『想いは言葉に乗せて』


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八*練習場(前編)



 電車に乗り、二駅。
 待ち合わせの時間のちょっと前。改札口を出ると、土井先輩はもう待っていた。

「おはようございます。早いですね」
「おはよう」

 土井先輩はわたしを上から下まで眺めて、笑みを浮かべた。

「私服を初めて見たけど、かわいいね」

 その一言に、顔から火を噴きそうになった。恥ずかしくて、持っていたかばんで顔を隠した。

「なんで顔を隠すの?」
「やっ、はっ、恥ずかしくてっ」
「恥ずかしくなんて、ないよ。本当にかわいいと思ったから言ったんだし」

 そんなことを言われると、ますます恥ずかしい。そういうことを言われ慣れてないから、恥ずかしくて仕方がない。
 土井先輩の少し後ろをついて歩く。

「駅から結構、歩くんだよなぁ」

 土井先輩が通うことになる大学はもう二・三駅先に行ったところだけど、キャンパス内に運動ができるようなスペースがないようで、こうやって練習場を借りているらしい。
 土井先輩の話に相づちを打ち、たまにぽつりと感想を述べる。
 そういえば、わたしと土井先輩の共通の話題というのはサッカーくらいしかない。だけどわたしにはサッカーの知識があまりなくて、なんと言えばいいのか分からない。

「そういえば、奏乃」

 土井先輩はなにかを思い出したかのように立ち止まってわたしを見下ろす。

「はい、なんでしょう」

 土井先輩の横に立ち、見上げる。一重の鋭い視線に、ちょっとだけ怖いと思ってしまう。

「今日はなにか絵を描く物、持ってきた?」
「え……いえ」
「そうなんだ」

 それだけ確認して、土井先輩はまた歩き始める。
 しばらく歩みを進め、先輩は口を開いた。

「実は……さ。奏乃にお願いがあるんだ」
「お願い……ですか?」

 きょとんとした表情で、わたしは土井先輩の背中を見つめる。

「こんなことを言っていいのか分からないんだけど、奏乃におれたちの練習風景を絵に描いてほしいんだ」
「──え?」

 思いもしなかったことを告げられ、立ち止まる。

「あ、いや。奏乃が嫌ならいいんだけど、その、ただ見てるだけだとつまらないかなと思って」
「つまらないこと、ないですよ。だってわたし、いつも──あっ」

 わたしは慌てて、口を閉じる。
 土井先輩のことをずっと見ていたなんて、そんなこと言えない。だけど途中まで言ってしまって、後悔する。

「お、あそこにコンビニがある。時間はまだあるし、行ってみよう」

 土井先輩は少し先にあるコンビニを指さし、わたしを誘う。言いかけた言葉を追求されたら困ったので、助かった。

「飲み物も買っていかないと、ひからびるぞ」

 土井先輩は少しだけ歩調を速めてコンビニへと向かう。わたしも慌てて、追いかける。
 中に入ると土井先輩はまっすぐになぜか文具が置いてあるところへと向かう。なにか手に取り、そのまま飲み物コーナーに行き、お水を買っていた。

「ほら、奏乃の」

 呆然としていたわたしに、お会計を済ませた先輩はお水を手渡してきた。

「なにがいいのか聞けば良かったんだけど、無難に水にしておいた」
「あ、その──。ありがとうございます」

 お財布を取り出そうとしたら、先輩は止めてきた。

「いいよ。ここまで来る交通費は出してあげられないけど、これくらいはさせてよ」

 そう言われると、素直に受け取るしか出来ない。

「あともう少しだから」
「……はい」

 わたしたちは歩いて、練習場へと向かう。駅から優に二十分くらいは歩いたと思う。ようやくたどり着いた練習場に見覚えがある。

「あ、ここって……」

 昔、小学生の時に町内会の行事で何度か来たことがある。ここなら電車に乗るよりも家から自転車で来た方が近いような気がする。

「こら、土井! 遅いぞ!」

 練習場に入ると、中で準備をしていた人に先輩は怒られている。

「すみませーん!」

 先輩はそう言うと、わたしにさっきコンビニで買っていた袋を手渡してきた。

「そこのベンチに座って、もしよかったら、おれたちの練習風景をスケッチしてほしいな」

 渡された袋の中には、かわいらしい動物の上に
「おえかきちょう」
と描かれたものと、五色のクレヨンが入っていた。

「鉛筆じゃないから描きにくいかもしれないけど、それだと削らないでも済むだろ?」
「あの、その……」
「無理にとは言わないから。じゃ、行くね」

 土井先輩はわたしに屋根のついているベンチに案内してくれて、駆け足でプレハブに駆け込んでいる。
 わたしはビニール袋からお絵かき帳を出す。
 土井先輩はわたしが絵を描くのが好きなのを知ってくれている。だけどわたしは今日、ここに絵を描きに来たわけではない。どうすればいいのか悩み、ベンチの上に置いた。
 フィールドの整備をしている土井先輩を見ながら、他の部員たちにも視線を走らせる。
 整備をしているのは、土井先輩を含めて三人。きっと彼らは一年生なのだろう。もっと人数が多いと思っていたのに、準備をするのはかなりしんどいのではないかなと思って見ていた。

「おはようございまーす」

 九時が近づくにつれ、人が増えてきた。わたしのように見学に来ている人も増えてきて、ベンチは人があふれ始めた。ベンチの上に置いていたお絵かき帳とクレヨンを膝の上に乗せる。

「キャプテン、まだ来てないね」
「さっき、駅で見かけたけど」

 会話を聞き、ほとんどの人がキャプテン目当てなのを知った。なんだか肩身が狭くなる。
 九時前になると、キャプテンがやってきた。小さく黄色い声が上がる。
 高い身長、がっしりとした肩。精悍な顔つき。そしてなんとなく他の人とは違うオーラが漂っている。
 ──描きたい。
 うずうずとしたそんな気持ちがわき上がってくる。
 わたしはたくさんの人がいるベンチから離れ、木陰へと移動する。ここなら、気兼ねすることなく絵を描くことが出来る。それに、フィールドがよく見える。
 荷物を地面に置き、くにゃっとするお絵かき帳に苦戦しながらも、クレヨンでキャプテンを描いていく。
 練習が始まった。
 土井先輩のフォームは相変わらず美しい。キャプテンは美しい中に迫力がある。──すごい。気がついたら、キャプテンばかりを目で追っている。
 これだといけないと思い、意識して全員を描くようにするのだけど、やっぱりキャプテンは目を惹く。
 土井先輩は必死になってキャプテンについて行っている。
 あんなすごい人を目の当たりにしたら、追いついて追い越したいと思う気持ちがよく分かる。
 そういえば、土井先輩の話の中にもよくキャプテンのことが出ていた。
『あの人は本当にすごいんだ。おれの今の目標で、あこがれで、そして勝手にライバルだと思っている』
 というメールを思い出す。土井先輩の言いたいことが、よく分かる。
 ふとした拍子にキャプテンの動きがぎこちなくなるところがある。それはなんでだろう。気にしながら、思うがままにお絵かき帳にクレヨンを走らせる。
 そして、気がついてしまった。あの人は、たまに手を抜いている。周りの人に合わせて、本当はもっといけるはずなのに、ふっと力を抜いているのだ。
 休憩時間に入り、わたしは今まで描いたスケッチに目を通す。
 五色のクレヨンを気まぐれに交換しながら描いているので、ぱらぱらとめくると色が変わる。なんだかこういうのもたまにいいかもしれない。
 高校で見ていたサッカーとは違って、みんな、段違いに上手だ。今まで見ていたのがまるで子どもの遊びと感じるくらい。その中でも土井先輩は奮闘していて、以前より、かなり上達していることにも気がついた。

「──あれ?」

 だけど、だ。
 描いているときは気がつかなかったけど、なんだか変なフォームをしている人たちが混じっている。
 わたしはサッカーの基本のフォームなんてものは知らない。だけど一年間ずっと、サッカー部の練習を見てきた。だからなんとなくだけど、これはおかしいのではないか、というのは分かる。そして、千川原高校サッカー部の人たちは基本のフォームだと思われるモノを大切にして、反復練習をさせられてきていたんだなということにも気がつかされた。毎日繰り返されていた、シュートとドリブル。あれにはきちんと、意味があった。だけど今、フィールドに出て練習をしている人たちの中にはその基本が出来てないと思われる人がいる。
 ぱっと見たときのフォームはキレイだ。だけど基礎が出来てないからふとした拍子に崩れる。

「……それは、スケッチやデッサンでも言えるのかぁ」

 わたしは好きで毎日、スケッチとデッサンをしてきたし、全然上達してないと落ち込んだことがあったけど、きちんと意味があったんだなと改めて知った。
 休憩が終わり、練習が始まった。
 高校の時とは違って、シュートやドリブル練習にはあまり重点を置いていないようだった。基礎が出来ている土井先輩と他の人を見比べてみると、遜色ない。いや、むしろ基礎がしっかりしている土井先輩の方が実力が上に見える。しかも、土井先輩はキャプテンを目標にしているというから、これからめきめきと力をつけていくような気がする。

「あ──」

 今のは明らかに、わざとだ。先輩が土井先輩の足を引っかけた。間一髪で土井先輩は転けるのを免れた。早速、目をつけられてしまったのだろうか。
 練習を見ていると、キャプテンの目を逃れるようなタイミングで土井先輩は先輩たちの標的になっている。
 気がついてしまったわたしは、しかし、見ていることしか出来ない。どうすればいいのか分からず、歯がゆい。

「あ……」

 今もわざと、足を引っかけてきた。だけど土井先輩はどうにか踏ん張り、かろうじて転けていない。それが面白くないらしい先輩方は、どんどんと熾烈になっていく。

「お疲れさまでした」

 練習が終わり、わたしは待ちきれずに土井先輩のところに走り寄った。

「奏乃も疲れただろう?」
「いえ、わたしは大丈夫です。すごく楽しかったですっ」

 土井先輩はわたしが握っていたお絵かき帳に気がついたようで、そちらに視線を向ける。

「描いた?」
「あ、そのっ。つい……。わたし、描かないと落ち着かない病みたいで」

 土井先輩は笑いながらお絵かき帳に手を伸ばす。

「見ても、いい?」
「え、あ……はい」

 恥ずかしいと思いながら、だけどこれは土井先輩のものだからと手渡す。
 土井先輩はぱらぱらとわたしの描いたスケッチをめくり、そして真剣な表情になって最初から見ている。

「あの……」

 無言でじっと見つめられると、どうすればいいのか分からない。

「すごいな、これ」
「え……いえ、あのっ」

 土井先輩は最後まで見て、お絵かき帳をわたしに返してきた。

「もし良かったら、また来て、描いてくれる?」

 わたしは顔を上げて、土井先輩の顔をじっと見つめる。

「あの……また来て、いいんですか?」
「ああ。いいに決まってる。むしろ、助かるよ」

 そう言われると、わたしはうれしくなる。

「それでは、明日もまた来ます!」
「そう? じゃあ、明日も駅前に八時」
「いえ。大丈夫です。場所は分かりましたし、家から自転車で来た方が近いです」

 土井先輩に負担を掛けるのが申し訳なかったし、さっきの練習風景を見て、気になることがあったのだ。だから来ていいと言われたから、通える範囲で来て、見守りたいと思った。

「練習は九時からだから」
「はいっ」
「ちょっと待っててくれる? 送っていくから」

 わたしはお辞儀をして立ち去ろうとしたら、土井先輩にそう言われた。わたしは素直に待つことにした。




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