『想いは言葉に乗せて』


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十*初デート(前編)



 月曜日の朝、登校していたら巡に会ったので、早速、土曜日のスケッチを見せた。

「相変わらずよく描くよなぁ」

 感心したように巡はスケッチをめくっていく。

「ところで、最初の頃はずいぶんと荒いけど、なんでだ?」

 いつもと違う描き方になっていることにすぐ気がついた巡はそう質問してくる。

「相手チームの動きがすごく速くて、最初、目で追えなくて……」
「ふーん。しっかし、動体視力、すごくないか?」
「……動体視力?」

 巡は眼鏡のフレームを押し上げながら、口を開く。

「動体視力ってのは、動いている物を識別する能力のことを言うんだよ」

 初めて聞く言葉に、巡はなんでもよく知っているなという感想しかなかった。

「そうか。それで奏乃は静止してる物をデッサンしたがらないのか」

 どういうことか分からず、首をかしげる。

「奏乃はたぶん、そこにただあるだけの物を描くのを好まないんだよ」

 そういう訳ではないけど、言われてみたら石膏像をデッサンしていてもつまらないと感じているのは確かだ。

「なるほどね」

 巡はかばんを持ちながら器用にめくって見て、一通り目を通してクロッキー帳をわたしに返してきた。

「ありがと。なかなか面白い絵を見させてもらった」

 戻ってきたクロッキー帳を抱え直し、わたしたちは学校へ向かった。

 土曜日はあいにくの雨だった。
 キャプテンに渡すと約束をしていたけど、どうすればいいのだろう。
 悩んでいたら、友和からメールが入った。
『今、駅前にキャプテンと来てるんだけど、出てこられる?』
 だらだらとしていたわたしは慌ててベッドの上に起き上がる。
『少し待ってもらえたら、行けますけど』
『じゃあ、クロッキー帳を持ってきてもらえる? 新しいのと交換したいってキャプテンが言ってる』
 これで約束が果たせる。
『分かりました。今からそちらに向かいます』
 ベッドから飛び降りて、着替える。

「お母さん、ちょっと出てくる!」

 わたしはそれだけ叫び、家を飛び出した。
 外に出ると思っていたより雨は降っていなかった。それでもクロッキー帳を濡らさないようにしっかりと抱えて、駅へと向かう。
 わたしの住むマンションから駅までは徒歩で十分くらいだ。少し足早に歩く。そして指定されたチェーン店のカフェの前にたどり着いた。そこにお店があるのはもちろん知っていたけど、入ったことがなくて躊躇してしまう。だけどすぐに友和は気がついたようで、中から出てきてくれた。

「すみません、お待たせしました」
「いや、大丈夫。それより突然呼び出して、ごめん」

 傘をたたんで傘立てにしまうのを手伝ってくれて、一緒に店内に入る。

「悪いね、来てもらって」

 キャプテンはサンドイッチを美味しそうにほおばりながら、前に座るように指示してきた。隣に友和が座った。

「なにか飲む?」

 友和がレジの上にかかっているメニューを指さして聞いてきた。

「え……と」

 なんだか見たことも聞いたこともないメニューが並んでいて、戸惑ってしまう。その中に見覚えのある『紅茶』を選んだ。

「ホット?」
「あ、はい」

 友和は確認すると、レジに向かった。

「早速なんだけど」

 キャプテンはサンドイッチをすっかり食べ終わり、なにか飲み物を口にしながら口を開いた。

「俺たちからのお願いなんだけど……」
「お願い、ですか?」

 友和がわたしが頼んだ紅茶を手に、席に戻ってきた。

「これは突然呼び出した、おれたちのおごり」
「あ……すみません」

 わたしは素直に受け取り、砂糖とミルクを入れる。

「キャプテン、話は?」
「いや、まだしてない。お願いがあるとだけ」

 そういうと、二人は目配せをした。
 ……なに?

「すごく勝手なお願いだと思っているんだけど……。これから数週間、土井と一緒に放課後、あちこちの練習場に行って、スケッチをお願いしたいんだ」
「スケッチ……ですか?」

 突然のお願いに、戸惑う。

「交通費はもちろんこちらで持つし、そこで発生したお金も、消耗品もこちらで持つ」

 その申し出にどうすればいいのか分からない。隣に座る友和に視線を向ける。

「奏乃も学校があるし、放課後はクラブ活動があるからそれはちょっと無理だよって言ったんだけど……。もちろん、無理なら断ってもらってかまわないから」

 とは言うけど、二人の表情はすごく困っている。

「わたしがそれをしたら、みなさん、助かりますか?」

 友和とキャプテンはまた、顔を見合わせる。

「……もちろん、助かる」
「でも、強要はしないから」

 キャプテンと友和はそう言ってきた。だけど、本当に困った表情をしているのを見たら、断れる訳がない。

「あの……毎日は無理だと思いますけど、出来る範囲でしたら」

 その一言に、二人の表情は晴れる。

「さすがに毎日は無理だよな。おれだって、アルバイトあるし、練習もさせてもらわないと」
「週に二・三回でいいんだ」

 そう言って、キャプテンはクロッキー帳をどっさりとわたしに託してきた。

「あ、それと交換な」

 わたしが持ってきたクロッキー帳を大切に受け取り、キャプテンは立ち上がった。

「土井、行く場所はまた、改めてメールするから。えっと……下瀬さんだっけ? よろしくな」

 そういうと、キャプテンは慌ただしく出て行った。わたしと友和は残されてしまい、戸惑う。

「奏乃……その、ごめんな」

 何度か聞いた謝罪に、わたしは首を振る。

「とっ、友和とたくさん会えるから、うれしいな」

 わたしは無理矢理に笑みを浮かべ、そう口にした。友和はわたしの顔を見て、気まずそうに視線を逸らした。

     **:**:**

 日曜日の夜、友和からメールが来た。
 明日の都合はどうかという内容だ。
『明日は美術部のミーティングがあるので、ちょっと無理です』
 早速、行けないというメールを返してしまい、心苦しくなる。
『火曜日は?』
 火曜日は特に問題がなかったような気がするから、大丈夫と返事を返した。
『じゃあ、火曜日、授業が終わったら練習場に来て欲しい』
 分かりましたとメールをして、携帯電話を閉じる。
 なんだかよく分からないけど、心の奥がもやもやとする。別に悪いことをしている訳ではないはずなのに、なんで後ろ暗いと思ってしまうのだろうか。晴れない心のまま、学校へと向かう。

「土曜日に駅前で土井先輩といるところを見たけど、どこかデートにでも行ったのか?」

 通学途中に巡と会い、開口一番に質問された。

「ううん。駅前でお茶しただけ」

 土曜日、さすがにクロッキー帳が重くて一人で持って帰れなかったので、友和が途中まで持ってくれた。そこを目撃されたのかもしれない。

「駅前で会ってお茶だけ? どこにも行ってないのか?」
「うん。平日は大学と練習とアルバイトが忙しいし、土曜日も練習でしょ、日曜日は稼ぎ時だって言って、アルバイト」
「……おまえさ、それって本当に付き合ってるのか?」

 巡の疑問に、わたしは首をかしげる。

「普通って……どうなの?」

 なにがどうおかしいのか分からなくて、質問を返してしまう。

「なにをもって普通と言うのかは知らないけど、一般的には遊園地に行ったり映画を見に行ったりしてきゃっきゃうふふするのが年頃のお付き合いってヤツじゃないのか?」
「……きゃっきゃうふふってなによ」
「そのままだよ。手を繋いだり、腕を組んだり、抱き合ったり、あまつさえいい雰囲気になったらキスしたりだな!」

 ……ない。
 友和は忙しいから、練習場に行って会えたらそれで満足していた。デートをするなんて想像もしてなかった。

「はー。エロいくせにそういうことに疎いって、ほんと、奏乃は手間がかかるなぁ」

 呆れたような言葉に、わたしは口をとがらせる。

「エロくないってば!」

 巡はとがらせたわたしの口をつまみ、声を上げて笑う。

「ぷぷぷっ、あひる顔」

 大きく手を振って、巡の手をはがす。

「もうっ! やめてよ!」

 巡は同じように口をとがらせてからかいの笑みを浮かべている。

「もう、やめてよぉ」

 似ても似つかないわたしの真似をしている。

「……似てない」

 むっとして巡に背を向けると、駆け寄ってきた。

「なんだ、似てると思ったのになぁ」

 いつもの調子に、あきらめのため息が出る。

「エロいって人のことを言うけど、巡の方がよほどエッチじゃないの」
「だから、オレは健全な男子高校生! エロくてなにが悪い!」

 胸を張って言うようなことなんだろうか。

「はいはい、わかった」

 いつものことだけど、あきれてしまった。

 火曜日の放課後。
 ホームルームが終わると同時に、わたしは教室を飛び出した。家に帰り、着替えるとちょっと出かけてくると叫んで、クロッキー帳をつかんで家を飛び出す。自転車に飛び乗り、練習場へと急ぐ。いつもより早くたどり着いた。
 練習場は人がまばらで、すぐに友和を見つけることができた。

「奏乃」

 友和もすぐにわたしに気が付いたようだ。フィールドから駆け寄ってくる。

「ちょっと待ってて。すぐに着替えてくる」
「はい」

 友和はプレハブの中に入っていった。待っていると、だれかが近寄ってきた。

「あんたさ、なんなの?」

 振り返ると、見覚えのある人たちがそこに立っていた。

「え……あの?」
「目障りなのよね、あんた」

 そうだ。この人たち、いつもキャプテンの応援に来ている人たちだ。

「キャプテンだけに飽き足らず、新入りにまで手を出すなんて、あんた、なんなのよ」
「だけど、あの人に……ね」

 わたしを取り囲んでいる女の人たちは全員、目配せをしている。馬鹿にしたような、優越感に浸ったような、それでいて憐れんでいるような。戸惑い、視線を送ったところ、プレハブの扉が開いた。その音を聞いて、わたしを取り囲んでいた人たちはぱっと散って行った。
 なに、今の……?

「奏乃、お待たせ」

 友和はグリーンのディバッグを片側に掛けて、出てきた。黒い半そでシャツにブルーのジーンズ。そういえば、友和の普段着ってこの間の雨の日の土曜日に見て以来かもしれない。
『それって本当に付き合ってるのか?』
 巡の質問を、ふと思い出した。そこで初めて、わたしは今の状況に疑問を抱いた。

「じゃ、行こうか」

 その一言に、思考を遮断された。

「……あ、はい」

 友和についていくと、駐輪場に向かっている。友和も自転車で来ていたようだ。わたしも自転車を持ってきて、またがった。

「ここから十分くらいのところにある場所に向かう」
「はい」

 友和が先に走り、わたしが後を追う。ときどき、わたしを気遣うように後ろを振り向きながら走ってくれる。
 気になることはたくさんあったけど、今は考えないことにした。
 十分ほど走った先に、練習場が見えてきた。友和が手前で自転車から降りたので、わたしも同じように降りた。自転車を端に寄せるとそこに止めた。

「おれは顔が割れてるから、奏乃一人で行って、練習風景をスケッチしてくれない?」

 いぶかしく思いながら、わたしは一人で練習場へ向かい、スケッチをする。三十分くらいで切り上げ、自転車の場所に戻る。友和は携帯電話をいじっていた。

「お待たせしました」
「お、思ったより早かったな」
「あんまり描きごたえのある人がいなくて」

 わたしの一言に友和は少し目を丸くして、そしてくっと喉の奥で笑う。

「奏乃は手厳しいな」

 わたしたちは自転車にまたがり、家へと向かった。暗くなってきたのでライトをつける。少し前に友和の自転車とライト。その後ろを追いかけるように、わたしの自転車のライト。
 そのライトは、決して重なることはない。なにかを象徴しているようで、気持ちが沈み混んできた。

「じゃあ、また連絡するな」

 すっかり暗くなった中、友和はわたしをマンション前まで送り届けてくれた。

「はい。おやすみなさい」

 ちょっと早いような気がしたけど、直接そう言えることがなかったから、言えることがうれしい。友和のはにかんだ笑顔が見えた。なんだかそれだけでもうれしくて、弾む気持ちで自転車を片付け、家に帰る。
 


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