『想いは言葉に乗せて』


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十一*予感(前編)



 友和に誘われ、週に一・二度の割合で敵地の偵察にわたしたちは出かけた。相手チームの弱点を探すことはどこでもされているような気がするけど、だんだんと自分がなんのために絵を描いているのか分からなくなってきた。

「……ごめんなさい」

 すごくいい動きをする選手がいたにもかかわらず、わたしは絵がまったく描けなかった。今までだったらうれしくて無我夢中で描いていたというのに。

「気にするな。おれは自分の目で見ることができたから、大丈夫だよ」

 と友和は慰めてくれるけど、頼りにされているのに期待に応えられない自分に対して、だんだんと嫌になってくる。

「土曜日は久しぶりに練習場でみんなと練習だから、良かったらまた、気兼ねなくおれたちをスケッチしてくれよ」
「……はい」

 なんだか気持ちがすごく沈んでしまう。
 それはクラブ活動にもかなり影響してきた。サッカー部の練習を見ても、まったく絵を描く気持ちにならないのだ。

「元気ないみたいだけど、どうした?」

 巡が心配して声を掛けてくれる。

「……うん、なんでもない」

 無理して笑みを浮かべたけど、巡の表情は反して真剣になる。

「また、我慢してる」
「そんなこと……ないよ?」

 一生懸命に笑ってみせるけど、巡はごまかせなかった。

「ここのところ、全然絵を描いてないじゃないか」

 巡は最近、副部長としての仕事が忙しいようであまりわたしのことをかまっていられないといった様子だったし、わたしもいつまでも巡に甘えていられない。だから気がつかれてないと思っていたのに、ちゃっかり見ていたようだ。

「まあ、気が乗らなくて描けない時もあるよな。そういうときは二通りあって、無理してあがいた方がいい場合と、そういう気になるまで待つ時とある。どちらがいいのかは分からないけど、無理はするな」
「うん、ありがと」

 その気持ちがうれしくて、ようやくきちんと笑顔を浮かべることに成功した。巡はなんだかまだ言いたそうな表情をしていたけど口を閉じた。

「そうだ、奏乃。明日、クラブの備品の買い出しに行くから、つきあえよ」
「えっ。なんでわたしが? 野原先輩は?」

 今期の部長になったのは野原知絵だ。長谷川先輩に負けず劣らず、ぐいぐいと美術部を牽引していってくれる頼りになる先輩だ。

「野原と手分けして買い出しに行くんだ。あいつは細々した物で、オレはちょっと大物なんだよな。壊れてるイーゼルを入れ替えたりするし、実際、絵を描くヤツが使いやすいものの方がいいし、ちょっと一緒に見てほしいんだよ」

 そういえば今年度の初めにそんなことを言っていたような気がする。備品が古くなってきているので予算を多めにもらったから一気に入れ替えようということを。

「通販で頼むって言ってなかった?」
「最初、そのつもりだったんだよ。だけど、部員のだれかが閉める店が近くにあって、格安で譲ってくれるから行ってきたらって言ってくれて」

 その話、わたしも小耳に挟んだ。わたしもたまに利用させてもらっている文房具のお店で、高齢で跡取りがいないから閉めるという話。残念だなと思っていたのだ。

「うん、いいよ」
「じゃ、明日の放課後な」
「うん」

 わたしたちはいつものように別れた。

 そして次の日の放課後。
 かばんは美術室に置き、お財布とメモを持って出かけることにした。いつもは校門を出てまっすぐに向かうところ、左に折れて中学校を通って目的のお店へと向かう。

「懐かしいなぁ」
「懐かしいって、中学校は隣だし、いつも見えてるじゃん」
「そうなんだけど、見てるだけでここまで普段はこないじゃないか」

 言われてみればそうだけど、巡が言うほど懐かしいとは思えない。
 中学校を左手に見ながら歩き、塀が途切れてもさらにまっすぐに歩く。住宅街に入るが、少しすると一階部分が店舗で二階が住居になっている文具店にたどり着く。もう少し先に行くと通っていた小学校がある。小学校の通学路の途中だったから、たまにここでノートや鉛筆、消しゴムといった消耗品を買っていたのを思い出す。それがなくなってしまうのは、切ない。

「こんにちは」

 巡は声を掛け、引き戸を開けて中に入る。中からは小学生たちの声が聞こえてくる。

「はいはい、いらっしゃい」

 奥から真っ白な頭の丸い眼鏡をしたおばあちゃんが出てきた。眼鏡の奥の目は笑っていて、細くなっている。

「画材道具はこの奥に用意してるよ」

 前もって連絡をしていたらしく、すぐに奥へと案内された。

「ちょっと古かったりするけど、大切に保管はしていたから、壊れていたり日に焼けていたりはしないと思うよ。でも、まあ、こんな感じだから、勉強はかなりさせてもらうからね」

 お店の裏口からわたしたちは一度表に出て、倉庫に案内された。そこはかなり埃っぽかったけど整理整頓はされていた。思ったよりがらんとしていて、なんだか淋しい気持ちになる。

「このイーゼル、しっかりしていてなかなかいいよ」

 白っぽくなったビニール袋に被されたそれに張られている値段を見て、驚く。とてもではないけど、予算を大幅にオーバーしている。

「ああ、それに張ってる値段は気にしなくていいよ。売れなかったら処分するしかないから、かなり安くさせてもらうから」

 巡はビニール袋を取り払い、中に入っているイーゼルを取り出す。アルミで出来たもので、かなりしっかりしている。

「これは持ち運びに便利だよ」

 布製の袋に入った物も出された。

「できたらここにあるイーゼル、全部持っていってほしいんだよ」
「え……いや、そんなには」
「捨てるのもなんだし、使って欲しいんだよ」

 他にも木で出来たイーゼルもあり、予定していた数よりかなり多くなる。
 巡とおばあちゃんは値段交渉を始めた。

「予算の半分でいいよ。考えていた値段より多いからね」
「でも……」
「なあに、気にしなさんな。充分、あんたたちで儲けさせてもらった。これらを処分するのにも金が要る。それなのにお金をもらえるのだから、充分だよ」

 おばあちゃんはさらに奥から色々と出してきて、わたしたちに押しつけると言った方がいいような状態でさまざまなものを譲り受けた。

「一度に持って帰れないから、何度かに分けて受け取りに来ます」
「ああ、いいよ。今月中はまだやってるから、閉めるまでに取りに来てくれれば」

 巡はおばあちゃんに提示された金額を支払い、領収書をもらっていた。
 そしてわたしたちは持って帰れるだけの物を持ち、お店を後にした。

「すごくよくしてもらっちゃったね」

 浮かない表情をしている巡を見るとそれしか言えなかった。

「そうだな……。大切に扱わないとな」
「そうだね」

 わたしたちは両肩にイーゼルを抱えて学校へと戻る。
 中学校の塀の手前の信号で巡と一緒に並んで青になるのを待っていたとき、目の前をバスが通っていった。なにげなく中を見たわたしは、そこに乗っている人に自分の目を疑った。
 別にバスに乗っていても不思議はない。だけど今日、アルバイトだと聞いていた。もしかしたら予定が変更になったのかもしれない。そこまではいいのだ。混んだバスの中、友和はつり革につかまって立っていた。そして──その横に、見知らぬ女性が親しそうに友和の腕に絡みついていたのだ。二人は顔を見合わせ、楽しそうに笑っていた。わたしといるとき、友和はあんな風に笑っていたことがない。しかも、ふとした拍子にキスが出来てしまうのではないかというほどの距離。
 歩行者信号が青になり誘導音が耳に届いたけど、動けない。
 今のは、なに?

「奏乃?」

 巡は信号を途中まで渡り、ついてこないわたしをいぶかしく思ったらしく、戻ってきた。信号が変わるという警告音が鳴り始めた。

「やっぱり、重かったか? 疲れた?」

 立ち尽くしているわたしの側まで来て、巡はわたしの顔をのぞき込んできた。信号が赤になり、目の前を車が通り過ぎていく。

「え……あ、ううん。ごめん、ぼんやりしてた」

 巡はわたしの持っているイーゼルを一つ受け取り、持ってくれた。

「重かったよな、ごめん」
「いや、重くないよ、大丈夫!」

 巡はめいっぱい持っているのに、さらにわたしの持っているイーゼルまで持ってしまった。

「いいよ、オレが無理矢理付き合わせたんだから」

 信号が青になってわたしが渡るのを確認して巡は後ろからついてくる。
 さっき見たのはなんだったのだろうか。もやもやとした気持ちのまま、わたしは巡と一緒に美術室へ戻った。

     **:**:**

 家に帰り、友和からはいつものようにメールが届いた。今日もアルバイトだったと書かれている。
 それでは、さっきのは見間違え?
 いや、それはないと言い切れる。だって、ずっと友和のことを見てきたし、絵も描いてきた。動いているバスに乗っていたから一瞬だったけど、それでもあれは友和だった。
 バスに乗っているのを見たよって何気なくメールをすればいいのかもしれないけど、なんて答えが返ってくるのか分からなくて、そして真実を知りたくないわたしは何事もなかったかのようにお疲れさまと返しておいた。なにがなんだか分からない。
 そしてふと、先日の練習場でのやりとりを思い出す。
 キャプテンを見に来ている人たちが意味深に目配せをして、わたしのことを哀れむように見ていた。
 嫌な可能性が脳裏によぎる。わたしはそれを必死に否定して、首を振る。だけど、考えれば考えるほど、その方があり得る話で……。どうすればいいのか分からない。
 思い切って友和に聞いた方がいいのかなと思い、メール作成画面を開いた。
 なんて聞けばいい?
 今日、夕方にバスに乗っていましたかって聞く?
 それとも、あの文具店が閉店するからイーゼルなどを安く譲り受けて、今日、受け取りにいったという話をする? 友和もあのお店を知っているはずだし、小学校に行くときにバスを見かけた道路を通って通学してましたよねなんて話を振ってみる?
 遠回し過ぎるかなと思ったけど、このままではわたしが辛い。巡も我慢するなっていつも言ってくれているし、勇気を出して聞いてみよう。
 わたしは何度もケータイに文字を打っては消し、打っては消しを繰り返し、ようやくさりげないと思われる文章が出来た。
『今日、小学校の近くの文具店に美術部の備品を買いに行きました。久しぶりに中学校の横を通って大通りの信号を渡りましたけど、バスなどが通って怖いですよね。小学生の時、気にせずによくあそこを通っていたなと思いました。お店は変わってませんでしたが、今月末で閉めると聞きました。淋しくなりますよね』
 責めるような文章になっていないか、わざとらしくないかを確認して、送信ボタンを思い切って押した。

「……送っちゃった」

 どっと疲れが押し寄せ、友和の返事を待つことなく、わたしは布団に入った。すぐに眠りが訪れ、そのままわたしは朝まで眠ってしまった。

     **:**:**

 目覚まし時計の音に目を覚ます。よく寝たからか、いつもよりすっきりしている。携帯電話に視線を向けると、珍しくメールが来ているというランプがついていなかった。
 やっぱり、あれは友和だったのだ。妙な確信に悲しいはずなのにわたしの心は晴れ晴れとしていた。
 朝食を食べて学校に向かっていると、後ろから巡がいつものように歩いてきた。

「おはよ。疲れは取れたか?」

 昨日のわたしはひどい顔をしていたらしい。巡が珍しく、わたしをいたわってくれている。

「おはよ。うん、ありがと。昨日、疲れてたみたいだったから、いつもより早く寝たよ。おかげで、だいぶすっきりした」
「そっか」

 わたしの笑みを見て、巡は安堵の笑みを浮かべる。そして、いつものように口の端を上げて、わたしの顔を見る。その表情は毎日見ているはずなのに、なぜか今日に限って、どきりと鼓動が大きくはねる。そしてそれは全身を駆け巡り、動悸が速くなる。

「昨日、用務室から台車を借りられるように申請を出したんだ。放課後、残りを引き取りに行こうぜ」
「え、あ。うん、いいよ」

 巡の顔を直視出来ない。昨日まで、別に恥ずかしくともなんともなかったのに。

「奏乃? なんかオレ、おかしいか?」

 巡はぐっと顔を寄せてきて、わたしの瞳をのぞき込む。

「やっ、なっ、なんでもっ」
「なんだ? オレに惚れたか? おまえな、土井先輩という人がありながら別の男に心惹かれるとか、二股、反対!」
「そっ、そんなんじゃっ!」
「ははっ、そうだよな。んなこと、ないよな」

 巡は明るく笑っている。
 うん、あり得ない。巡に惹かれるなんて、そんなの──。
 自分にそう言い聞かせたのに、なぜか落ち着くどころか余計にどきどきしてきた。巡はわたしのお兄ちゃん代わり。それに、巡は好きな人がいるんだから! ……そうだよ、巡には別に好きな人がいる。ずっと密かに想いを寄せている人が。だから、わたしが好きになったって、片想い。そう思ったら、ようやくどきどきがおさまってきた。
 巡は優しくしてくれるけど、それもわたしが手間がかかるから世話を焼いてくれているだけ。妹みたいなものなのだ、巡にとっては。淋しく思ったけど、今までの巡のわたしに対することを思い出すと、妹としての扱いにしか見えなかった。
 登校して階段で別れる。教室に入って携帯電話を見るけどやっぱりメールは来ていなかった。




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