九*サッカーとスケッチ(後編)
第二試合が始まった。友和のチームとキャプテンのいるチームだ。これは苦戦するなと思っていたら、キャプテンは確かに上手だけど、周りの人たちが足を引っ張っているような状況になっているため、友和のいるチームは善戦している。それを見て、サッカーってチームプレイなんだということを知った。
春休み中は先輩たちが友和をいじめていたのに、今はそんなことをみじんも感じさせないほど、連係プレイが出来ている。あの出来事があったから、逆に絆が出来たのかななんて思ってしまう。一方、キャプテンチームはキャプテンが上手すぎて、周りの人が萎縮している部分もあるようだ。
「あ……」
キャプテンの素晴らしいパスを取り損ね、友和チームが奪っていく。普通だったら、あのパスは受け取れたはずだ。あまりのばらばらな動きに見ていて歯がゆい。
「ああっ!」
今のドリブルだって、あんなに簡単にカットされないはずだ。それとも、やっぱり基礎が出来てないせいだろうか。見ていて、だんだんといらだちが募る。
もちろん、友和チームが勝ってくれるとうれしいけど、でも、こんな歴然とした差がある状況で勝ったってつまらないはずだ。
ゲームの後半になり、友和がストップを申し入れている。ここにいても聞こえないけど、キャプテンに対してなにか言っているようだ。キャプテンチームの人たちの顔色が変わるのがここにいても分かる。あんなことして、友和は大丈夫かな……。
ホイッスルが鳴り、試合が続行された。
「……やっぱり」
予想通り、友和がターゲットになってブロックされたりわざとボールをぶつけられたりしている。なんなの、あの陰湿で分かりやすい人たち。キャプテンは気がついていながら、なにもしようとしない。
「あ……れ」
いや、違う。さりげなくボールをカットしたり、パスを強引に受け取ったりしている。なんだか面白い展開になってきた。
友和の投げかけた爆弾発言(だと思う)のおかげで、キャプテンチームの動きが格段に良くなってきた。闘争心をあおるのが上手だな、なんてのんきに見ている場合ではなくなってきた。前半とは違い、後半は目が離せない展開になってきた。だけどそういう状況だからか、粗が目立ってきた。もしかして、友和はこれが狙い……?
わたしはとにかく、目についた気になる人たちをスケッチしていく。手が追いつかなくて、痛くなってきた。だけどそれを押して、出来るだけ残していく。
ホイッスルがフィールドに鳴り響き、試合終了を告げた。結果、友和チームが勝った。
友和を探すと、わたしに向かってVサインを送ってきた。だからわたしも、同じように返した。
少し休憩を挟んで、第一試合で勝ったチームと友和たちのチームが戦うことになった。
どちらのチームも譲らずで、結局、点が入らずにPK戦となった。シュートする姿を見て、描き写していく。
「へー。ほんとだ。紙に線が見えているとしか思えない速さだな」
突然、横から声がした。驚いて見ると、木の陰からキャプテンが現れた。
「あ、こっ、こんにちは」
フィールドは勝敗がつき、友和がゴールを入れた一点が効いて、勝ったようだ。
「土井もいい彼女を持ったな」
にやりと笑みを浮かべ、キャプテンはわたしの手からクロッキー帳をするりと抜き取る。そして熱心に試合風景を見ていく。
「やっぱりこいつら、基礎がなってないな」
それはわたしも気になっていた人たちだった。
「本当にサッカーをやったことがないのか?」
見終わり、キャプテンはクロッキー帳を手にして、わたしをにらみつけている。背の高いキャプテンを見上げるような状態で、わたしはまっすぐな視線で答える。
「ないです。一年間、千川原高校サッカー部の基礎練習をずっとスケッチしていただけです」
「……なるほど。それで土井は基礎がしっかりしてるのか」
キャプテンはクロッキー帳を閉じて、わたしに返してきた。
「今度、土井と一緒に他のチームを見に行こう」
突然のお誘いに、ぽかんと口を開け、キャプテンを見つめる。
「ははっ。間抜けな顔だな。改めて誘うから、来てくれよな。それ持って」
キャプテンはわたしに返したクロッキー帳を指さした。
「……はあ」
間の抜けた返事しか出来なかった。キャプテンがなにを考えているのか、わたしには分からなかった。
**:**:**
『今度の土曜日、練習試合をすることになった。ちょっとだけ試合に出してくれるらしい。来られる?』
週の半ばに友和からメールがきた。
『大丈夫です。応援に行きます!』
一年生なのに少しでも試合に出させてもらえるなんて、友和はやっぱり、すごいらしい。
「友和がね、土曜日の練習試合に少しだけど出させてもらえるらしいんだ!」
うれしくて巡に話をしたら、首をかしげてなにかを考えている。
「……ああ、友和って土井先輩か。下の名前で呼ぶようになるなんて、進展してるんだな」
「しっ、進展なんて大したものじゃないけど、いや、ほら、名前で呼んで欲しいって言われたから……」
恥ずかしくて、言い訳を口にしてしまう。
「次は手を繋いで……あ、もうとっくに繋いでたりするか?」
そういえば、手は繋いだことはないけど、だっ、抱きしめられたり……はした。思い出して、顔が真っ赤になっていくのが分かった。
「……うん、奏乃のエロさは変わらず、と」
「やっ、そそそそ、そんなんじゃないって!」
慌てて否定するけど、巡はにやにやと笑っているだけだ。もうっ、信じられない!
「だけど、上手くいってるのなら良かった」
そういった巡は少しだけ淋しそうだった。
「なにか困ったことがあったら、遠慮せずに相談しろよ」
「うん、ありがと」
巡はわたしの髪の毛をくしゃっとかき回す。その手が温かくて、妙に安心する。
「巡ってなんか、お兄ちゃんみたい」
その言葉に巡は口の端を上げ、わたしの顔をのぞき込む。
「ほんと、手間のかかる妹だよ。危なっかしくて、見てらんない」
からかうような瞳をにらみ返した。
「どこがよ!」
「全部」
巡はそう言うとわたしのおでこを軽くはじき、数歩前に進んだ。
「土曜日、気をつけてな」
「うん、ありがと」
はじかれたおでこを軽く押さえ、巡を見上げる。そこにはいつもとは違った優しい瞳があって、少し戸惑った。
土曜日。
九時より少し前に練習場に到着すると、驚くほど人があふれていた。わたしはどうにか人の間をぬって、いつものところに到達する。するとすぐに友和は気がついたようで、手を振ってきた。わたしも手を振り返す。
相手チームがどこかは聞いていない。だけど、この観客の多さがどれくらいの相手なのか、なんとなく分かる。
友和はキャプテンになにか囁いている。やっぱり二人して、こちらを見ている。恥ずかしくなって、木の陰に隠れた。
試合が始まり、友和は先発メンバーには選ばれなかったようで、ベンチに座っている。
ホイッスルが鳴り、試合が始まった。
「う……わぁ」
圧倒されてしまった。
相手チームのキックオフから始まり、素早いパスにあっという間にシュートを決められた。予想以上に早い展開。これはもっと気を引き締めて行かねば。背筋を伸ばし、クロッキー帳に鉛筆を走らせる。
最初の頃は素早い動きに追いかけるのがやっとだったけど、目が慣れてきたらスケッチできるくらいになってきた。
動きは素早いけど、意外にもフォームがぐちゃぐちゃだ。描くのが辛くなってきた。
ホイッスルが鳴り、メンバー交代が告げられる。どうやら、時間を区切って半分ずつメンバー交代をする形でゲームをすすめるらしい。両チームとも、半分が入れ替わった。困った。描くのが大変だ。とりあえず、気になる人をピックアップして描く。余裕があれば、全員描こう。
前半戦が終わり、得点は開始数秒で入れられた一点のみ。後半で巻き返すことは可能だ。
休憩を挟み、後半戦に突入した。メンバー全員が入れ替わり、友和が中に入っている。
今度は友和たちがキックオフ。友和は高校の時と変わらないポジションのようで、ミッドフィールダー。相手の陣地の真ん中で待機していて、パスが回ってくると周りを見て、ドリブルしたりフォワードにパスを回したりしている。パスを回して相手チームを翻弄して、見事にシュートを決めた。
「やった!」
相手チームに比べたらスローだけど、でも確実にパスが届く。そういえば、友和たちのチームの人たち、軸が以前よりしっかりしてきたような気がする。注意深く見ていると、以前は見られていたたまに崩れるフォームが目立たなくなってきている。
後半も半分過ぎると、またメンバーが交代になった。今度は半分ではなく、全員が交代になる。接戦になり、だけどどちらも譲らず。結局、一対一の引き分けで終わった。PK戦で勝負をつけるのかと思ったら、これで終了のようだ。フィールドの中心に集まり、お互い挨拶をしている。
はーっと大きく息を吐いた。
この試合、お互いがベストメンバーでやっていたらどうなっていたのだろうか。
試合が終わり、帰って行く人たちをぼんやりと眺めていたら、キャプテンがやってきた。
「よっ」
気安く声を掛けてきて、当たり前のようにわたしの手にあるクロッキー帳を抜き取る。
「さすがに動きが速くて、描ききれなかった?」
最初の頃を見て、そんな感想を述べている。
「相手チーム、動きが速くて、なかなか目が追いつきませんでした」
「ははっ、そうだよな。普通……ん?」
キャプテンの手が途中で止まった。
「あの……なにか?」
「これ、前半戦の前半だよな?」
開いているページを見せられ、確認される。
「はい……そうですけど。たぶん、そのあたりから目が慣れてきて……」
キャプテンの表情は真剣になり、徐々に険しくなっていく。
「これ、もらってもいいか?」
突然の申し出に、わたしは慌てた。
「えっ、あのっ。それ、返してもらわないと、困りますっ」
キャプテンはわたしの顔をじっと見て、提案をしてきた。
「……新しいのと交換でいいか?」
巡に見せるという約束をした手前、それはちょっと困る。
「あの……困ります……」
うつむき、小さな声でつぶやく。
「……そうだよな。すまない、無理を言った」
キャプテンは渋々といった表情でわたしにクロッキー帳を返してくれた。だけどじっと未練がましく見ている。
「あの……来週の土曜日でよければ」
巡に見せた後ならいいだろう。キャプテンの表情を見ていたらそう言わないといけないような気がしてしまった。
わたしの提案にキャプテンの表情は急に晴れやかなものになる。
「本当か? 分かった! 土曜日に新しい同じ物を用意しておく。交換しよう!」
そう言って、それはなんといってどこに売っているのかと聞かれた。文房具を売っているお店に行ってクロッキー帳と言えば買えると伝えると、それはもう、すごくうれしそうな顔をして、去っていった。
わたしは不思議に思い、首をかしげてキャプテンの後ろ姿をじっと見つめていた。