『想いは言葉に乗せて』


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五*文化祭(前編)



 絵にして映えるドリブルカットの場面を描くことにした。だけど水彩画だと迫力に欠ける。それならば……と輪郭を黒のクレヨンでくっきりと描くことにしてみた。そうすると人物が浮かび上がり、緊迫感が出たような気がする。色も水彩画のメリットである透明感をわざと出さない方向にしてみると、わたしが苦手とするところをカバーすることができた。
 ちょっと高校生らしからぬ幼いできあがりになったような気がしないでもないけど、あの時のはらはらとした気持ちと緊張感を画面に表現できたのではないだろうか。
 また切り裂かれたら大変だからと毎日、絵を家に持ち帰った。巡が行きも帰りも持ってくれているから助かった。
 そして、夏休みが終わる前日に無事に完成した。篠原先生が丁寧に梱包してくれて、絵画コンクールの主催者に送ってくれた。結果がどうであれ、もうダメだと諦めていたものが間に合って出せたことに満足した。

「巡、ありがとね」
「いや、大したことはしてないよ。頑張ったのは奏乃だろ」

 巡は満足そうな笑みを浮かべ、わたしの頭に手を乗せた。そして軽くはねさせ、いたずらな笑みを向けてきた。
 巡がこの表情をするとき、ろくでもないことを考えている合図だ。わたしは嫌な予感を覚え、巡に警戒した視線を向ける。

「あ、もうばれちゃった?」

 やっぱり。
 巡が妙に協力的な時は、いつもなにかを企んでいる時なのだ。

「奏乃ちゃんにお願いがあるんだ」

 普段は呼び捨てのクセに、こういうときだけ
「ちゃん」
をつける。

「……協力してもらったから、手伝うけど……」
「さすがだね、奏乃。くくく……」

 それはもう、楽しそうに笑っている。相変わらず、最悪だ。

     **:**:**

 そして──なぜかわたしはどこから持ち出してきたのか分からない着物と黒髪のかつらをかぶらされて、教壇の端に座らされている。少し離れた場所に巡がいて、わたしをにらみつけてデッサンしている。
 わたしがモデルをするよりも適切な子がたくさんいると思うんだけど、巡いわく、借りを作りたくない、と。その点、わたしには断れない理由があり、前貸ししてるんだから付き合えということなのだ。
 勝手に手伝ったのはそっちじゃん! と言いたかったけど、巡がいなければ間に合ってなかった訳だし、やっぱり負い目はある。わたしのせいで今までまったく巡自身の課題に取りかかれてなかったのだから仕方がない。
 だけど、わたしみたいな童顔をモデルにしたって仕方がないのではないだろうか。どんな絵を描くのか聞いてないけど、まさかお稚児さんを描いているってわけではないよね?

「こら、奏乃。そこで百面相するな。描けないだろ。少しうつむきがちに……そう、視線だけはまっすぐ前に」

 言われるままの姿勢をとり続けているけど、結構辛い。
 まあ、まだ巡をじっと見つめているよりはマシかなぁ。モデルとはいえ、見つめ合っていたらさすがに恥ずかしい。
 巡は午前中一杯を使って、デッサンし終わったようだ。

「奏乃、ありがと。助かった」
「もう、大丈夫?」
「うん、大丈夫」

 わたしは大きく息を吐き、立ち上がった。

「あ、ちょっと待って。しばらくそのままで」

 巡はクロッキー帳を再度開き、熱心に鉛筆を動かし始めた。立ったままってのもかなりしんどい。

「……まだ?」
「ん……もうちょっと」

 わたしも人のことは言えないけど、巡も集中すると周りが見えなくなるタイプだ。お昼になったからと部員はみんな、ご飯を食べに出かけてしまった。

「よーっし、できた!」

 その声に、かつらをとって着物を脱ぐ。いくら冷房が効いているといっても、暑い。この格好で何時間もいた自分を褒めてあげたい。

「ありがとう。これ、演劇部に返してくる」
「巡、さっき描いたの、見せてよ」
「だーめっ」
「なんでよ、けちっ」

 巡はクロッキー帳を素早くしまい、わたしのつけていたかつらと着物を受け取ると慌ただしく美術室を出て行った。

「お昼、先に食べておいて」
「はーい」

 わたしと巡はいつも、美術室の端でご飯を食べる。なのでいつもの場所に移動して、お弁当を開く。一人で食べるのはちょっと淋しいなと思ったけど、空腹に耐えきれずに食べ始める。お弁当を半分くらい食べ終わった頃に巡は戻ってきた。

「ほれ、モデル代」

 そういうと巡は真新しいクロッキー帳をわたしにくれた。

「へ……。でもっ」
「いいから。受け取れって」

 この間、巡のクロッキー帳を使い切ってしまった。買って返さないといけないのはこちらだ。

「でも……」
「いいから。小遣いなくなって、新しいクロッキー帳も買えないんだろ」

 図星だ。この間、 クロッキー帳を買った時にお小遣いを使い切ってしまった。次のお小遣いまで後数日だから我慢と思っていたところだ。

「じゃあ、お小遣いもらったら返す」
「いらねーよ。クロッキー帳がなくなったのはオレも悪いわけだし」

 その言葉に、顔を上げる。まずいと思ったらしく、巡は口を押さえて顔を背けた。

「……巡?」

 クロッキー帳の行方を巡は知っているのだろうか。

「なにか、知ってる──の?」
「なんでもない。あの日、絵のことにばかり気をとられていたオレの不手際だ」
「ねえ、巡!」

 巡は真相を知っているのかもしれない。わたしは巡に向かって一歩踏み出し、見上げた。しかし巡は顔を背けたままだ。近づいたと思っても、こうやってふとしたとき、突き放される。巡の真意はやっぱり、つかめない。
 その後、わたしたちは無言でお昼を食べた。
 巡がくれた真新しいクロッキー帳に名前を書き、開く。久しぶりにサッカー部の人たちを棒人間にしていく。
 そんな夏休み最後の日──。

     **:**:**

 そして二学期が始まった。
 文化祭までまだ余裕があったので、わたしは出品用の作品に取りかかることにした。
 苦手だと思っていた水彩画にチャレンジしてみて、意外に面白いことに気がついたわたしは出品作品も水彩画にすることにした。やっぱり淡い色使いが苦手で、はっきりした色使いになってしまう。
 絵柄もこの間の巡と土井先輩のやりとりしている場面になった。試合前に肩を並べて笑顔で語り合っているところが印象的だったのでそこにした。
 なんだか青春って絵柄になったけど、巡と青春って取り合わせがなんだかミスマッチでおかしくなってきた。思わず、自分の描いている絵を見て、笑ってしまう。

「思い出し笑いをするヤツは」
「はいはい、エロくて結構!」

 巡は自分の絵が終わったのか、わたしの様子を見に来ている。

「終わったの?」
「大体ね」

 巡はわたしに隠れるようにして絵を描いていて、途中経過でさえ見せてくれない。それなのに、わたしの絵はこうやってのぞきに来る。なんだか不公平だ。

「巡、見せてよ」
「やだ。完成したらな」

 完璧主義なところのある巡は、そういえばあまり、途中を見せてくれることがない。デッサンの時は気を抜いているのかどうか知らないけど見せてくれるのに、本格的に絵を描き始めると、見せてくれない。

「おまえの色の塗り方、面白いよな」

 どれくらい前から見ていたのか知らないけど、巡はそんなことを言う。

「面白いってなによ」

 馬鹿にされたように感じて、むすっとした表情を向けたら笑われた。

「上手く言えないんだけど、色を塗ってるってよりは発掘してる感じ」
「……意味が分からない」

 そんなこと、初めて言われた。

「色を重ねてるというより、下に埋まっている色を掘り起こしているみたいに見えるんだよな」
「……それって遠近感がない塗り方をしてるってこと?」
「いや、逆だよ。上に色を盛っていくのが普通なのに、奏乃の場合は削ってるように見えるんだ」

 余計に分からない。

「オレの個人的な感覚だから、気にするな」

 と言われても、気になる。
 色を削ってる……?
 そう言われると妙に意識してしまい、色を塗る手が止まる。
 その日は結局、あまり進まなかった。

「巡が変なことを言うから、気になって全然進まなかったよ」
「変なこと?」

 帰り道。わたしは巡に苦情を言った。言った本人はもう忘れてしまっているのか、首をかしげている。

「わたしの塗り方が変だって言うから」
「ああ。変だとは言ってないよ。面白いと言ったんだ」
「それ、どこが違うのよ」

 どっちにしても褒め言葉だと思えない。ぷーっとふくれたら、巡はわたしの頬をつついた。

「そんな顔をしていたら、フグになるぞ」
「なりませんよーっだ」

 どうやらからかって、まともに答える気はなさそうだ。やっぱり、気にするだけ無駄のようだ。

「奏乃が描いているのを見ていたら、そこにはすでになにか描かれていて、それを見つけて発掘しているように見えるんだよ」

 さっきよりも分からないその説明に、理解することを諦めた。

「奏乃はオレと違って、才能があるんだな」

 そんなことを言われたのはやっぱり初めてで、立ち止まってつい、巡の顔を凝視した。

「なんでもない。気にするな。思った通りに描けなくて、苦しんでるんだ」
「巡でもそんなことがあるんだ」
「あるよ。──いっつも思っている通りにはいかない」

 巡の弱音になんと言っていいのか分からない。
 いつだって巡は思ったことを思った通りに実行しているようにしか見えないのに。

「巡はわたしと違って、理想が高いんだよ、きっと」

 わたしからすれば、巡はなにをするにも完璧で簡単にこなしているようにしか見えない。
 その点、わたしはいつもあがいて、その結果、大したことを残せていない。

「理想が高い……か。そんなこと、ないんだけどな。オレはいつだって七十点くらいしか出来ていない」
「巡にとってはそうかもしれないけど、わたしから見たら、巡はいつでも二百点くらい取ってるよ」
「……ほんと?」

 それまで暗く沈んでいたのに急に声のトーンが上がる。

「あ……うん」
「そっかー。オレって実は、天才?」

 あれほど落ち込んでいたかのように聞こえたのに、急に巡のテンションがあがる。
 ああ……心配して損した。巡はこういうヤツだった。

「なんだ、元気じゃん」
「なに? 心配してくれた?」

 犬がご機嫌にしっぽを振ってるような表情をして、巡はわたしを見る。

「そんなの、するわけないでしょっ」

 巡の心配をしたことが恥ずかしくて、つい、そんなことを口にする。巡は笑みを浮かべ、わたしの頭を腕に抱きかかえ、髪の毛をぐちゃぐちゃにかき乱す。

「奏乃ちゃんったら優しいのねっ」
「だーっ! 髪の毛がぐちゃぐちゃになるっ!」
「もう家に帰るだけだろ。やー、うれしいなぁ」

 巡はさんざんわたしの髪をかき乱し、気が済んだのかようやく離してくれた。
 なんなの、この子ども扱い。

「絵は文化祭の日に楽しみにしてな」

 わたしが住むマンションの前で巡はそう言い、いつものように手を振って見送ってくれた。
 完成してもしばらくお預けらしい。なんだかつまらなくて、巡にあっかんべーとしてやった。




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