【そら】04


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   ◇   ◇

 わたしは起きることができず、そのままベッドの上に横になったままはらはらと涙をこぼした。
 そうしていると、部屋にだれか入ってきた気配がした。

「そら……!」

 何か月かぶりに聞く父の声に、わたしは泣きぬれた顔のまま、起き上がる。そうして父は泣きそうな表情のまま、抱きしめてくれた。
 母から別れて泣くに泣けなかった時、今と同じように父は抱きしめてくれた。
 母が恋しいと泣きじゃくっていたうみを一緒に抱きしめ、父は一緒に泣いてくれた。だけど泣くことができなかった。わたしが泣いたら、うみが困る。唇をかみしめて、泣くのを我慢していた。
 そう、あれからずっと泣くことができなかった。
 今までたまっていた涙が湧き出てきているかのように、あとからあとからあふれて来る。
 泣かないでいた頃、どうしていたのか思い出せないほど、涙は止まらなかった。

   ◇   ◇

 泣き続けるわたしを心配しながら父はきちんとした洋服を着せてくれ、家に帰ってきた。
 だけどわたしは元の生活に戻ることができず、ずっとベッドに横になり、泣き暮らしていた。

「あなたはいつまで泣いているつもりですか?」

 呆れたテノールの声に驚いて寝返りを打つ。
 そこには、いつぞやにあれだけ叫んで求めていた羽深しぐれが立っていた。

「まったく、あなたには困ったものです。妹に使うなと言ったのに使ってしまうし。僕はこうなることを予想していたのですよ、だから使うな、と言ったのです」

 羽深はふぅ、と大きく息を吐く。

「あなたが欲している白い札は、もうお渡しできませんよ」

 身体を起こし、羽深に詰め寄る。

「どうしてっ!? 持っているんでしょう、出しなさいよ!」

 羽深は再度大きく息を吐き、わざとらしく大げさに大きく肩をすくめる。

「あの白い札は貴重なものなんです。そうほいほいお渡しすることはできません」

 わたしは羽深の胸倉をつかみ、出すように強要する。その間も涙は止まることを知らないようだった。

「力で訴えられたって色仕掛けされたって、僕にはあの札をあなたにお渡しすることはできないのですよ。『彼女』の許可がないと、無理なのです」
「『彼女』……?」

 わたしは羽深から離れる。そして、あの不思議な空間を思い出す。
 あそこに……この羽深以外に人がいた?
 短い時間だったから分からなかったけど、他に人がいる気配はしなかった。

「でも、あなたがたとえあの白い札を妹に使わなかったとしても、自分には使ってなかったでしょうね」

 羽深は瞳を細めて面白そうに見つめている。

「去っていく新井に使い……あなたは新井の身体を手に入れ、くくく」

 羽深は楽しそうに笑っている。

「あの人の見る夢を見てみたいという欲求はありますが、まあ……あなたの妹の夢をのぞき見るのもまた一興」

 くすくすと耳障りな声で羽深は愉快そうに笑っている。

「さあ、今から面白いものを見ることができますよ」

 羽深はそう言い、扉に手をかける。

「こちらへご案内いたします」

 開けられた扉から、いつか見た黄色い光があふれ出す──。眩しくて、手のひらで目をかばう。

   ◇   ◇

 光がおさまり、わたしは恐る恐る目にあてていた手を取る。涙はいつの間にか止まっていた。
 新井の元から家に戻ってどれくらい経っているのか分からない。だけど今の今までわたしはずっと、泣き続けていた。どこからあれだけの水分が出ていたのか、不思議だった。
 羽深につれてこられたところは、いつか見たゆきの眠る病室だった。

「本来は札の回収に人を同行させるのはご法度なんですけどね……。あなたはなかなか面白いから特別にお見せいたしましょう」

 羽深は喉の奥で笑いながらゆきの枕元に近づく。その姿は黒い髪に……。

「おまえは……死神なのか?」

 黒のトレンチコートが一瞬、黒い羽根のように見え、どきりとする。

「ある意味、そうかもしれませんね」

 変わらず喉の奥でくつくつと笑っている。
 ゆきにそっと近づき、ゆっくりと枕の下に神経質そうな長い指を滑り込ませる。そうしてなにかをつかんだらしく、ゆっくりと引き抜く。
 その指の先には──黒い札。

「くくく、思った以上に黒く染まっていますね」

 その表情は、ものすごく愉快そうだ。

「それは……?」
「あなたが置いた『白い札』ですよ」

 不愉快なほど喉の奥で笑いながら近づいてくる。

「あなたは妹が純真無垢でけがれを知らない、と思っていますね」

 そう思っていたからうなずく。

「本当にそうならば……白かった札はここまで黒くはなりませんよ。今まで見た中でも一番黒い色かもしれません」

 その場にそぐわないほどの笑顔を向けられ、目を見開く。

「さぁて、彼女はどんな夢を見ていたのでしょうかね」

 おもむろにゆきの下から取り出した札を懐にしまった。

「ここまできたら、サービスです。時雨堂に戻りましょうか」

 羽深はそれだけ言うと、すたすたと病室の扉に手をかける。開いた隙間からやはり黄色い光があふれてきて、身体を包み込む。

   ◇   ◇

 黄色い光がおさまったので目を開けると、以前来た、時雨堂店内だった。

「そこのテーブルに座って待っていてください。いいですか、店内をうろうろ……あぁ!」

 わたしは物珍しくて店内を見て回っていた。羽深が制止していたけど、そんな声は聞こえていなかった。
 こつこつと足音が遠ざかる音がした。羽深はどうやら店の奥へと下がって行ったようだ。
 黄色い淡い光が漂う不思議な空間。
 だけど壁まで光が到達していないからか、ここがどれだけの広さなのか分からない。ゆっくりと壁があると思われる場所まで歩みをすすめる。ごつん、と身体が壁にぶつかった。
 そこは黄色い淡い光が届かないのでしっかり見ることができないが、手触りからすると木でできた壁のようだった。壁に身体をぴたりとくっつけ、手のひらでゆっくりと壁の感触を味わう。
 ──なんだか、落ち着く。

「そらさん、お茶が入りましたから戻ってきてください」

 羽深がトレイにカップを乗せて奥から戻ってきた。お茶の優しいにおいがこちらまで漂ってくる。においからすると、どうやらイチゴのフレーバードティのようだ。
 細い指でカップをつまむように持ち上げ、羽深はテーブルの上にお茶の準備をしている。
 椅子を引いて座ると、薫り高いイチゴのフレーバードティを入れたイチゴ柄のかわいいカップが目の前に置かれた。

「本日仕入れたばかりのイチゴのフレーバードティです。いいにおいでしょう」

 にこにこと目を細めて羽深は語る。

「ここのお茶は本当に素晴らしいのですよ」

 イチゴ柄のカップにそっと口をつけ、一口飲む。その一口でお茶の素晴らしさがよくわかる。鼻の奥までイチゴとお茶の良い香りが抜けていく。その味とにおいに、ほっとする。

「ねぇ、さっきの黒い札は、なに?」

 羽深は質問には答えず、にこにことしてお茶を口に含み、

「うん、相変わらずよく入れられました」

 とマイペースに微笑んでいる。
 この男は……!
 聞いても答える気はなさそうだと判断し、お茶を一気に飲み干し、立ち上がる。

「帰る!」

 黒い札はもちろんものすごく気になったが、それよりもゆきの様子が心配だ。羽深に気を取られてよく見なかったけど、以前はなかった点滴がゆきの身体につながっていたような気がする。家に帰って一刻も早く、ゆきのことを聞きたかった。

「せっかちですね。せっかくの美味しいお茶の時間なのですから、もう少しゆっくりしてはどうですか?」

 そうして空になったカップにもう一杯、お茶を入れてくれた。気持ちの上ではそんな余裕はなかったが、この男はどうやらわたしの気持ちなどお構いなしで本気でお茶の時間を楽しむつもりでいるらしい。いらいらとしつつ、椅子に座り直す。
 注がれた二杯目を口にする。じっくりと味わうと深い味わいにどこかささくれていたような気持ちが落ち着いてくる。

「あせってもいいことはありませんよ」

 最後の一口を飲みきり、微笑まれる。わたしの心なんて見透かされている、ということか。
 お茶をすべて飲みきり、立ち上がる。

「お帰りはこちらからどうぞ」

 羽深は扉に手をかけ、開けてくれた。

「もうお会いしたくないですが、またお会いすることになりそうですね──そらさん」

 その予言めいた言葉とともに、黄色い光の洪水に身体は吸い込まれた。