『想いは言葉に乗せて』


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十一*予感(後編)



     **:**:**

 放課後、巡と一緒に台車を押して残りを受け取りに行った。乗り切らなくて、明日も受け取りに行くことになった。わたしたちはがらがらと音を立てながら台車を押し、昨日と同じくらいの時間に信号で止まった。目の前をバスが通っていく。
 昨日と同じように友和はバスに乗っていて、そして隣にぴったりと女の人がひっついていた。

「あ……」

 つぶやきに巡が気がついたことを知ったけど、わたしは慌ててそっぽを向いて知らないフリをした。
 朝はあんなに晴れ晴れとしていたのに、やっぱりあれを見たら、辛い。油断したら泣きそうになるのを必死に我慢して、巡と並んで一緒に台車を押した。美術室についたら巡は慌ただしく出て行った。

「奏乃、申し訳ないんだけどそれ、片付けておいて」
「え、ちょっと、巡! 台車は?」
「明日も借りるって申請してくる!」

 叫ぶように言って、巡は去って行った。

「……もう、なんなのよ」

 だけどなにかしてないと泣いてしまいそうだったから、ちょうど良かった。
 美術室に運んでいたら部員たちが手伝ってくれた。

「うわぁ、このイーゼル、超いいじゃん!」

 みんなが喜んでくれているのを見て、うれしくなる。

「備品シール、どこにある?」
「あ、ここです!」

 みんなで丁寧にシールを貼り、設置したり使わないのは片付けたりした。台車はたたんで、準備室に入れた。

「……あれ?」

 そういえば、美術室の鍵はいつも掛けるけど、準備室の鍵って掛けていたっけ?
 今、どうでもいい疑問がふと浮かんできた。
 なんだか妙にそのことに引っかかり、準備室から美術室に戻る。
 わたし今、どうやって台車を片付けた?
 なにげなくやったことを思い返してみる。
 台車を片付けるために美術室の前の扉から準備室に入って、中から開けてドアを押さえておいて台車を入れた。なにも考えないでそうやったけど、どうして?
 疑問に思い、わたしは美術室を出て、準備室の前の扉に立つ。そしてドアノブをひねる。

「……開かない?」
「なにやってるんだ?」

 巡はどこかから帰ってきたようだ。なんだか表情が引きつっている。

「え、台車を入れようと思って」
「台車? ないじゃん」

 巡はわたしの周りを見て、不思議そうな表情を浮かべた。

「あ、うん。もう入れたんだけど、ちょっと疑問に思ったことがあったから」
「疑問?」

 言外に説明しろと言っている。だからわたしは渋々、口を開いた。

「美術室の中から準備室に入って、中からドアを開けて入れたんだけど、そんなことしないでもここから入れた方が早かったかなって思って」

 わたしの言葉に、ほっとしたような表情を浮かべた。

「馬鹿だな、そこは外からすぐだから、オートロックになってて、鍵がないと開かないんだよ」

 と巡はわたしの後ろにある体育館へと続く扉を指さした。

「へー。そうだったんだ。今まで、気にしなかった」

 そこまで言って、わたしは違和感を覚えた。

「って──」

 巡も気がついたらしい。

「考えるな」

 険しい表情で一言。

「あ、そうだ」

 巡はわたしの考えを遮るように、妙に明るい声を上げた。

「明日、悪いんだけど、オレ以外の誰かと残りを受け取りに行ってくれないか?」
「……へ? なんで突然」
「いや、急用ができた」
「いいけど」
「じゃ、野原にお願いするか。おーい、野原ー」

 巡はわたしから逃げるようにして美術室に入り、野原先輩を呼んでいる。

「明日、悪いんだけど、こいつと一緒に残りを引き取りに行ってくれないか?」
「うん、いいけど。皆本くん、どうしたの?」
「別件が出来て、明日はここに顔出し出来ないから。頼んだな」
「んもー。相変わらず、いい加減というか、突然というか。高くつくよ!」
「へーへー」

 そんなやりとりをぼんやり見ていた。

 家に帰っても、友和からはメールの返事はなかった。今まで、こんなことはなかったので心配になる。
 だけど、今日もバスに乗っているのは見かけた。どうしてメールをくれないのだろう。わたしからメールをするとなんだか催促をしているみたいだから、明日まで待つことにした。

     **:**:**

 放課後になり、美術室に行くと野原先輩はまだ来てなかった。わたしは台車を出すために準備室に行った。
 美術室から準備室には引き戸があり、ここは鍵がない。美術室を出入り出来る扉は前と後ろにあり、どちらも引き戸になっている。こちらは鍵を掛けられる。中から掛ける場合はサムターンを回す。上下の二か所についていて、それは前と後ろも同じ仕組みだ。美術室の鍵は三つついていて、一つは前、もう一つは後ろで三つ目はどうやら、準備室を外から開けるために使用する鍵のようだ。今の今まで、知らなかった。
 わたしは美術室から準備室へ入り中から台車を出し、そのまま出た。ドアを閉め、ノブを回す。
 ……開かない。巡が言っていたように、ここはオートロック……。

「──あ」

 全身から血の気が引いていくのが分かった。大変なことに気がついてしまった。
 ずっと引っかかっていたこと。
 夏休みにわたしの絵が裂かれたことを思い出した。
 巡と二人で鍵を閉めたのを確認して帰ったのに、次の日、鍵が使われていないのに何者かに絵が裂かれていた。いつも準備室の扉の鍵は確認しないけど、ここはオートロックだからする必要がなかった。美術室と準備室の間の扉にも鍵は存在しないから、そこも確認しない。だれかが準備室に潜んでおき、わたしたちが帰ったのを確認してから抜け出し、絵を裂いて何気ない顔をして準備室から出ることが出来たのだ。
 あの絵を裂いたのは、同じ美術部員だった──。そして、賞状の入った額縁も、また……。
 不自然なタイミングで美術部を辞めていった人たち。まさかという思いにくらくらする。

「下瀬さん、お待たせ──って、ちょっと!」

 あまりの出来事に、身体から力が抜けていく。

「ちょっと! だれか来て!」

 野原先輩の悲鳴は聞こえたけど、動くことが出来なかった。

     **:**:**


「はあ……」

 保健室の天井を見ながら、ため息を吐いた。
 わたしは貧血っぽい症状を起こしてしまい、数人に抱えられて保健室に運ばれた。自分がこんなに情けないなんて、初めて知った。
 野原先輩は巡に連絡を入れてくれたらしいけど、つかまらないようだ。少し休めば大丈夫ですとは言ったものの、心細いのは確かだ。

「下瀬さん、どう? 起きられそう?」

 カーテン越しに心配そうな野原先輩の声がする。

「あ、大丈夫──」

 ベッドから起き上がろうとしたところ、保健室のドアが乱暴に開く音がした。

「奏乃!」

 巡の声だ。

「野原、奏乃は?」
「ちょっと! 皆本くんもなんなの、その格好!」

 巡がどうかしたのだろうか。

「なんでもねーよ。急いで帰ってきて、転けたんだよ」
「いや……それでも」
「ここにいるのか? おい、入るぞ」
「あ、待ちなさいよ!」

 野原先輩が静止する声を聞かず、カーテンが開けられた。薄暗かったから、まぶしい。思わず目を閉じる。

「……奏乃」

 心配そうな声にゆっくりを目を開ける。目の前には、あちこちすり切れた巡が立っていた。

「なに、巡。なんでそんなにぼろぼろにっ」
「なんでもねーって。それより奏乃、おまえこそ大丈夫かよ」
「うん、わたしは、大丈夫──」

 大丈夫なわけ、なかった。だけど巡に心配をかけたくなくて、笑みを浮かべる。

「ったく」

 巡は困ったような表情をして、一度、後ろを向く。

「野原、わりぃ。あとは大丈夫だから」
「……そう? 下瀬さんのかばん、ここに置いておくね」
「おう。サンキュ」

 野原先輩が保健室から出て行くのが見えた。巡はそれを確認するとカーテンを閉めた。わたしはベッドに上体を起こす。巡が近寄ってきた。

「野原から奏乃が倒れたなんて留守電が入っていて、びっくりしたよ」
「あの、ごめんね。大したこと、ないからっ」

 笑ってごまかそうとしたら、突然、巡がわたしを抱きしめた。巡の胸に顔を押しつけられ、息が止まる。

「頼むから、我慢するな。見てて辛い」

 喉の奥から絞り出すような声に、わたしは慌てる。

「我慢なんて、してないって」

 そう口にすると、巡の汗の匂いと土の匂いがした。ちょっとだけ、鉄臭い。

「それより、巡の方がっ!」
「オレのことは気にするな。こんなの、擦り傷だ」

 よく見ると、上の半袖シャツはかなり汚れているし、破れている。ズボンもすれていて、土まみれだ。

「巡、なに、してた……の?」

 転けたと言ってたけど、これは明らかに違う。見覚えのある汚れ方だけど、何か思い出せない。

「なんでもないって。それよりも奏乃、帰れるか?」

 いくらわたしが聞いても、なんでもないと言い張って巡はごまかそうとしている。

「わたしは大丈夫! 巡の方が……」
「こんなの、なめときゃ治るって」

 巡はなんでもないという表情をすると、わたしのかばんを持ってくれた。

「あ、残りの荷物……」
「んなの、気にすんな。明日、取りに行けばいいだろ」

 そう言われたら言い返せない。
 少しふらつくなと思いながら、わたしは巡の後ろをついて歩いた。

 家に帰ってもなんだか気分がすぐれない。
 ぼんやりとベッドに横たわっていたら、メールが来た。のろのろと起き上がり、携帯電話を開く。友和からのメールだった。
 久しぶりのメールに安堵を覚え、中を見るとたった一言。
『明日、十六時に駅前で待つ』
 とだけあった。
『分かりました』
 と返事を送る。
 友和からはもう、返事はなかった。わたしはまたベッドに横になり、目を閉じた。


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