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   880&71は、少々特異な経歴を歩んでいるという点で共通点があり、
  なかなか興味深いので以下にふれさせていただく。

  前述したように70形は、長尾線の1500V昇圧用として購入された訳であるが、
  後年、30形(京急デハ230形)が大量に投入されるに至って、
  しだいに活躍の機会が少なくなってきた。
  特に、1982年に71号の編成相手だった82号が廃車されてからは、
  71号は予備車に指定され、10年以上も平木駅に留置され、酷く荒廃していった。
  
  また、880形は琴平線に登場した、新性能車1053形に追われた結果、
  制御車化された上に志度線籍となった。
  しかし、実際には稼動の機会は、ほとんど与えられることなく、仏生山での留置が続き、
  こちらも、酷く荒廃した姿になっていた。

  そんな両車に転機が訪れたのが、1994年のダイヤ改正であった。
  それまで線路がつながっていた志度線が、
  この改正を機に、長尾線、琴平線から分離され独立した路線となった為に、
  それまで予備車を共用できた長尾線と志度線は、別々に予備車を確保する必要が生じたのだ。
  工場設備の関係で改正時に志度線に充分な車輌数を配置する措置がとられた結果、
  長尾線の車輌数に余裕不足が生じてしまった。
  それに対応する為に、それまで予備車としてほとんど稼動していなかった71号と880号を、
  更新して現役復帰させるという判断がなされたのだ。
  
  特に71号は、東濃鉄道の休止から琴電に譲渡されるまでの間にも、
  長期間の留置を経験しており、東芝製という特異なプロフィールを持つこの小型車は、
  実に波乱の生涯を送ったといえるだろう。
  また、志度線籍でありながら、仏生山で寝ている間に、
  いつの間にか線路が分離されていた880号にとっては、知らぬ間の長尾線移籍、
  まさに、寝耳に水の話であったことだろう。

  両車とも、同社仏生山工場車体班の皆さんの手により丁寧に更新修繕が行われ、
  71号は1995年12月、880号は1996年10月に、晴れて現役復帰を果たした。

71号名場面集