『過去の思い出』
彼方から告白され、彼方の気持ちは受け入れた。だけど……僕はまだ、彼方にきちんと僕の気持ちを伝えていない。伝えていない、というと語弊があるけど、僕としてはまだ伝えていないと思っていた。僕の中の智鶴が消えるまで待って、とお願いした。それがいつになるなんて言えなかったのに、彼方は待ってくれると言った。それなのに僕は、彼方の気持ちを知っていながら、彼方にキスをした。なんてひどいんだろう、と彼方を送った後、自嘲した。
次の日、案の定、秋孝には僕の気持ちなんかお見通しで、白い目で僕を見ている。
「前から思っていたけど、おまえはほんっとそういうところだけは最低だな」
軽蔑の言葉を吐かれるのは覚悟していたけど、やっぱり言われるとつらい。
「僕だってわかってます。だけどそうは言っても僕だって男ですからね」
「少しは俺の鉄壁の心を見習え」
それはそれでどうかと思う。とは口が裂けても言えないけど、たぶん秋孝には伝わっている。
「おまえみたいにもうちょっと大胆だったらよかったんだけどな」
ぼそっとつぶやく。なにも言えなかった。全然自分のことは大胆とは思っていないし、秋孝が臆病だと思ったこともない。だからと言って彼方のことを軽く思っているわけではない。
本当に大切に思っていたし、大切過ぎて気持ちを言えなかったくらいだ。関係が壊れるくらいなら、自分が思いを伝えるのを我慢した方が……良好な関係でいられると思っていた。
それに、彼方から好意を抱かれているのくらい、わかっていた。わかっていても告白できなかったのは、やっぱり弱いからだ。
「まあ、おまえと彼方なら、いいんじゃないのか? どちらも中性的だと言われたらそれまでだが、お似合いだな」
彼方は確かにぱっと見、性別がどちらかわからない。だけど本当はものすごくかわいいのを、昔から知っている。
「しっかし、俺のかわいい従妹をこんな鬼畜に渡すのもなぁ」
馬鹿で変態な秋孝に妹を差し出すのとどっちがいいんだろう、と比べておかしくなった。
「なんだよ、なんかおかしいこと言ったか?」
「いえ……。秋孝に妹を渡すのと僕が彼方と付き合うのと、どっちがましなんだろうってちょっと思いまして」
つい、口が滑ってそんなことを言ってしまった。
「おまえなぁ」
なにか文句を言われるかと思ったら、秋孝は予想外の言葉に絶句していた。
「まあ……残念ながら、どんぐりの背比べ、なのは覆せない事実だな」
珍しく肯定されてしまった。正直、うれしくない。
智鶴と秋孝もそろそろかな、とちらりと思っていたら、会社についた。
「モデル?」
「深町はどう思う?」
秋孝の突然の言葉に、僕は戸惑う。
「それは、智鶴の提案?」
「いや。ちぃが仕事したいって言ったから。俺なりに考えたんだけど……やっぱりやめた方がいいかな?」
僕は悩む。秋孝の提案はとてもいいものだと思えたし、智鶴ならば絵になるのは分かった。わかったけど、智鶴がいいというか、というところが問題だった。
「智鶴はどう言ってるの?」
「うん? まだ話してない。それに、ちぃはきっと、断らない」
大した自信だな、と思ったけれど、秋孝がそういう時は間違ってないからたぶんそうなのだろう。
「蓮に声をかけようと思ってるんだが、いいよな」
蓮さんか。僕は男なのにかわいい顔を思い出し、少し笑う。
秋孝は蓮さんのこと、気に入ってるんだよな。出会いがものすごくインパクトが強すぎて、昨日のことのように思い出される。
『てめぇ、オレの顔のことをいいやがったな!』
秋孝が大学に入学して間もないころ。僕はまだ高校生だったけど、その日はなぜかどういう理由だったのか思い出せないけれど、秋孝について大学に来ていた。オリエンテーションが終わったらしい秋孝のいる教室に向かうと、いきなり怒声が聞こえてびくり、とした。
『かわいいからかわいいって言っただけだろう?』
秋孝の低い聞きなれた声がざわめきの中でもはっきりと聞こえた。人込みをかき分けて、その声の主の元へ向かった。ようやくかき分けて辿り着いた先には、秋孝の背中と目の前に妙にかわいい顔をした男が立っていた。ああ、秋孝が好きそうだな、とぼんやり思っていたら、その男は秋孝にものすごい勢いでかみついている。
『そもそもいきなり抱きつくとはおまえはどういう教育を受けてきたんだ』
まわりはわーわーと野次馬状態になっている。これをどう収拾しようかと悩んだ。
顔はかわいいのに結構言うことはいうんだな、というのが僕の第一印象。たいていの人間は秋孝の雰囲気にのまれて言い返すことができない。さらに秋孝もかなり言う方なので、少し威勢がよい人でもすぐに負けてしまう。秋孝も負けずに言い返しているが、向こうの方が少し上手のようで、珍しく押され気味だった。これは助けなくていいか、と静観を決め込もうとしたら、秋孝に気がつかれてしまった。
『なんだ、深町いたんなら言えよ』
野次馬の視線が一斉に僕に向く。頼むから秋孝、空気読め。
『おまえ、話をそらそうとするな!』
それはもっともだ、と僕も思ったから同意の意味でうなずいた。
『おまえじゃないよ、高屋秋孝』
秋孝はめんどくさそうに名乗った。
『わかった。俺が悪かった』
秋孝はあっさりと折れていた。珍しいな、と思っていたら、向こうはあまりにもあっさりと謝罪の言葉を手に入れられ、拍子抜けした表情をしていた。
『佳山蓮』
『蓮か。いい名前をつけてもらったな』
そう言って秋孝は自分とあまり身長の変わらない男の頭をぽんぽん、となでて片手をあげて野次馬の間を抜けて、教室を出ようとしていた。僕はあわてて秋孝を追いかける。
『てめぇ! あっさり謝っておいて、今のはなんだ!? オレのこと、馬鹿にしてるのかよ!』
まあ……普通の反応だな。
『また明日な』
秋孝はマイペースに教室を出て行った。僕は遅れないように、走った。
僕は蓮さんと初めて出会った時のことを思い出しながら、口を開いた。
「蓮さんですか。いいんではないですか?」
蓮さんがいる部署を思い出し、
「智鶴になにをさせるんですか?」
「なんかあいつ、面白そうなことをしてる割には苦戦してるみたいだから、ちょっと手伝おうかと思ってな」
意味がわからなかった。
「それに、あいつの嫁をちょっと見てみたいと思わないか?」
そう言えば、結婚式の招待状が来ていたのを思い出した。あいにくと都合が悪くて欠席にしたけど、話を聞くと同じ部署の人と結婚したらしい。あの蓮さんが結婚する、というのが意外だったので相手の女性を見てみたいとは思っていた。その相手の女性もなかなか仕事ができる人のようで、短大卒三十歳で課長になったという。
「ええ、確かに見てみたいですね」
そんな軽い気持ちだったのが……あんなに秋孝と蓮さんの奥さんがバトルになるなんて……。