『想いは言葉に乗せて』


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九*サッカーとスケッチ(前編)



 新学期が始まった。
 土井先輩とは相変わらず、毎日メールだけのやりとり。お互い学校があるし、土井先輩は毎日、練習をしている。平日は夕方から土日は午前中に練習をしているらしいから、土日に行こうと思っている。
 平日は惰性で美術部に出ていた。巡も出てきているし、たまに茶化すように絡んでくるけど、明らかに距離をとられている。朝も夕方も前と変わらず一緒に登下校している。今も巡と一緒に下校中だ。

「土井先輩とはうまくいってるのか?」

 たまに心配して、巡はわたしにそんな質問をしてくる。なんだかまるで、お兄ちゃんのようだ。

「うん。毎日、メールのやりとりはしてるよ。それに、今度の土曜日、練習を見に行くんだ」

 巡は口の端を持ち上げ、口を開く。

「奏乃のことだから、練習を見に行っておきながら、スケッチしてるんだろ」
「……やっ、やだなぁ。なんで分かったの?」

 わたしの答えに、巡は呆れた表情を向けてきた。

「……やっぱりそうか。明らかに病気だな」
「うん、わたしでもそう思う。土井先輩も上手だけど、キャプテンを見てたら描きたくなってきて、ついね」

 巡は笑い声を上げてわたしを見る。

「あはは、相変わらずなんだ。で、今、その絵は?」

 わたしはかばんからお絵かき帳を取り出して巡に渡す。巡は受け取り、首をかしげている。

「……お絵かき帳?」

 中を開き、ぱらぱらと見始めた。

「これが?」

 シュートをしようとしているキャプテンが描かれた絵を見て、聞いてくる。

「うん。その人がキャプテン」
「確かに、奏乃の絵を見ただけでも他の人と違うのがよく分かる」

 クレヨンで荒く描かれたスケッチを見終わると、巡はわたしに返してきた。

「土曜日、練習を見に行くんだよな」
「うん、そうだけど」
「クロッキー帳、持って行けよ」
「うん、そのつもり」
「描いたらまた、見せて」
「うん、分かった」

 わたしが住むマンションに到着したので、いつものように手を振って中に入る。
 夕飯を食べて、お風呂に入って宿題を始める。いつも終わる頃か、途中のあたりで土井先輩からメールが入る。
 今日は宿題が終わって、予習をぼんやりとしているところにメールが来た。
『大学生活もサッカーの練習もだいぶ慣れてきたし、そろそろアルバイトでも始めようかと思っている』
 アルバイトかぁ。なんてぼんやり思う。
『アルバイトってなにをするんですか?』
 アルバイトはしてみたいなと思ったけど、残念ながらわたしが通っている高校は禁止だ。だから大学生になったら絶対にやりたいと思っていること。だけどお父さんの反応をみたら、ダメって言われるんだろうなぁ。思わず、ため息がこぼれる。
 少しして、メールが返ってきた。
『コンビニのレジか、ファーストフードのレジのどちらかがいいかと思ってるんだけど、奏乃はどっちがいいと思う?』
 どちらも接客商売と知り、悩む。
『時給がいい方、かなぁ』
 結局、選べなくてそんないい加減な答えを返してしまった。
『現実的な答えが返ってきて、びっくりした』
『わたし、接客はちょっと苦手だから、それならお金がいい方を選びます』
『奏乃は接客、苦手なの? 文化祭の時、喫茶室ですごい頑張っていたから意外だ』
 喫茶室と言われ、大変だったことを思い出す。

「……というか、ちょっと待って」

 そこで重大なことに気がつく。
『えええっ。文化祭の時、見てたんですかっ?』
 そうなのだ。まさか土井先輩が告白する以前からわたしのことを知っていたなんて思ってもいなかったのだ。
『実は……。入学式の日に、○×クイズの最後に奏乃が転けただろ? その時から、気になっていたんだ』
 ──ちょっと待って! どどどど、どーいうことっ?
 動揺しているわたしに追い打ちをかけるように続けてメールが届く。
『ずっと気になっていたんだけど、常に皆本が側にいたし、てっきり付き合ってるものだと思っていたんだけど……』
 えーっ。うそだぁ。
『巡とは中学の時からの腐れ縁で、そんな仲じゃないです!』
 なんだか誤解されているのが嫌で、はっきりとそのことを否定したメールを送る。
『なんだ、そうだったんだ』
 誤解は解けたと知り、身体から力が抜けた。
『わたしが好きなのは、土井先輩です』
 そうメールをして、恥ずかしさのあまり、布団に潜り込んだ。どさくさに紛れて、改めて告白なんて、恥ずかしい!
 すぐに返事が来た。
『奏乃からの告白、うれしいけど、そろそろその他人行儀な呼び方、変えて欲しいな』
 ……他人行儀? わたしは顔に火照りを感じながら、土井先輩に送ったメールを読み返す。

「あ……」

 そうだ。土井先輩はわたしのことを
「奏乃」
と呼んでくれているのに、わたしは未だに土井先輩のことをずっと、土井先輩と呼んでいる。なんて呼べばいいのか分からなくて、結局、今まで通り呼んでいるのだ。
『なんて呼べば、いいですか?』
 今更そんなことを聞いている自分がかっこ悪いと思いつつ、お伺いを思わず立ててみる。
『友和って呼んで欲しいな』
 という返事に、恥ずかしくなる。

「とっ、友和なんて、呼べないよ!」

 口に出して言うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。
『皆本は巡って呼んでるのに、おれのことは名前で呼んでくれないなんて、不公平だ』
 そう言われると、反論出来ない。
『分かりました。友和って呼べるように練習します』
 真面目にそう返したら、明らかに笑っていると思われる返事が来た。
『奏乃はほんと、真面目だなぁ。そろそろ寝ようか。おやすみ』
 だって、いきなり友和なんて呼べるわけがないじゃない。今までずっと、土井先輩で来たのに。
『はい、おやすみなさい』
 おやすみのメールを送り、携帯電話を閉じた。
 友和……か。もっと親しくなったら友くんなんて呼んでみようかな。

「うわっ、恥ずかしいっ」

 なんてことを考えながら、わたしは眠りについた。

     **:**:**

 土曜日になった。今日はいい天気で、土井先輩……違った、友和たちはサッカーの練習をするだろうから早起きして、自転車に乗って練習場へと向かった。

「おはようございます」

 少し早めに行くと、友和たちはちょうどフィールドの整備が終わったところだったようだ。

「奏乃、おはよ」

 道具を片付けて、わたしのところに駆けてきた。

「あの……その、と、友和……お、おはよ」
「うわぁ。奏乃がおれの名前を呼んでくれた!」

 そういうなり、最後まで挨拶を口にする前に友和はわたしを抱きしめた。突然の出来事に、わたしは激しくうろたえる。

「もしかして、部屋で一生懸命、練習してくれた?」
「え、あ。はい。か、かなり恥ずかしかったですけど……」

 そのことを思い出すと、顔が熱くなる。正直、部屋の中でぶつぶつと
「友和」
と言い続けるのはかなり危険人物だった。お母さんに聞かれなくて良かったと思う。

「あー、もう、ほんっと奏乃はかわいいなぁ」

 わたしを抱きしめる腕の力がさらに強くなり、ちょっと息苦しい。

「とっ、友和、そのっ、く、苦しい」

 そんなにきつく抱きしめられると、さすがに苦しい。

「あ、ごめん。つい、興奮して」

 バツが悪そうな笑みを浮かべ、友和はわたしを離してくれた。

「じゃあ、練習に行ってくるな!」

 いつも以上の笑みを浮かべ、友和はフィールドに走っていく。

「がんばってくださいね」

 見送り、定位置になった木陰に移動して、クロッキー帳を開く。
 友和が買ってくれたお絵かき帳も気がついたらあっという間に埋め尽くされ、残りのページが少ない。なので、いつも使っているクロッキー帳を金曜日に学校から持って帰ってきて、今日、ここに持ってきた。新しいページを開いて、練習が始まるのを待つ。
 九時前になると、キャプテンもやってきて準備運動が始まった。
 それが終わると、キャプテンは友和の側に行ってなにか話をしている。こちらに視線が向いているのが分かった。
 平日も大学の授業が終わったらここに来て練習をしているらしい。とはいっても、ほぼ自主トレーニングの範囲らしい。曜日によっては遅くまで授業がある日もあるようなので、高校の時みたいにみんなが毎日集まって、というのは平日は難しいようだ。なので、土曜日は朝から集合して練習をするという。ただし、雨が降ったときはお休みになる。
 サッカーの試合自体は雨の中でも行われるから関係なく練習した方がいいのは分かっているけど、雨に当たって身体を冷やして体調を崩したら元も子もない。そこまで無理してはやらない方針のようだ。だけど、練習をするときは思いっきりする。メリハリが大切なんだって友和が言っていたけど、まさしくそうだと思う。
 今日は全員がそろうからと、練習試合をするようだ。
 一年生は大学が始まってから増えて、今では十人ほどいる。友和をはじめとする春休み中から練習をしていた三人はスポーツ推薦で入った人たちだと友和から教えてもらった。
 そうなると、サッカー部は結構な大所帯だ。四年生は就職活動に忙しいからほとんど出てこないけど、それでもざっと数えると、四十人は超しているようだ。キャプテンは三年生だと友和に教えてもらった。
 人数が多いので、四チームに分かれて勝ち抜き戦でいくようだ。チーム分けはさくっとキャプテンがしていた。

「ここから、よく見えるんだな」

 友和は二回戦になったようで、わたしの側にやってきた。

「そうなんですよ。ここ、よく見えるんです」

 わたしは早速、クロッキー帳を開き、試合をする人たちをスケッチしていくことにした。
 友和はわたしの後ろに立ち、試合を見ている。最初、後ろにいることが気になったけど、試合が進むにつれ、気にならなくなった。黙々と鉛筆を走らせる。
 試合が終わり、息を吐いたところで背後に友和がいたことを思い出した。
 後ろからぎゅっと抱きしめられる。いきなりで驚いてクロッキー帳を落としそうになったけど、慌てて持ち直す。

「さっきまで、一生懸命描いていたから、遠慮してたんだ」

 耳元で熱いささやき。全身がかっと熱くなる。

「試合も面白かったけど、奏乃が描くのを後ろから見てるのも、面白かった。おれにはその紙は真っ白にしか見えないんだけど、奏乃にはなにか線でも見えるの?」
「いえ。わたしにも真っ白な紙にしか見えませんけど……」

 友和は背後から腕を伸ばし、クロッキー帳をめくっていく。

「これはあの場面か」

 めくりながら、友和は確認をしてくる。

「そうです。ゴール前で競り合っていたところです」

 第一試合は実力が拮抗していたようで、ボールは右へ左へと大忙しだった。両チームとも上手だけれど、だれかが抜きんでている人はいなかった。

「ああ、この場面、なかなか見てて爽快だったね」

 それでも、試合の後半になると、茶髪の彼が本領を発揮、という感じでロングシュートを打ってはゴールポストに当てて惜しい場面が何度かあった。

「そうですね。軸足をほんの少し内側にしていれば、もしかしたら入っていたか……も」

 そこまで言ったとき、友和はわたしの肩を少しきつめにつかんできた。

「奏乃、ちょっと待て。もう一度」
「え……。な、なにがですか?」
「こいつだよ。こいつのフォーム!」

 友和は今見ているページの茶髪の彼を指さし、少し興奮した口調で聞いてくる。

「シュートをするとき、もう少し軸足を内側に……」

 同じことをもう一度口にすると、つかんでいた右肩を引っ張られ、振り返らされた。驚いて、友和の顔を見上げる。そこには、すごく真剣な表情をした友和がいた。

「奏乃。おまえ、本当にサッカーをしたことがないのか?」

 質問というよりは、詰問と言ったきつい口調。

「ないです。本当に、ないんです。去年一年間、ずっとほぼ毎日、千川原高校のサッカー部のみなさんの練習を見て、こうやってスケッチしていたから、それが正しいのかどうかは分かりませんけど、フォームだとかどうやったらボールがきれいに飛ぶのかは見てきました」

 言い訳がましい言葉になったと思ったけど、それは嘘偽りのない事実。だからわたしは友和の瞳をまっすぐ見て、答えた。

「あいつにも教わらずに?」
「……あいつ?」
「皆本だよ。あいつ、練習なんてしてないなんていいながら、おれと張り合うくらい上手くって」
「ないです。巡はちょっとしたヒントはくれますけど、教えてくれないですよ」

 友和はじっとわたしの顔をにらみつけ、なにかを考えている。

「……分かった。次はおれの番だから、いい場面があったらまた、そうやって描いてくれるか?」
「はい、もちろんです」

 友和は相変わらず真剣な表情をしていたけど、わたしはぎこちないながらも笑みを浮かべて答える。ようやく友和は表情を少し和らげ、わたしの頭を優しくなでると、

「じゃあ、行ってくるな」

 それだけ告げ、走ってフィールドへと向かった。



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