『想いは言葉に乗せて』


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六*授賞式(後編)



 授賞式は滞りなく行われ、わたしは特別賞というものをいただいた。
 金賞と銀賞を受賞した絵を見せてもらったけど、段違いの出来映えだった。その絵を描いた二人とも少しだけ話をしたけど、絵を描くことにプライドを持っていて、それでいてきらきらと輝いていてまぶしかった。
 篠原先生と巡は並んで部屋の端っこで見守ってくれていた。二人は親しそうに笑いながらなにかを会話している。それを見て、もしかして……なんて考えがよぎったけど、まさかと思ってすぐに否定した。
 授賞式が終わったらお昼で、篠原先生がお祝いよ、他の人には内緒ねと言って、お昼ご飯をごちそうしてくれた。篠原先生の話は面白くて、それに対して巡は容赦なくツッコミを入れるものだから、わたしは終始、笑いっぱなしだった。
 お昼を食べて、篠原先生はもう少し用事があるからここでお別れだけど、と言いながら家までの交通費まで出してくれた。賞状とトロフィーは荷物になるからと授賞式の後、すぐに宅配便で学校に送るようにしてくれた。篠原先生になにからなにまでお世話になってしまった。
 帰りは巡と二人きり。一人だったら心細くて仕方がなかっただろうけど、巡がいてくれるだけでずいぶんと気持ちが違う。

「ほら、奏乃」

 半歩前に立っている巡は少し振り返り、わたしに手を差し出してきた。

「……なに?」
「人が多いから、迷子になるだろ」
「だっ、大丈夫だよ! 子どもじゃな……きゃっ。ごっ、ごめんなさいっ」

 大丈夫と言っている端から、人にぶつかってしまった。ぶつかった人はむっとした表情をわたしに向け、無言で去って行った。

「ほら。またぶつかるぞ」

 慣れない人混みに、素直に巡の手を握る。持っていたサブバッグも持ってくれた。
 思っている以上に大きくて温かい手。

「巡……ごめんね」
「なんだ、急に」

 巡にはいつも、迷惑ばかり掛けている。いつもお礼を言うタイミングを逃しているから、今までのことを含めて、口にした。

「巡に色々してもらってるのに、わたしは……」
「へー、そんなこと、気にしてたんだ」

 横に並んで歩いている巡の視線を感じる。わたしはうつむいたまま、足をすすめる。

「奏乃の描く絵が好きだから、もっとたくさん見たいんだよ」

 好き、という単語にどきっとしたけど、それはわたしの描く絵に対しての言葉と知り、安堵した。巡がわたしを好きなんて、あり得ない。

「巡の方が、上手だよ」

 視線を上げて巡を見ると、複雑な表情をこちらに向けてきた。それはなんと言えばいいのか分からない、表情。困ったような、うれしいような、色んな感情が入り交じった表情。

「……上手いのは確かだ」

 眉間にしわを寄せた表情をすると、巡は不敵な笑みを浮かべた。

「オレって天才だから、なんでもちょちょっと出来てしまうわけですよ」

 巡の軽口に、だけどそれは事実だから否定は出来ない。巡は勉強もスポーツも絵だってなんでも簡単に上手にこなしてしまう。わたしは何事も一生懸命にやって、ようやく人並みだ。

「……あれ? ツッコミなし?」
「うん」

 拍子抜けしたのか、巡はずっこける真似をした。おかしくて、くすくすと笑う。

「五人兄弟だから、埋もれないようにするにはなにかに特化しないといけないんだけど、こういうのを器用貧乏っていうのかなぁ。小さい頃からそこそこなんでも出来たから、親は手のかからない子と思ったみたいで、オレのこと、ずっと放置しちゃってくれて。上と下が手がかかるから、それを見てたら余計に迷惑かけられなくって」

 たまに見せる巡の『弱音』に、わたしはいつも、戸惑う。

「だからかな。のびのびとした奏乃の絵に惹かれるのかもな」

 それは褒められているのかどうか、微妙な線。

「オレには描けない絵だからこそ、もっと見てみたいって思うんだ」

 よく分からないけど、褒められていると思っておこう。
 改札をくぐり、電車に乗って家の最寄り駅に近づくにつれ、すっかり忘れていたことに気がついた。
 わたしは飛び出すように家を出てきたのだ。どんな顔をして、戻ればいいのだろうか。お父さんはわたしを家に入れてくれるのだろうか。
 巡はいつもの調子で色々と話しかけてくる。だけど今のわたしはそれどころではなく、巡の言葉が耳に入ってこない。

「……奏乃?」

 どんどんと沈み込んでいくわたしに気がついた巡は、下から顔をのぞき込む。

「どうした?」
「…………」

 気持ちが沈み込み、心が重く感じる。
 電車はわたしたちの家のある最寄り駅に到着した。巡に手を引っ張られて、のろのろと電車から降りる。

「奏乃?」

 ホームに降りて、なかなか歩き出そうとしないわたしをいぶかしく思ったらしい巡は、立ち止まり、うつむいているわたしの顔をまた、のぞき込む。

「家に帰りにくい?」

 小さくうなずく。
 巡はわたしをベンチまで連れてきて、座らせる。その横に巡も腰掛けた。

「そういえば、どうしておまえ今日、授賞式に『行けない』なんて言ったんだ?」

 巡は繋いだ手に力を入れてきた。
 巡に夏休みの時にお父さんに言われた言葉を話した時、見たことがないほどの険しい表情をしていたのを思い出した。またあの巡の顔を見たくなくて、口を開くことが出来なくなった。

「またそうやって、我慢する。嫌なことを抱え込んでいたら、いつまでも前に進めないぞ」

 電車がホームに滑り込んできて、たくさんの人をはき出していく。ざわめきがなんだか遠くでの出来事のように思えてしまう。

「頼りないかもしれないけど、聞いてやるからはき出せ」

 巡のことが頼りないなんて思ったことはない。むしろ、迷惑ばかりかけていて、心苦しい。

「別に奏乃が話してくれなくてもいい。気が済むまで、オレは勝手に奏乃に付き合うだけだし」

 しゃべるまで居座ると言わんばかりの態度に負けたのは、わたしだった。

「巡って、頑固だよね」
「奏乃だって頑固じゃないか」

 巡の場合は頑固な上に辛抱強いから、根負けするのはいつだってわたしだ。

「お父さんに、子どもの遊びで賞をもらってなにがうれしいんだって言われて……。それで、お父さんとお母さんがけんかになったの」
「だから、授賞式には行かない、と」
「……うん」

 わたしの言葉に巡は深いため息を吐いた。

「だってオレら、子どもじゃん。遊んじゃダメなのかよっ」

 予想通り、巡は憤っている。

「遊びだって真剣にやってる。それのどこがいけないんだ? クラブ活動だって、楽しんでやって、なにがいけないんだ」

 お父さんはお酒も飲まないしたばこも吸わない、ギャンブルだってしない、真面目な人だ。見ていてたまに息が詰まりそうになるくらい、まっすぐに生きている。だからきっと、わたしの生き方を理解が出来ないのだろう。

「奏乃、絵を描くことはやめるなよ」
「……うん」
「オレと約束しろ」
「……なんで、巡と」

 まるでわたしが今すぐにでも絵を描くのをやめると言うと思っているかのような言葉に、苦笑いを浮かべて巡を見た。目の前にいた巡は真剣なまなざしで、わたしの心臓は不意にどきりと鼓動を打った。

「もうっ、そんな真剣な顔して、驚かせないでよっ」

 巡の顔が怖くて、震える声でようやくそれだけ口にする。

「奏乃、オレと約束しろ。絵だけはなにがあっても描くのをやめないって」
「……なんで」
「さっきも言っただろう。オレは奏乃の描く絵が好きなんだって」

 わたしだって、絵を描くことが好きだ。別にこれで身を立てられなくても、絵が描けたらそれで幸せだと思っている。描けなくなるなんてこと、考えたくない。

「うん……約束、するよ。わたしも絵を描くの、好きだもん」

 巡は繋いでない方の小指をわたしの目の前に差し出した。

「じゃあ、指切りげんまん」

 真剣な表情でそんなかわいいことを言ってくるから、わたしは思わず、笑ってしまった。

「ほら、小指を早く出せよ」
「えー」

 恥ずかしくてもじもじしていたら、巡は立ち上がってわたしの腕を引っ張り、無理矢理小指と小指を絡ませられた。なんだかすごく、恥ずかしい。

「指切りげんまん、嘘ついたらキスするぞ──指切ったっ」

 巡はそういうと、絡めた小指を強く引っ張り、指切りをした。

「って、なんで嘘ついたら巡とキスをしないといけないわけっ?」

 普通ならハリセンボン飲ますなのに。

「ハリセンボンなんて飲ませらんないだろ? そもそも、どこに行けばハリセンボンなんて手に入れられるんだよ。すぐに出来る罰ゲームは、オレが奏乃にキスをすることだ」

 と巡は楽しそうに笑みを浮かべてわたしを見ている。

「めっ、巡のキスが罰ゲームってっ」
「そーだろ。奏乃は土井先輩が好き。なんともないオレからキスされたら、罰ゲーム以外のなにものでもないだろ?」

 それは土井先輩とキスをするのが前提のようなことを言われ、自分が真っ赤になるのが分かった。

「やっぱり奏乃は、エロいなっ」
「なっ! はっ、恥ずかしいことを言ったのは、巡じゃん!」
「オレは健全な男子高校生だ! エロいに決まってるだろ!」
「開き直るって、どうなのよ!」

 わたしはベンチを立ち上がり、巡を見下ろした。巡はわざとらしくわたしに身体を寄せ、驚いて身を引いたところに得意げな表情を浮かべ、歩き始める。手を繋いだままのわたしは引っ張られ、その勢いで歩き出す。

「大丈夫だよ。きちんと家に入れてくれるよ」
「……うん」
「家までついていってやるから、心配するな」

 なんだかいっつも巡に甘えてばかりいて、情けない。

「ごめんね、巡」

 わたしのそのつぶやきは、巡に届いたのかどうか──。巡は握っていた手に少しだけ、力を入れた。



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