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 カナヤマ 日本歴史 辞典 

 日本語版 

 見出し語 『 せ 』。

 No.5021。

 

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□ 日本史 辞典 (総合)        

□      

〇 ぜん  前近代日本の早婚と多産

                     (ぜんきんだいにほんのそうこんとたさん)。

             ○ 前近代は 短命(平均寿命が短い)その

             他の理由で、女性の結婚適齢期は、10代

             であった。

             ○ 医療未発達で幼児死亡率が高く、早世

             多く、女性は、4人以上の子を産むことが

             多かった。

             ● 前近代日本では、女性は、16

          歳位で婚儀を結び(結婚し)、その

          後、子供4人を産む人多し。

                     ● 前近代日本では、10代が結婚

          適齢期。

            ● 前近代日本では、 医療未発達

           で栄養学の知識も乏しく、子供が

           成人前に 多数死去、また、成人

           も病気等で死去多し、 老衰によ

           る平均寿命も短く、 時間的余裕

           はなく、 早く結婚して子供を多く

           もうけ、子孫を残す必要があった。

          ● 上層の者は、名家を継ぐ跡継

           ぎの確保、 農民は、農作業の労

           働力の確保、 商工民は、家業を

           継ぐ跡継ぎの確保などが必要。

                  (⇒ 前近代日本社会

 

 

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    未来は、現在の成果である。 

 

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#se

 

#zenkindainihonnosokontotasan

 

■ 前近代日本の早婚 

   と多産 

      (ぜんきんだいにほんのそうこん

     とたさん)。

 

■ 前近代日本の早婚と多産。 

■ 名称 : 前近代日本の早婚と多産 (ぜんきんだ

 いにほんのそうこんとたさん)。

 前近代では、 医療未発達で栄養学の知識も乏し

 く、  子供が成人前に多数死去、また、成人も病気で

 死去多し、老衰による平均寿命も短く、 時間的余裕

 はなく、 早く結婚して子供を多くもうけ、 子孫を残

 必要があった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

● 上層階層の者は、名家を継ぐ跡継ぎの確保、農民

 は、農作業の労働力の確保、 商工民は、家業を継ぐ

 跡継ぎの確保 などが必要であった。

 

 

◆ 前近代日本の婚儀(結婚)と出産・養育。

 

■ 前近代日本の早婚と多産。 

■ 前近代日本(古代から江戸時代)では、 女性は、

 10代が結婚適齢期であった。

● 前近代の女性は、現在の中学生程度の12歳位から

 19歳位までが結婚適齢期で、 20歳を過ぎれば晩婚、

 ハイミス であった。

 例えば、 お江 (おごう、生没年 1573〜1626年)

 は、 12歳ほどで(1584年に)、 お江の一番目の夫

 の佐治一成(さじかずなり)と結婚している。  また、20

 歳ほどで(1592年に)、  お江の2番目の夫の豊臣 秀

  勝(とよとみひでかつ)と結婚し、その後一人の子供(女

 子)を もうけ、 また、 23歳ほどで(1595年に)、 晩

 婚の3番目の夫の徳川秀(とくがわひでただ)と結婚し、

 その後、7人の子供  (2男5女、1597〜1607年)を

 もうけて、 計8人の子供をもうけた。

 

■ 前近代日本の早婚と多産 (ぜんきんだいにほん

 のそうこんとたさん) とは、 古代の大和時代 (古墳

 ・飛鳥白鳳時代)から近世の江戸時代までの前近代

 日本で、 男女とも、早く結婚し、子供を多くもうける

 ことである。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

■ 前近代日本(古代から江戸時代まで)では、女性は、

 10代が 結婚適齢期であった。

■ 現在、アメリカでは、 中学校(ジュニア・ハイスクー

 ル) で、 ベビーカー(乳母車)を押しながら登校する

 学生の女性を時折(ときおり)見かけるが、 日本で

 も、 古代の大和時代(古墳・飛鳥白鳳時代)から近世

 の江戸時代までは、  ティーン・ネージャー(10代)の

 女性が、 結婚適齢期で、 10代で結婚する女性が

 多数を占めた。

 

■ ≪コメント≫ 早婚による人口増加。 

   現代日本では、子供をほしい人だけが、子供を生

 む時代である。 現代日本では、女性の結婚適齢期

 は無くなったが、 生物である女性には、 「出産適齢

 期」はある。 

   出生率の低下に歯止めがかからず、人口減少が

 問題になっている、現在の日本では、日本の女性は、

 10代でも結婚し、子供を多くもうける必要がある。

 子供は、国の宝(たから)である。 それには、経済力

 が低い10代結婚・同棲の子育てカップルに対して親

 や政府・自治体の経済援助が必要であり、 北ヨーロ

 ッパ、オランダのように、 育児手当の充実、託児所の

 充実、労働条件の改善を、急いで行う必要がある。 

 また、学生結婚・同棲の子育てカップルに対する温か

 い周囲の援助が必要である。    

   また、人には、長所と短所があり、 人の人柄、容

 姿、収入も10年も経(た)てば変わってしまう。 結婚

 ・同棲相手に人柄、収入、容姿等で理想が高すぎると、

 問題が生じる。 現代日本の10代男女は、深く考えず、

 相手に対し理想はそれほど高くなく、結婚・同棲し子供

 をもうける傾向があるが、 現代日本の20代、30代の

 男女は、深く考え、結婚・同棲相手に収入、人柄、容姿

 等で厳しい条件を求める傾向があり、 なかなか出生

 率が上昇しない。

 

■ 前近代日本の子供の出産と養育。

   前近代日本では、 一般的に、大家族主義であり、

 共同体意識が強く、 大家族や地域社会の中で子供

 を産み育てることが多かった。 人々は、祖父母、父

 母、おじ、おば、従兄弟(いとこ)、兄弟姉妹に囲まれ

 て大家族ぐるり、村ぐるみ、町ぐるみで、子供を育て、 

 人々は、子供を、 ○○父母の子というだけでなく、○

 ○一族の子、○○村の子、○○町の子 と考えていた。

 

■ ≪コメント≫ 人口を増加させるためには、子供を大

 家族、地域社会で育てることも必要である。

   現代日本では、核家族主義で、子供の養育は、父

 母のみが責任をもって育てるという仕組みになってい

 る。 

   現代日本でも、 人口を増加させるためには、父母

 だけでなく、 親戚や地域社会(市町村)も、 子供の養

 育に責任をもつ仕組みに切り替える必要がある。

 

■ ≪コメント≫ 優秀な日本女性の活用。

   日本が経済成長を維持し、豊かで平和な社会を、今

 後とも築いていくためには、 日本の優秀な能力をもつ

 女性が、家庭に閉じこもらず、外で仕事をもち、一生涯

 働き、 日本社会を支える必要がある。 男性は、外で

 働き、女性は、家庭で家事育児を行うという思考形式、

 社会形態をやめる必要がある。 現在の日本では、日

 本の優秀な女性の意欲と能力を十分に活用していない。

    個人の自由と平等が徹底し、酷寒で人口過疎の、

 北ヨーロッパ諸国では、 共稼ぎカップルの他に、「ホー

 ムパパ」 (男性の専業主婦) が沢山いる。 高い職業

 能力のある男女カップルで、男女のどちらかが、交代で、

 ある一定の期間、仕事を休み、家庭で家事育児を行うの

 である。 また、男女カップルのうち、職業能力の高い方

 が、外で働き、職業能力が低い方が、家庭で家事育児を

 行うのである。 

   北欧諸国のように、日本も思考形式や社会構造を

 変え、「変身」する時期に来ている。 北ヨーロッパ、オ

 ランダのように、労働条件の改善、託児所の充実、

 児手当の充実を、急いで行う必要がある。 

 

■ 前近代日本の早婚と多産。 

 「 産めよ増やせよ 」の前近代の人々。

 前近代日本では、 医療未発達で栄養学の知識も

 乏しく、  子供が病気等で成人前に多数死去、 また、

 成人も病気等で死去多し、 老衰による平均寿命も短

 く、 時間的余裕はなく、 早く結婚して子供を多くもう

 け、子孫を残す必要があった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

● 上層階層の者は、名家を継ぐ跡継ぎの確保、 農

 民は、農作業の労働力の確保、 商工民は、家業を継

 ぐ跡継ぎの確保 などが必要であった。

 

● 前近代日本では、 医療未発達で栄養学の知識も

 乏しく、病気の抵抗力 の弱い子供は、 悲しいかな、

 女性が産んでも産んでも、次から次へと病気等で死

 んでいくのが、実情であった。

   例えば、 江戸時代後期、 当時最高の医者が侍

 (はべ)っていた江戸城でも、 江戸幕府12代将軍・

 徳川家慶(いえのぶ) は、 14人の男子を授(さず)

 かったが、 子供が元服(成人)するまでに13人の男

 子の子供が病気等でなくなり、 元服(成人)まで生き

 残った男子は、 たった1人だけであった。 その男子

 が、後の13代将軍・徳川家定(いえさだ) で、 天璋

 院・篤姫(てんしょういん・あつひめ)の夫 である。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

 

■ 前近代日本の女性の婚儀(結婚)。

■ 前近代日本の女性 は、10代が結婚適齢期 であ

 った。

■ 前近代の女性 は、 現在の中学生程度の12歳位

 から19歳位までが結婚適齢期 で、 20歳を過ぎれ

 ば、晩婚、ハイミス、おばさん であった。

■ 前近代では、 女性に初潮(しょちょう、最初の月経)

 があれば、 結婚適齢期となり、早婚は、普通であった。 

 前近代の女性は、 必要栄養素不足で、 肌の衰え

 は早く、 現代女性のように美しさを長く保つことが難し

 く、 前近代の男性を魅惑する、肌のきれいな10代の

 うちに結婚することが多かった。

 

■ 例えば、 戦国女性で、後に2代将軍・徳川秀忠

  の夫人となった、 お江 ( おごう、小督(おごう)、

  お江与(おえよ)、崇源院(すうげんいん)、生

  年:1573〜1626年) の場合。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 お江 (おごう) は、 12歳ほどで(1584年に)、 

  お江の一番目の夫の佐治一成(さじかずなり)と

  結婚している。  また、20歳ほどで(1592年に)、 

  お江の2番目の夫の豊臣秀勝(とよとみひでかつ)

  と結婚し、 その後、秀勝との間に一人の子供(女

  子)をもうけた。 

     また、 23歳ほどで(1595年に)、 お江の

  晩婚の3番目の夫の徳川秀忠(とくがわひでただ)

  と結婚し、 その後、 秀忠との間に7人の子供 (2

  男5女、1597〜1607年) をもうけ、 計8人の子

  供をもうけた。

 

■ 前近代日本の女性の婚儀(結婚)。

 

■ 前近代日本の女性の婚儀(結婚)。

■ 自由と平等の社会の現代日本では、 女性本人の

 意思で、結婚(婚儀)相手を決めるが、 前近代日本

 の厳格な父系社会及び家父長制・身分制社会では、 

 女性本人の意思を考慮せず、家長や親が、女性の

 婚儀(結婚)相手を決めることが多かった。 上層階

 層の女性は、婚儀(結婚)前に、夫となる婚儀(結婚)

 相手の顔を見ることもなく、 婚儀を結ぶ(結婚する)こ

 とも多かった。 身分に応じて、同じ身分の者と婚儀を

 結ぶ(結婚する)ことが通常であった。 政略結婚に至

 っては、 10歳未満の幼年で、婚儀を結ぶ(結婚する)

 こともあった。

● TKKI カナヤマ著 日本史辞典。

 

● 例えば、 薩摩出身の篤姫(あつひめ)は、 徳川家

 定(いえさだ)の顔を見ることもなく、婚儀を結んでいる

 (結婚している)。 お江(おごう) は、 徳川秀忠(ひで

 ただ)の顔を見ることもなく、 婚儀を結んでいる(結婚

 している)。 お江の娘の千姫(せんひめ) は、 政略

 結婚で、7歳ほどで、豊臣秀頼と婚儀を結んでいる(結

 婚している)。

 

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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』

 

 

以  上