『想いは言葉に乗せて』


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十二*哀しみの行方(前編)



 今日は金曜日だ。いつもなら明日は土曜日で、練習場に行けることを心待ちにしていて気持ちが高揚しているのに、今日は気がつくと、沈んでいる。
 朝、巡と会うと、あちこち包帯が巻かれていた。

「かーさんとねーちゃんが大げさに巻くんだよ! 大丈夫だって言ったのに。ったく、かっこ悪いじゃないか」

 むすっとふくれた顔を見てるとおかしくなって、思わず笑う。

「かっこ悪いって、気にしてるんだ」
「おまえな、こんないい男をつかまえてそんなことを言うのかっ?」

 思わず、上から下まで眺めてしまった。
 ……悔しいけど、客観的に見ればいい男の部類に入る。しかし。

「自分で言ってたら、アウトだよね」
「自分で言って、悪いか? オレはいい男だ!」

 通学路の真ん中で両手をあげて吠えているのを見たら、お世辞にもかっこいいとは言えない。やっていることは、思いっきり三枚目だと思う。

「あ、そうだ」

 何気ない調子で切り出す。心臓がばくばくしているけど、なんでもないそぶりで口を開く。

「今日、部活に出ないから」

 わたしの一言に、両手を上げていた巡は降ろし、わたしをじっと見る。

「なんで?」
「え、いや……。その、昨日、調子が悪くてみんなに迷惑を掛けたじゃない。無理して出て、また倒れたら悪いなって」

 わたし、今、声が震えてなかった? 大丈夫?

「ああ……。そうだな」

 巡はそういえばと思い出したような表情でわたしを見る。

「調子は、大丈夫か?」
「うん。昨日もゆっくり寝たよ。おかげで、宿題、忘れちゃった」
「……おまえな」

 呆れた顔をされてしまった。
 嘘ではないけど本当のことを言ってない後ろめたさを覚えながら、学校へと向かう。
 そして、夕方の待ち合わせのことを考えたら、気持ちが落ち着かない。授業にも集中出来ないでいた。
 今日はいつも以上に時間が遅々としか進まず、いらだちが募る。いつも以上に手に力が入り、シャープペンシルの芯が折れまくる。板書するのにもそんな調子だった。
 ようやく放課後になった。落ち着かない気持ちのまま、学校を出る。
 家に帰って着替えて、荷物を置いて駅に向かうくらいで時間的にちょうど良い。約束の時間の五分前に駅にたどり着いた。
 友和は券売機の側に立っていた。わたしの姿を認めると小さく手を上げ、人があまり通らない場所を指さした。わたしは素直について行く。駅舎を少し離れて、金網越しに線路が見える場所で友和は足を止めた。

「あの、待ちましたか?」

 近寄り、小さく聞くと首を横に振られた。
 わたしたちは向かい合ったまま、立っていた。眼下にはホームに滑り込んでくる電車の屋根が見える。
 なんと言えばいいのか分からず、わたしは友和の首元を見ていた。今日、着ているシャツの色は薄緑で好みだななんて、どうでもいいことを考えていた。

「奏乃……ごめん」

 友和の口から聞き慣れた言葉が出てきて、思わず笑みが浮かぶ。

「……奏乃がおれのことが好きって気持ちを利用していた」

 ああ、やっぱりそうだったんだ。その言葉に納得して、友和の顔を見るために視線を上げた。友和はわたしに顔は向けていたけど、視線はわたしの後ろをにらむように見ていた。
 フィールドにいるときにボールを追いかけている視線と一緒で、わたしはこの視線に恋をしていたんだなと気がついた。

「入学式の時の出来事があったからずっと気になっていたのも確かなんだ。だけど……」
「……もう、いいです。今まで、ありがとうございました」

 楽しかった思い出の方が多いのだ。それを穢すような言い訳はして欲しくなかった。
 だからわたしは深くお辞儀をして、しっかりと顔を上げて友和に背を向けた。

「さようなら」

 一言だけ告げると、わたしは歩き出した。

「奏乃……」

 友和に名前を呼ばれたけど、わたしはもう、振り向かなかった。
 今日まで、楽しかった。他人から見ればわたしは友和に利用されていただけのように見えたかもしれないけど、それでも楽しかったのだ。

「うっ……」

 楽しかったんだから、泣いたらダメだ。泣いたら、楽しい思い出がすべて流れてしまう。
 わたしはうつむき、泣いている顔を通行人に見られないようにして駆け出す。信号に引っかかったので立ち止まる。やがて青になり、人に紛れるようにして歩き出す。
 そして気がついたら、いつの間にか覚えのある気配を背後に感じた。そっと確認すると、なぜか巡が立っていた。

「なんで、巡……」

 かばんを手に、白い包帯がまぶしい腕をむき出しにした制服姿の巡。立ち止まり、振り返る。

「ったく、手間ばっかり掛けさせやがって」

 巡は苦笑いを浮かべ、わたしを抱き寄せた。

「お疲れ。我慢せずに泣いてしまえ」

 その一言に、今までずっと我慢してため込んできた思いをせき止めていたなにかが壊れて、どっとあふれ出す。

「う……っ」

 巡は道路の端に寄り、わたしが通行人から見えないように守ってくれている。だけどもう、そんなことにかまっていられるほど余裕はなくて、巡にしがみついて泣いた。巡からは汗と消毒の匂いがした。
 どれだけ泣いていたのだろうか。思いっきり泣いて、だいぶ落ち着いてきた。涙と鼻水で顔はべたべただ。かっこ悪すぎる。

「落ち着いたか?」

 聞き慣れた、優しい声。
 また、涙があふれてきた。

「泣き顔は不細工だな」
「ぶっ、不細工って!」

 泣きそうになっていたのが、それで一気に引っ込んだ。

「さ、帰ろうか」
「……うん」

 巡はわたしの手を取ると、しっかりと握って歩き出した。温かな手のひらがほっとした。

     **:**:**

 今日は土曜日だ。今までは毎週のように練習場に通っていたけど、もうその必要はない。
 なにもやる気が起きず、目は覚めていたけどベッドの上にごろごろしていた。今日はお父さんは珍しく休日出勤のようで、少し前に会社に出かけた気配がした。

「はーあ」

 声を出すとそれはあっさりと空中にかき消えた。
 気持ちはすっきりしてはいたけど、気力が沸いてこなくて起きるのもだるい。布団の上を右へ左へと転がっていたら、だれかが来たようだ。荷物でも届いたのかと思ったら、お母さんがわたしを呼んでいる。めんどくさいと思いながら這うようにして、部屋の外に顔だけだした。

「なぁに」
「巡くんが来てくれたわよ」
「……へ?」

 来られても、困るしっ。

「だるいから、帰って……も……ら……ちょっと! なんで上がってきてるわけ?」
「よ、おはよ」

 巡は靴を脱いでわたしの部屋の前までやってきていた。

「奏乃、部屋で腐ってないで、せっかくのいい天気だし、遊びに行こうぜ」
「やっ、あの、巡? 今日、塾は?」
「今日は午後から。受験生とはいえ、息抜きに少しは遊ばせてくれよ!」

 床の上に転がって頭だけ外に出しているとんでもない格好のわたしを見下ろしている巡は、ブラックジーンズに袖が赤くて胴の部分が白いTシャツを着ていた。眼鏡の蔓を持ち上げ、焦げ茶色の瞳にからかいの色を乗せ、わたしを見る。

「赤いチェックのパジャマ……と」
「!」

 にやけた顔をにらみ、素早く起き上がってドアを閉める。

「待ってるから、着替えて来いよ」
「巡くーん、紅茶とコーヒー、どっちが好き?」

 お母さんのご機嫌な声にげんなりする。
 出かけたいとは思わなかったけど、とりあえず着替えよう。白いTシャツの上にグレイの薄手のパーカーを羽織り、クロップドパンツをはいた。部屋を出ようとしたら、また来客のようだ。インターホンが鳴っている。珍しく来客が多いなと思っていたら、巡とお母さんが部屋までやってきて、お母さんはあろうことか、巡を部屋に押し込んできた。

「母さんがいいって言うまで、ここから出てこないで」
「ちょっと、お母さん!」

 そういうと、音を立てて閉められた。思わず巡と顔を見合わせる。

「……なに、いきなり」
「さあ?」

 そっとドアを開け、様子を見守る。玄関先でお母さんとお客さんがなにか話をしている。

「駿介(しゅんすけ)は?」

 駿介はお父さんの名前だ。

「仕事に行きました」
「アタシが来るって前もって電話を入れていたでしょ! 逃げたのねっ」
「逃げも隠れもしてませんわよ。お仕事なんですから、仕方がないじゃありませんか」

 お母さんの冷たい声にどきどきしてきた。巡はわたしの後ろに立ち、同じように耳を澄ましている。

「お金は?」
「どうしてあなたのために用意をしておかないといけないのですか?」

 ……お金?

「あんた、何様なの?」
「あなたこそ、なんですか。弟にたかって、大人として恥ずかしくないんですか?」

 しばらく、しんと静まり返っている。

「……いいでしょう。今に見てなさいよっ」

 明らかに捨てゼリフと思われる言葉が聞こえ、けたたましい音を立てて玄関のドアが閉まったようだ。

「…………」

 なにかよく分からないけど、わたしが知らないところで大変な状況になっているらしい。ドアに背を預けたら目の前に巡がいて、どきりとした。巡はドアに手を当て、わたしをじっと見下ろしている。なんとなく迫られているような状況に焦る。

「めっ、巡っ?」

 見上げると、視線があった。にやりと笑われ、顔を近づけられた。

「これはいい。キスができそうな状況」
「なっ……!」

 後ずさるけどドアに背を預けている状態なのでこれ以上は下がれない。肩をつかまれた。

「目、つぶれよ」
「なっ、なんでよっ」
「なんでって、そりゃあ、キスするからに決まってるからだろ」

 顔が一気に火照るのが分かった。

「ななななななっ、なにをっ!」
「目の前に無防備な女がいれば、キスをするのが礼儀ってもんだろ」
「いやいやいや、そんな礼儀、ないからっ!」

 わたしは暴れて巡の腕から逃れようとするけど、がっしりとつかまれていて動けない。
 別に巡とキスをするのが嫌な訳ではない。だけどっ、そういう問題ではなくてっ!

「だっ、だれに対しても、こっ、こんなこと、してるんでしょっ!」
「してるように見える?」

 目の前には、数センチで鼻が触れてしまいそうなほどの近距離に不敵な笑みを浮かべている巡の顔。改めて見ると悔しいくらい整った顔をしていて、わたしの心臓は外に音が聞こえているのではないかというほど鳴り響いている。こんなに音がしたら、巡にばれてしまう。
 巡の顔がゆっくりと近寄ってくる。ファーストキスが巡になるのか、なんて思いながら目を閉じる。
 あと少しというところで、背後のドアがノックされた。
 巡は舌打ちをして、わたしから離れる。わたしは激しく緊張していたようで、思わずため息が出た。

「もう、大丈夫よ」
「……うん」

 お母さん、絶対に中でどういう状況か分かっていて、ノックした!
 だけど安心したようながっかりしたような複雑な気持ちで振り返り、ドアを開けようとした。
 ドアノブに手を掛けた途端、背後から抱きしめられた。

「……巡?」
「いやぁ、抱き心地が良さそうな後ろ姿だったから、つい」

 ……巡はこういうヤツだった。
 わたしは巡を振り払い、ドアを開けた。



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