉根を指で掻いた。
「お前なら聞いとると思うが・・・副長のことなんだが」
「ああ、今そのうわさで持ちきりですねぇ。少し遅かったくらいですな。男が居たとか居ないとか、某
海佐とあやしいだとか」
 楽しそうに言う南波を睨み付けて、深町は不機嫌そのものという顔をした。
「随分詳しいようだが・・・その某ってのは誰なんだ?」
「そりゃあ・・・隠してもしょうがないっスね。海江田2佐ですよ」
「で、どうしてそんな話が出てきたか、知ってるのか?」
「・・・ま、色々と・・・目撃談とか、伝え聞いた話ってやつですけどね。でもその辺はあまり問題には
ならんでしょう?」
 確かに、他愛のない噂話ではある。しかし深町には、その話を偶然耳にしてしまった時、大変重
大な出来事に思えたのだ。
「しかしなぁ・・・あまりいいうわさとは言えんぞ。第一、うちの艦の奴らが、そんな話で喜んどるなん
てのは、放っとけんな」
「仕方無いっスよ、他にあんまり楽しみもないんですから。まぁでも、噂はともかく、副長に昔男が居
たってのは、ホントの事らしいですがネ」
「・・・ともかく、それとなく釘刺しといてくれんか。好ましい話じゃないんだからな」
 そう言い置いて、深町はソナー室を後にした。

   
「O cessate di piagaemi」    私を傷つけるのをやめるか

O cessate di piagaemi      私を傷つけるのをやめるか
o lasciatemi morir.        さもなければ私を死なせて欲しい。

Luci ingrate-dispietate      氷よりも大理石よりも冷たく、
piu del gelo piu dei marmi    私の苦悩には耳も貸さない
fredde e sorde ai miei martir.  無慈悲で情け知らずの目よ。

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