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*「戸板康二ダイジェスト」制作ノート・更新メモ、2002年8月更新分(001-005)を当時のまま載せています。リンク切れはご容赦。


#001
スタート(06, August. 2002)


「戸板康二ダイジェスト」、とりあえずスタートでございます。




#002
自由が丘お買い物日記(11, August. 2002)


List【全著書リスト】に『女形』(駸々堂ユニコンカラー双書)と『楽屋のことば』(駸々堂)の書誌データを追加。

以下は、上記の戸板本2冊を含む、土曜日の昼下がりの自由ヶ丘、古本屋めぐりについて。

一軒目は、青山ブックセンターの向かいの東京書房。ここでは昔、旺文社文庫の『ハンカチの鼠』を買ったことがある。今日見たところでは、芸能関係、青蛙房とか安藤鶴夫とか、そのあたりの本がわりとたくさんあって、同じ人の蔵書だったと思われる、その並びがとてもよかった。いろいろ読みたい本があった。ちょっと前に、田中眞澄著『小津安二郎のほうへ』(みすず書房、2002)を読んで以来、昭和モダニズムという文脈の、松竹蒲田撮影所と同時代の新劇史のことに興味津々だ。戸板康二の『新劇史の人々』をあらためてじっくり読み返したりもした。浅野時一郎著『私の築地小劇場』という函入りの本を「いつか読みたいものだなあ」などと思いつつ中身をチェックしてみると、この本の解題を書いているのは、戸板康二だった。まあ! それから、三月書房の小型本が数冊売っていて、前から読みたかった福原麟太郎やら奥野信太郎もあった。が、『私の築地小劇場』ともども、チト高いので今日は見送り、機が熟すのを待つことにして、さて本日のお買い物は、先ほど眺めていた芸能関係のところから、戸板康二の『楽屋のことば』、数百円だったので買うことに。実は一度図書館で借りて読んでいて、面白さは保証済み。

二軒目は、おなじみ文生堂書店の二階、ミステリ専門店。ミステリ以外の在庫もなかなかいいラインナップで、ミステリ以外だとわりと買いやすい値段ということが多いので、今まで映画関係を中心に結構買っているお店。戸板康二の本もミステリ以外のジャンルも必ず何冊か売っていて、ミステリ以外のジャンルだとお買得価格だったりするのだ。今まで結構ここで買っている、と同時に、結構買い損ねたものも多い。さて、今日は、めぼしい戸板康二はなかったけれども、あっ、駸々堂ユニコンカラー双書の『女形』が安いッ、というわけで、買ってしまった。ミステリ以外の戸板康二が並んでいるあたりの棚は、ほかにもいろいろいい感じの本が並んでいて、今日は、「洋酒マメ天国」が何冊か売っていて、前から気になっていた、池田弥三郎の『巷説百人一首』を手に取った。それから、「植草甚一スクラップブック」、なんとなく『ぼくの東京案内』を立ち読みすると、築地小劇場のことが書いてあって、村山知義の舞台装置のこととかもちょろっと書いてある。前々から気になっていた本なのだけれども、何かと興味津々の新劇史のことでポンと背中を押された格好で、購入を決意。

と、以上三冊はパッと手にとったのだったけれども、そのあと、いろいろと思い悩み、今日もつい長居をしてしまった。いろいろ悩んだ末、あともう一冊は、小泉喜美子の短編集『時の過ぎゆくままに』(講談社文庫)に決めた。とっても迷ったのが、田河水泡の「のらくろ」の文庫本。あとは、同じく小泉喜美子の『やさしく殺して』(鎌倉書房)、野中ユリの装幀が素敵な、ミステリと歌舞伎に関するエッセイ集。戸板康二が短い序文を書いていた。が、他に買うものもあることだし、こちらも機が熟すのを待つことにしよう。『歌舞伎は花ざかり』のあとがきに、渡辺保が、『やさしく殺して』を読んだときにその歌舞伎論のユニークさに目を見張った、というふうに書いているのを見て以来、なんとなく気になっていた本だった。装幀が野中ユリで、戸板さんの序文もついているという、素敵な本だということを知ることができて、よかった。未来のおたのしみにとっておこう。

というわけで、戸板本2冊を含む、たのしい古本屋めぐりのあとは、とあるお店でコーヒーを飲みつつ、買った本をしばし読むという、たのしい時間。池田弥三郎の『巷説百人一首』によると、戸板康二の「おはこ」は、《うかりける人を初瀬の山おろし烈しかれとは祈らぬものを》とのこと。まあ! 不覚にも今まであまり気にとめたことのない歌だった。あわてて、白洲正子の『私の百人一首』を繰ってみると、《三十一文字の中に、これだけの意味を籠めるのは、高級な技術を要したに違いないが、手のこんだ工芸品のように見えなくもない》とのことだった。「洋酒マメ天国」は戸板康二の『酒の立見席』に続いて、二冊目。たまに、こういうふうに、古本屋さんの店頭で「洋酒マメ天国」を見つけてひょいと購入、ということがあると嬉しい。池田弥三郎の人物紹介には、《折口信夫門下の正統。その源氏物語名講義は洒脱の域。単に象牙の塔にこもらず古巣の銀座でも名声高し。酔えば古事記万葉集から紅白歌合戦まで、ゆくところをしらず》というふうに、戸板さんのときのおんなじように、お酒を交えた洒脱な紹介文となっている。

ちなみに、戸板康二と自由ヶ丘というと、『才女の喪服』をはじめとする推理小説で、戸板康二は舞台を自由ヶ丘に設定し、その中で、東急電鉄が東京郊外の町を切り開いて成立、といった住宅街および繁華街の空気感のようなものをヴィヴィッドに伝えている。洗足在住だった戸板さんの生活圏だったのだと思う。あと、心に残っているのは、『女優のいる食卓』所収の「菓子春色」というエッセイ、《きのう、自由ヶ丘のモンブランにはいったら、女雛男雛の顔をのせた細長いケーキを売っていた。古来の年中行事に洋風の趣向がはいって、一般の嗜好に向くような工夫が施されているわけだが、チョコレートの台の上に、チェリーの実をのせて、内裏様の顔にし、クリームや冠や目鼻をつけたケーキは、めずらしかった》というくだり。このエッセイは昭和39年に書かれたもの。果たして、今でもモンブランでは「女雛男雛の顔をのせた細長いケーキ」は作られているのだろうか。甘いものへの関心があまり高くないゆえに、毎年つい見逃してしまう。来年の桃の節句こそは、自由ヶ丘のモンブランへ行って、確認をしないと!



#003
泉麻人『大東京バス案内』 (17, August. 2002)


Chronology【私製・戸板康二年譜 (Page 4 of 4)】に追加。土曜ワイド劇場・全作品リストのおかげで、勘三郎が計三回雅楽に扮した「土曜ワイド劇場」の放映日を追加できた。わーい。1979年から80年にかけての放映です。

最近お気に入りの都バスは、大久保―品川駅間のバス。新大久保駅から大久保通りを通って、牛込柳町を通過して、神楽坂の手前、牛込北町になったところで右折して、牛込中央通りに入る。納戸町を通って、外堀通りに至り右折、市ヶ谷駅で外濠を渡って、麹町、永田町、霞ヶ関、新橋に至る。このバスに乗るのはたまにだけど、乗車はいつも牛込のとある停留所から。初めて乗ったのは、今年の2月、国立劇場の文楽公演『奥州安達原』の三段目を見物に行ったとき。永田町で下車したが劇場まで少し歩くことになってしまって、ちょっと失敗ではあったけど、これもまたバスの醍醐味。さて先日、とあるお出かけの際、この路線がぴったりの経路だったので上機嫌でバスに乗って、お盆休みの空いた道路をスイスーイと走っていって爽快だった。

バスと言えば思い出すのが、泉麻人の『大東京バス案内』(講談社文庫)。上記の大久保―品川間の路線は載っているかしらと、購入以来ひさしぶりに繰ってみた(この本を買ったのは本読みの快楽で拝見して。発行は去年の3月)。パラパラとめくってみたところ、上記の路線はどうやら載っていないようだったが、東急バスの渋谷駅発洗足駅行が載っているので、ワオ! と嬉しかった(339ページ)。わたしもこのバスに一度だけ乗ったことがある。なかなか秀逸な路線だなあと大感激だったのだが、そのときの記録が、Tokyo【戸板康二散歩・東京ブチブチ日記】なのだ。東急目黒線から突発的に戸板康二の終の住処の最寄駅、洗足駅に初めて降り立って、大興奮だった。駅前の戸板さん行きつけの床屋さんを見て、その向いの本屋さんで梅崎春生を買ったあと、ドトールでコーヒーを飲んだ。そのドトールの真ん前に、洗足駅発渋谷駅行きのバス停があって、目黒を通って、中目黒、代官山、渋谷に至る、その行程がなかなか魅力的。まあ! と、バス好きの血が騒いで、行き先を中目黒に変更して、いそいそと乗り込んだのだった。懐かしき哉。……などと、春先の追憶にひたってしまったのだったが、さすがは泉麻人、きちんと紹介済みなのだった。

泉麻人の『大東京バス案内』でさらに嬉しかったことが、「洗足駅前通りの床屋」の挿絵が載っていたこと。これぞまさしく、戸板康二行きつけの床屋さん、谷口理髪店ではないか。あの素敵なたたずまいのことを懐かしく思い出した。泉麻人は渋谷から洗足という経路をたどっていて、洗足駅の真ん前の「レストランとりの」で昼食をとっている。《横幅の狭い三階建ての建物。一階、二階、三階部のヒサシに赤、白、緑のイタリア三色旗の柄が描かれている。その色合いのくたびて加減がよい》というこのお店は《庶民的な "ニッポンの洋食" 風メニューが主流》で、《僕は〈本日のランチ〉の「牛肉とタマネギのソテー」を食べた。とてもおいしかった》とのこと。まあ! このレストランは今でもあるのかな、今度洗足に行く機会があったら、ぜひともここで食事をとりたいなあと思った。

『大東京バス案内』の巻末には「大東京のバス映画案内」として4本の映画を紹介している。川島雄三の『洲崎パラダイス赤信号』はまさしくバス映画の大傑作! と共感することしきりという感じでよい気分で、お気に入りバス映画を思い浮かべてみると、成瀬巳喜男の『秀子の車掌さん』をぜひとも入れたい、そして、今年の5月に三百人劇場で観たばかりの清水宏の『暁の合唱』も大好き、以上三本がを今のところ、わたしにとっての「バス映画御三家」。なにはともあれ、バスはたのし。



#004
「宝石」の《ある作家の周囲》の戸板康二 (24, August. 2002)


List【戸板康二・全著書リスト】に『歌手の視力』(桃源社)の書誌データを追加。わーいわーい。パラフィンがかかっているので、表紙画像が曇っている。

つい誘惑に負けて見境なく買い漁ってしまっている戸板康二の著書のなかで、未踏の地と化しているのが、わたしの場合、「歳時記」の系譜と、中村雅楽シリーズの単行本。将来のおたのしみ、とっておきかもしれない。『歌手の視力』は、昭和35年から36年にかけて発表されたミステリ。謎宮会作成の戸板康二著作リストによると、計7篇のうち、「滝に誘う女」「加納座実説」「文士劇と蠅の話」が雅楽もので、他の4篇は雅楽もの以外のミステリということになる。このなかで「滝に誘う女」は講談社文庫版『グリーン車の子供』で読了済み、雅楽もの以外の他の4篇は、「歌手の視力」のみ集英社文庫版『黒い鳥』で読了済み。なので、計7篇のうち5篇が未読ということになり、今回はわりと打率が高い。わたしにとっては年に一度あるかないかの、未読の中村雅楽シリーズを読む機会、心して味わいたいなと思う。

「宝石」昭和37年11月号の「ある作家の周囲」は戸板康二の特集だ。記事は20ページにわたっていて、ここでそれまでに発表されたミステリへの、一言二言の自身による解説を読める。というわけで、『歌手の視力』掲載のミステリへのコメントをここに抜き書き。(「はんにん」のみコメントなし)
まあ! 「ヘレン・テレスの家」を読めるのもちょっと嬉しいかも。昭和30年に猿翁たちと戦後初めて中国に行った際に、幼少時代に住んでいた上海を訪れ、このときのことが「ヘレン・テレスの家」という短篇小説に結実した、と前にどこかで読んだのを思い出した。いつか読んでみたいなあと思っていた。このあとに続く、昭和36年5月発表の「ラッキー・シート」という雅楽ものの短篇小説の解説に、《見得を切るときのメセン(視線のこと)が、いつも同じ場所に向けられていることを使った話。座席番号は実際に友右衛門から教わったものと同じにしました》とあるのを見て、ふむふむ、そのラッキー・シートの座席番号が気になるッ、と初めて「ある作家の周囲」を見たとき思ったものだったが、後日、とある古書展で掲載誌の「宝石」を発見、安価だった上に、「直木賞作家大いに語る」とタイトルの座談会記事に戸板さんが参加しているではないかッ、ワオ! と大喜びで買った(のは2年くらい前のこと)。そのラッキー・シートとは「と列25番」、演目は『娘道成寺』だった。歌舞伎座の戸板さんの席もこのあたりだったのかな。

というふうに、戸板康二の小説に関して、いや小説に限らず、戸板康二読みに関しては単行本だけでなく掲載誌を発見、のよろこびもある。雑誌を見ることで、当時の「文壇」の空気がヴィヴィッドに伺え、現役時代の戸板さんを体感できるような心持ちがして格別、目次に他の好きな書き手を思いがけなく発見ということも多々ある。以前、軒先の3冊200円コーナーで「オール読物」やら「小説現代」も戸板康二の小説目当てに買って、他の読物に案外拾い物があったり、ということもしていた。まさか、全掲載誌を集めようだなんて思わないけれども、こんな感じに、古本屋の片隅で安価で発見したら、ひょいと気まぐれに買ってみるという楽しみもあるわけだ。戸板康二の小説、雑誌での掲載だとなんといっても挿絵が付いているのが嬉しくて、いつかぜひとも見たいと思っているのが、小村雪岱の唯一の門下、山本武夫による挿絵。これも将来のたのしみ、とっておきだ。



#005
山口瞳の『年金老人奮戦日記』 (28, August. 2002)


Links【戸板康二・関連ページへのリンク】で、戸板康二が製作に関係した映画、日本映画データベースの各ファイルにリンクをはらせていただきました。見事に一本も見たことがない。

List【戸板康二・全著書リスト】に『名セリフ言語学』(駸々堂)の書誌データを追加。

先日、たまたま近くを通りかかったので(本当)、とある古書展をのぞいてみた。さっそくいい感じの一角があった。戸板康二の本が何冊か並んでいると同時に、まわりの本の並びがそこはなかとなくいい感じな上にどれも安くてキレイッ、という一角があって、上記の『名セリフ言語学』はそこから引っこ抜いた。ほかに買った本もすべてその一角から、川口松太郎『久保田万太郎と私』、山本容朗『作家の人名簿』、山口瞳『年金老人奮戦日記』、こぉーんなに買ってもちょうど1000円(プラス消費税)。わーいわーいと、帰ろうとしたところで、蝸牛俳句文庫『久保田万太郎』を発見、これも買った。 坂崎重盛著『東京本遊覧記』(晶文社、2002)の『万太郎俳句評釈』の項で紹介されていた本だ。ぜひとも手中に収めてゆっくり読みふけりたいと思いつつまだ買っていない『東京本遊覧記』なのだが、戸板康二の『万太郎俳句評釈』まで載せてくれているとは、なんとも味な本である。神奈川県立近代美術館の「モガ・モボ展」の図録も載っていたっけ。

山本容朗の『作家の人名簿』を買ったのは、目次に戸板康二の名前を見つけたから。山口瞳の『年金老人奮戦日記』は以前図書館で借りて読んで以来、何度か古本屋で遭遇したが、そのたびになぜか買い逃して後悔していた懸案の本。同じく男性自身の日記シリーズ、『還暦老人ボケ日記』、『還暦老人憂愁日記』はすでに買っていて、帰りに寄り道してコーヒーを飲みながら読みふけるというパターンだった。そして、いつも必ず読み終えると、国立に行きたくなる。今回買った、1994年発行の『年金老人奮戦日記』は戸板康二の追悼文が収録されていて、以前、図書館で借りて読んで胸がいっぱいになった本。さっそくコピーをとって、そのコピーも何度も眺めていた。あれから1年以上たって、ひさしぶりにこの本を開くことになった。平成2年から5年までの四年間の日記、武田百合子さんの追悼文をまっさきに開いた。やっぱり素敵な文章だなあと、しばし本から顔をあげてぼーっとした。
平成五年五月二十七日(木) 晴
  武田百合子さん死去。六十七歳。肝臓癌。終戦直後、神保町の喫茶店ランボオでお見うけした(百合子さんはそこで働いていた)とき、大輪の白い花が笑っているような印象を受けた。残念ながら僕等の手の届かない女性だと思った。高嶺の花というのがこれだろう。後に武田泰淳さんと結婚したと聞き、なんだか安心したような気分になった。武田百合子さんは気合のいい女性だった。武田泰淳さんが『目まいのする散歩』(ぼくの大好きな小説)で文学賞(野間賞だったと思う)を受賞したとき、百合子さんが代理で受賞の弁を喋ることになった。このとき彼女はユックリとマイクの前に進み、ゆったりと会場を見廻して、一言「有難うございました」と言って席に戻った。それがイヤミにならない。つまりは素敵な女性だった。何かの文壇パーティーで会場入口近くで友人の出てくるのを待っていると隣に百合子さんが立っていた。どういうつもりか自分でもわからないのだが、彼女に頭痛薬を差し上げた。武田泰淳さんは朝起きるとノーシンを服んでスッキリとさせ、ビールの小瓶を飲んでその頭を廻転させるという話を聞いていたのが僕の頭にあったのだろう。頭痛薬は規制ができてあまり効かなくなっている。僕はそのとき昔のサリドンを持っていたのである。百合子さんは驚いたような困ったような顔をした。十年位前のことであって武田百合子さんを見たのも声をかけたのもそれが最後になった。
  武田百合子さんは、一言で言うならば、よく見える目とよく聞こえる耳を持った女性である。こういう鋭い女性は頭痛持ちに違いないと僕は思い込んでいたようだ。

戸板康二と武田百合子は同じ年に亡くなったのだった。女学生の当時、わたしはどちらとも名前を知らずその訃報の記憶もまったくない。武田百合子さんの本を初めて読んだのは亡くなって一年後、戸板康二を読んだのはずっとあとの1998年。『年金老人奮戦日記』を見ると、戸板康二の一日前、1月22日には安部公房が亡くなっていて、そっちの方はとても印象に残っている。当時、相撲が好きだったので、テレビで熱心に中継に見入っていて、その最中に開いた夕刊に死亡記事が出ていた。雑誌「三田文学」の戸板康二追悼号(1993年春号)には、井筒俊彦の追悼特集も載っている。井筒俊彦が他界したのも1993年1月、こっちの方はとても鮮明に記憶している。当時、わりと愛読していてちょっと憧れていたので「えー!」と驚いた。あとで、知ったところによると、井筒俊彦は池田弥三郎と慶応で同級だったという。『年金老人奮戦日記』には井筒俊彦の名前は出ていないようだ。



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