◇ ◇
あてもなく探すのも、と思い、さきの通っている高校に行った。以前、さきが珍しく友だちを連れて来ていて、その子と少し話をしたことを思い出した。もしかしたら、その彼女はさきのなにかを知っているかもしれない。そんな淡い期待を込めて、校門に立って待っていた。
今年の三月まで通っていた、高校。大学生になった俺をすでに拒絶しているかのような校門に所在なく立っていると、見覚えのある人が歩いているのを見つけた。
「田仲先生!」
三年の時の俺の担任で、そして今、さきの担任である田仲先生を見つけ、声をかける。
「広居くんじゃないの。どうしたの?」
田仲先生は三十になったばかりの女の先生だったが、熱心に生徒の身になって考えてくれる。教師仲間には少し不評らしいのだが、学生には人気がある。
「さきがお世話になっています」
俺はぺこり、とお辞儀をした。田仲先生は事情を知っているからか、眉尻を下げてつらそうな表情で俺を見ている。
「ごめんね、さきちゃんが苦しんでいるの、気がついてあげられなくて」
驚いて田仲先生を見る。
「いや……。家族の俺が気がつかなかったくらいだから」
さきはまだ、病院のベッドの上で眠ったままだ。あの日以来、ずっと自分を責め続けている。前の日にきちんと声をかけて話を聞いてあげれば……。
「それは私も一緒よ。さきちゃん、なにか悩んでいるようだったから。だけど、なかなか声をかけられなくて……こんなになっちゃって。遠慮しないで声をかけておけば、とずっと悔やんでいるの」
少し泣きそうな田仲先生を見て、俺は下唇をかむ。なんといっていいのか、分からない。
「だけど、広居くんの顔、久しぶりに見られてよかったわ」
そう言って田仲先生は泣きそうな顔をしながら微笑む。
「卒業して、みんなどうしているのか気になっていたところだったんだ。問題児の広居くんがこうして顔を見せに来てくれて、安心したわ」
言葉が詰まる。
問題児・広居。
そう名づけられても仕方がないことを、田仲先生が担任になってからたくさんやらかした。
◇ ◇
田仲先生は、高校二年と三年の時の担任だ。
俺は妹のさきと父と母との四人家族で、取り立てて特徴のあるような家庭ではなく、ごくごく一般的な家庭だった。マンションを借りて住んでいて、そこから高校に通っていた。妹のさきとは三歳差で、兄妹仲は良かった。
そのごく一般的な家庭でも、反抗期、は当たり前のようにあった。サラリーマンの父に専業主婦の母。そんなふたりに、お約束のように反抗した。
俺の見た目はそこそこ良いらしく、そしてバスケット部に所属していたのもあり、人気があった。告白してきた女子とは付き合い、そこでよく、トラブルを起こし、田仲先生のお世話になりっぱなしだった、のだ。
そこには、両親に対する反抗の気持ちも多少なりともあった。
両親はなにも言わないが、父は会社の若い子と浮気をしていることもあったらしい。母はそれを知りつつ、知らん顔。表面上は仲がよく見えたが、それが仮面であるのは分かっていた。
「最近は落ち着いているの?」
告白してきた女子とは有無を言わず付き合っていたのでよくかちあってバトルになっていた。俺はそれを冷めた目で見ていた。俺は俺のものなのに、なんでこいつらは取り合っているのだろう。
「あはは、その節はほんと、いろいろとご迷惑をおかけしました」
本当に申し訳なく思い、頭を下げる。
「大学に入ったから、もうそんな馬鹿なこと、やめましたよ」
「そう。それならいいわ」
俺をめぐって取っただの取られただのと目の前でけんかをしているのを見て、気持ちはどんどん冷めていた。
馬鹿らしい。
『広居くん、そんな人だと思ってなかった!』
おまえは俺のどこを見ていたんだ?
『なんなの、あの女!?』
おまえもな。
女なんて、馬鹿な生き物だ。
そう思っていた俺に対して、田仲先生はがつんと殴り、思いっきり説教してきた。
『あんた、なに考えてるのっ!? 女子は男のおもちゃでも道具でもましてや性欲の処理の対象でもなんでもないのよっ!?』
おまえだって同じ女じゃないか。
俺の呟きに、田仲先生はふん、と鼻で笑ってきた。
『そうよ。なにか文句ある? 私はあなたとは違って女よ。なんなら今ここで私を抱いて、確認してみる?』
そう言うなり、いきなり目の前で服を脱ぎ始め、あせった。
『せ、先生っ! なに脱いでるんだよっ!』
『女だったらだれでもいいんでしょう? それなら、あの子たちを傷つけるくらいなら、私を抱きなさい』
脱ぐ手を止めないのであせって手を止め、服を着るように促す。
『あなたがもう女の子たちをああやって傷つけない、と約束してくれるのなら』
俺は田仲先生に約束した。
もう、あんなことはやめる、と。
その言葉に田仲先生は安心したのか、その場にへなへな、と座り込んだ。
『だ、大丈夫かよっ!?』
驚いてかけよると、びくり、と身体を震わせて身を小さくした。
『だ、大丈夫よ。は……初めてを広居くんに奪われるかも、と思っていたから』
田仲先生の意外な告白に驚き、目を見開いた。
『あはは、驚いた? 私まだ、男性経験、ないのよ』
そうしてぽつり、と中学生の頃にあった痴漢の話を聞いて──男とはなんと馬鹿な生き物なんだろう、女より馬鹿じゃないか、と思い、自分は女子を馬鹿にしながら結局、自分のことを卑下していただけだったことに気がついた。
それからはもう、ぱったりとやみくもに女子を抱いたりしなくなった。
「先生、さきと仲の良い女の子がいると思うんだけど、だれか知らない?」
「ああ、水島さんかしら?」
田仲先生にそう言われ、そういえばそんな名前だった、と思い出す。
「水島さんならもう少しでここを通ると思うわ」
「ありがとう」
田仲先生はひらひらと手を振って、去って行った。
また校門に戻り、さきと仲の良いという水島さんを待つことにする。しばらく待っていると、見覚えのある制服姿の子が歩いてきた。
「こんにちは、さきのお兄さんですよね」
向こうも気がついてくれたらしく、小走りに近寄ってきて声をかけて来てくれた。
「あたし、水島はづきです」
肩口に切りそろえられた黒髪に茶色の瞳。人懐っこい笑顔が結構かわいい。さきはどちらかというと引っ込み思案なので、ぐいぐいと引っ張ってくれるような彼女とは結構うまくやっていたのかもしれない。
「さきの兄の広居はやとです」
「はやと先輩、知ってますよっ! バスケットボール部でエースでしたものねっ」
さきも水島さんも今年高校に入ってきたのだから知っているわけないのに。
「さきがいつも自慢してましたよ。勉強はいまいちだけど、バスケットボールはすごいんだよ、と」
勉強はいまいち、は余計だ。
「はやと先輩のこと、すごい自慢してましたよ、さき」
そうなのか。その話を聞き、ますます話を聞いてあげなかったことを悔やむ。
「ちょっと時間、いい?」
俺と水島さんは駅に向かいながら歩き、適当なコーヒーのチェーン店に入る。飲み物を注文して、支払って空いている席に座る。
「あのっ!」
「飲み物代なら気にしないでいいよ。さきがいつもお世話になっていたみたいだし。それに、さきのことで聞きたいことがあるから」
店の奥の方に座り、注文したコーヒーを口にする。香ばしい香りが鼻腔を抜ける。
「水島さんは……」
「あのっ、嫌じゃなければ『はづき』と呼んでもらっていいですか?」
少し照れくさそうにお願いされ、うなずく。
「はづきちゃん、でいい?」
「ちゃん、は要らないですよ」
不服そうに頬を膨らます姿がかわいくて、少し笑みが漏れる。女の子なんだけどあまり気取らない感じがさきにとっては良かったのかもしれない。
「はづきはさきといつから友だち?」
「そうですね……。中学に入ってから、かなぁ」
引っ込み思案でなかなか友だちを作ることのできなかったさきは、どうやらいつもひとりだったらしい。三者面談や保護者会の時に成績も素行も問題ないけど、友だち付き合いが心配です、といつも言われていたさき。
「さき、いつもひとりだから心配で声をかけたんです。最初、全然話してくれなかったからさすがのあたしもめげそうになったなぁ」
その頃を思い出したのか、はづきはあはは、と笑って注文したキャラメルの入ったコーヒーを口にする。
「はー、甘くて落ち着くわ」
ぐいぐい、といい勢いで飲み、オレを見る。
「はやと先輩はさきに彼氏ができたの、ご存知でしたか?」
「ああ、知っていたよ」
「さき、思いこんだら一途でしょ?」
引っ込み思案で思いこんだら一途。内に秘めた情熱はたぶん、とても激しいはず。
「さきの彼氏、だれか知っていますか?」
知らないので素直に首を振る。
「あの……実は、学校の先生なんです」
はづきの言葉に絶句した。学校の──先生、だって?
「最初、教えてくれなかったんですよ、さき。彼氏ができたの、だれにも内緒、だったらしいんです」
それはそうだろう。学校の先生、なら。
「でもあたし、見ちゃったんです。学校でさきと……その先生が約束しているのを」
なんだって?
「お、同じ学校の──先生、なのか?」
「はい。あの、だれにも言わない、と約束してもらえますか?」
はづきを見つめると、瞳の奥に憎悪の炎を見つけ、驚く。それは……だれに対して持っているのだろう。
「さきをあんな目に合わせたあいつに……復讐してやりたいんです」
そう言った瞳にはますます憎悪の炎が燃えたぎっていて、俺は決心する。
「はづき、俺はな……」
面識はあるけど、初対面に近い相手に自分の思いを伝えるのもなんだが、と思ってしぶっていたけど、はづきの瞳に見えた憎悪の炎に嘘偽りはないと思い、告白する。
「さきを妊娠させ、そのまま逃げるような男が許せないんだ」
「さきが……妊娠!?」
その言葉が相当ショックだったようで、はづきは手に持っていたコーヒーの紙カップをトレイの上に落とす。ほとんど中は入ってなかったけど、それでもどろり、とコーヒーと生クリームがこぼれ出してきた。
「う……そ」
はづきはがたがたと震えだし、自分の身体を抱き寄せた。
「はづき、大丈夫か?」
心配になり、腕を伸ばしたがびくり、と身体を震わせて拒否されたので、どうすることもできなかった。はづきの震えがおさまるのを待ち、言葉を続ける。
「俺は、さきをあんな思いをさせたやつを、許すことができない」
羽深とかいう男はさきは望んでいない、と言っていたけど。俺の気持ちがおさまらない。
さきに辛い思いを……現実から逃げたい、と思わせるほどひどい気持ちを持たせやがって……!
「あたし……さきに辛い思いをさせたあいつが……許せない!」
先ほどまでぶるぶると震えていたはずなのに、はづきはこぶしを握りしめ、先ほどよりも強い憎悪の炎を瞳に宿している。
「はやと先輩、あたしもあいつを許しません」
俺たちは携帯電話の番号とメールをやり取りして、今後どうするかこれから決める、ということを決めて、今日は別れた。