『想いは言葉に乗せて』


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十二*哀しみの行方(後編)



「巡くんもいきなり、ごめんなさいね」

 部屋から出てきたわたしと巡を見て、お母さんは両手を合わせて謝ってきた。

「さっきの人って……」
「うん……。お父さんのかなり歳の離れたお姉さんで……それが、色々と困った人でね」

 はあ、と大きくため息を吐き、お母さんはわたしと巡を交互に見た。

「あの人は若い頃にかなり権威のある芸術賞を受賞して……その道に入ったのはいいんだけど、鳴かず飛ばずなの」

 もしかして、それでお父さんは……。

「この間は巡くんにもかなり迷惑をかけちゃったけど、父さんの実のお姉さんがあんな感じだから、余計に芸術に対してかたくなに拒絶しちゃって」

 そういうことだったのか、と納得した。けど……。

「奏乃のこと、もっと信じてやればいいのに。こいつはあんなにならないよ」

 怒ったような口調に、思わず巡を見上げる。

「そうよねぇ。私もそう思うわ」

 二人はわたしのことを信頼してくれている。それがとてもうれしかった。

「そうだわ、巡くんっ」

 お母さんは話を強引に変えた。巡に向き直し、恋する乙女のように瞳を輝かせながら口を開いた。

「おばさん、巡くんのファン、第一号になってもいい?」

 お母さん、それを本当に聞くのっ?
 呆れて、口をあんぐりと開いて思わず間抜け顔になってしまう。

「え……や、その……。オレのファン一号は彼女のために空けてるので……」
「じゃあ、二号なら?」
「……ええ、まぁ」

 さすがの巡もお母さんのパワーにたじろいでいるようだ。そういう場面に遭遇したことがなくて、巡のまごついた態度が面白くて顔が思わず、にやける。

「わぁ、うれしいわぁ。こんなおばさんがファン二号で、ごめんなさいねー」

 まったく申し訳なさそうなお母さんにも、苦笑いしている巡も面白くて、笑ってしまった。

「奏乃、なんでおまえ、そんなに人ごとっ!」
「だって、人ごとだもん」

 ほんっと、面白い。

「二人とも、これから出かけたりする?」

 わたしはそんなつもりはなかったけど、そういえば巡は遊びに行こうとうちにやってきたのを思い出した。

「そのつもりで来たんですけど、もうこんな時間ですから無理かなぁ」

 ふと時計を見ると、お昼前になっている。いつの間に。

「じゃあ、お昼を食べて行かない?」

 お母さんは巡に迫るように両手を胸の前で組んで、うるうると言った方がいいような瞳でじっと見つめている。
 巡はおびえたように顔を引きつらせている。

「ごっ、ごちそうになっても……いいんですか?」
「もちろん、いいに決まってるじゃない! おばさん、腕をふるって美味しい料理をごちそうしちゃうわ!」

 お母さんはそう言うと、その場でくるりと回って軽やかにキッチンへと去って行った。

「……なに、あれ」

 自分の母親ながら、あのテンションの高さについて行けない。

「奏乃のお母さん、面白いな」
「……疲れるわよ」

 部屋に戻る気になれず、リビングへと向かう。ソファにぐったりと座り込み、クッションを抱え込む。

「ところでさ」

 座る場所はまだ他にもあるというのに、巡はわざわざわたしの隣に座り、ぐっと身体を寄せてきた。

「奏乃もオレのファンにならない?」
「……は?」

 いつものおどけた調子に思わず、片眉を上げ、巡を見てしまう。

「遠慮させていただきますっ」

 巡のファンと言ったって、お母さんが二号なら、わたしは次の三号でしょ? 無理無理、あり得ない。

「ちぇっ、つまんないの」

 そう言って、巡はわたしに背を向けた。

「なあ、聞いてくれるか? 奏乃ってば、けちなんだぜ」
「ちょっと……」

 振り返ると、巡はソファの上に正座をしてうなだれ、置いてあるクッションに向かって話しかけていた。しかも、ご丁寧に人差し指でつついている。

「……巡?」
「冷たいよなぁ」

 なんだかよく分からないけど、いじけたらしい。呼びかけても返事がない。付き合っていられない。
 巡は放っておいて、わたしは再度ソファに身体を預け、クッションを抱きしめて目を閉じる。
 昨日、友和に振られたばかりだというのに、すでにもうどうでもいい気分になっている。わたしの中では実はとっくの昔に終わっていた出来事で、昨日、友和からはっきりと別れを告げられたことでかなりすっきりしているのかもしれない。
 もちろん、昨日は予想はしていたこととはいえ、さすがにショックであんなにも泣いてしまったけど、思いっきり泣いたことで気持ちの整理も出来たのかもしれない。
 巡のおかげなんだなと思ったら、いつもそうやってさりげなく支えてくれていることに気がついて、なんだか申し訳なくなってくる。
 もしかして……わたしがこんなに手がかかるから、巡は想い人がいても、気持ちを伝えることができないでいる?
 わたしがしっかりしないとと思っていたら、ふと、身体に重みを感じた。目を開けると、巡がわたしの上にのしかかっていた。巡の熱を感じる。

「なっ?」
「奏乃ってほんと、油断しすぎだよな」

 切ない瞳をして、巡はわたしを見下ろしている。

「無防備すぎだろ」

 ぐいっと顔が近づけられる。
 キスされる──。
 わたしは驚き、きつく目を閉じた。
 と思ったら、おでこに柔らかな感触が落ちてきた。それは時間にすればほんの数秒だったと思う。だけどわたしには永遠に感じられるほどの長い時間。
 布ずれの音がして、身体が軽くなる。巡がわたしの上から移動したらしい。全身から力が抜ける。巡が時々、分からなくなる。今の表情とおでこのキスの意味が、まったく分からない。
 あんな切ない表情をして見られても、すごく困る。巡はわたしに想い人を重ねているの?
 巡の視線を感じる。

「奏乃、オレ──」

 巡が口を開いた時。

「ご飯、出来たわよー」

 キッチンから呼ぶお母さんの声に、わたしは立ち上がる。

「はーい。巡、ご飯だよっ」

 巡の切ない表情を振り払いたくて、明るい声を上げた。

「うん……」

 少し元気のない巡にわざと体当たりをする。

「ほらっ、お昼から塾なんでしょ。しっかり食べて行かないとっ」

 巡は大きくため息を吐き、次にはいつもの調子に戻っていた。

「よーっし、奏乃のまで食べてしまおう!」
「あ、やだっ!」

 わたしと巡は先を争うようにして、キッチンに向かった。
 巡がなにを言いたかったのか分からない。あんなに真剣な表情をしていたから、もしかしたら決別の言葉かもしれない。だけどもう少し、元気になるまで巡に側にいてほしい。
 わたしは自分勝手なわがままを胸に秘め、いつもと変わらぬ態度で巡に接することに決めた。

     **:**:**

 巡のおかげで土日でどうにか気持ちの整理が出来て、月曜日からはすっかり通常営業だった。
 通学途中で出会った巡とふざけながら登校して、放課後は美術室で──やっぱり、通常営業なんかじゃなかった。
 クロッキー帳を開いてサッカー部の練習を描こうとするのだけど、気持ちが乗らないのだ。

「アントニオ、描くか?」

 察しのいい巡は真っ白なままのページを見て、提案してくれた。

「アントニオがダメなら、新入りのマーメイドでもいいぞ」
「マーメイドって」
「なんとなく、そんな感じがしないか? 夢見がちな瞳なのに献身的な態度が」

 文具店から譲り受けた石膏像の横に立ち、巡はそんなことを言っている。さらにいきなりよく分からないポーズをとり、

「石膏像が嫌なら、なんならオレがモデルに──」
「皆本くん、よくぞ言ってくれた!」

 野原先輩が机の上に乗りだし、割って入ってきた。

「生身のモデル、ちょうど欲しかったのよね。よしよし、大歓迎!」
「いや、今のは冗談だって」
「下瀬さんのモデルになるのなら、一人よりはたくさんがいい!」
「遠慮しますっ」

 漫才みたいなやりとりに、みんなが笑っている。わたしもおかしくて、一緒に笑っていた。

「オレがモデルになると、美しすぎてみんなの目がつぶれるぞ」
「へー、よく言った! そんなことにならないから、やりなさいよ」
「──すみません、嘘を申しましたっ! モデルはちょっと、マジで勘弁っ」

 そういうと、巡は慌てて美術室から出て行った。

「下瀬さん、皆本くんをつかまえてきて」
「わたしが、ですか?」
「ちょっと前まで大人しく雑務を手伝ってくれていたのに、最近は気がついたらさぼってるんだもん。下瀬さんががつんと言ってくれたら、聞くから」

 野原先輩が言っても聞かないのならわたしが言っても同じような気がしたけど、美術室にいるのはなんとなく気詰まりだったので、巡を連れ戻すことにした。

「では、行ってきます」

 巡がどこに行ったのか分からなかったけど、適当に歩いて気分転換をしてこよう。
 美術室を出て、職員室方面へと足を運ぶ。放課後だから廊下はそれなりに生徒がいる。昇降口の側が職員室で、横には階段がある。職員室と階段の隙間をふと見ると、巡と篠原先生がいた。声をかけようかと思ったけど、とどまってしまった。

「もーう、私と巡くんの仲じゃなーいっ」

 篠原先生は気安く、巡の肩を叩いている。巡は困ったような表情をしていたけど、嫌そうではない。

「あのな、学校でそういう態度とるのはやめろよ」

 わたしは一歩、後ろに下がる。巡の今の言葉は、学校外でも篠原先生を知っていると取れる言葉だ。そういえば、授賞式の時も二人ともすごく親しそうだった。もしかして、巡の好きな人って……。
 わたしは翻し、美術室へと戻る。

「下瀬さん、お帰り。皆本くんは?」
「……見つかりませんでした。あの、わたし、今日はこれで帰ります」

 かばんをつかむとそれだけようやく告げ、美術室を飛び出した。そのまま昇降口に駆け込み、靴に履き替えて走った。昇降口を出て、正門に向かうのがなんとなく嫌で、裏門に回る。校舎の裏を通ってわたしは土手に駆け上がった。
 巡が好きな人は、篠原先生。
 巡がここの学校に決めた動機は、尊敬している美術の先生がいるってことだったのだ。
 巡の口から直接、好きな人がいると聞いていたし、それが篠原先生だとしたら、好きだと伝えたくても伝えにくいだろう。
 ああ、すべて符号が合っていく。
 早歩きだった足を緩め、そこでふと気がつく。
 どうしてこんなにもショックを受けてるんだろう。友和に振られた時よりも、心が痛い。
 ああ、そうか……。わたし、やっぱり巡のことが好きなんだ。
 ここのところ、巡を見てどきどきしたり、キスをされそうになってして欲しいなんて思ったりしたのは、巡が好きだからだ。
 巡の態度は昔からずっとあんな感じだったのをすっかり忘れて、抱きしめてきたり色々してきたから、わたしのことを好きなのかもしれないなんて勘違いをしていた。
 金曜日に友和に振られて、さらに巡に対して叶わぬ恋をして──巡の好きな人を知ってしまって……。

「ははっ」

 思わず、笑ってしまう。
 心が、痛い。悲鳴を上げている。
 わたしはかばんを握る手に力を込めた。
 ダメだ、泣いちゃダメ。巡はきっと、それでも側にいてくれる。今はそれでいいじゃない。
 わたしは身体を引きずるようにして、家に帰った。
 なにもする気力が起こらず、ベッドにうつぶせになる。
 絵を描く気にもならない。わたしにはなにも残ってない。
 なんだか悲しくて、枕に顔を埋めた。勝手に涙があふれて来て、わたしは一人、声を上げずにただ、泣き続けた。



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