Sweet darling, Sweet honey


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【わたしの告白】



 彼方の告白を聞いてから数日後、熱に浮かされたような彼方になにかあったな、とすぐに気がついた。きっかけを探してなかなか言い出さない彼方に、
「うまくいったの?」
 と水を向けてみた。
 そうしたら彼方の頬はみるみる間に真っ赤になり、
「あ、うん」
 わたしは安堵した。胸が痛むかと思ったけど、そんなことはまったくなかった。
 最近ではパパとママのことを思い出すことも少なくなって、そろそろふたりともお別れの時かな、とうっすら思っていた。
 木箱を久しぶりに見た。ここに来た当初は毎日のように眺めていたような気がしたけど、ここでの生活が長くなるにつれ、木箱に視線をやる機会がどんどん減っていたような気がする。なんて薄情な娘なんだろう、と自嘲する。こうなったらわたしからアキへきちんと告白しないといけないかな、と思っていた矢先。
「モデル?」
 アキの提案にわたしはきょとん、とまさしく“鳩が豆鉄砲を食らった”ような顔で見た。
「当初、ちぃにお願いしようと思っていた仕事なんだよ、モデル」
 なんでまた、モデル? という疑問を口にしようとしたら、
「星川なな子の子どもなら、その道でも成功しそうだしなぁ。俺としてはちぃは俺の仕事を手伝ってくれるってのが一番理想なんだが」
 最近ではすっかり簿記の勉強も楽しくて、その先に広がる経営なんかもちょっと視野に入れていたりする。アキの行っていたという大学の学部を調べたら、経済学部に経営学科があるらしく、そちらに行こうかとふと思ったりもしていた。そのことをアキに告げたらかなり驚かれたけど、
「ちぃが考えて決めたのなら、チャレンジしてみろ。俺は手助けはするけど、その代わり、一切泣き言は聞かないからな」
 泣き言をいうつもりはなかったから、お願いします、とだけ言った。
「でもまあ、とりあえず、今回のこの仕事だけは受けてくれるか? 俺の仕事の都合で今日、今から打ち合わせになってしまったんだけど」
 アキの言葉にさらに目が点になった。
「俺の大学の時の同級生がグループ会社にいて、そこでモデルをやってほしいんだ」
 仕事の話はそれなりに聞くことがあったけど、学生時代の話はまったく今まで聞いたことがなかったので、驚いた。それよりも深町と同じくらい信用しているっぽいこの物言いに、その相手にものすごく興味を抱いた。
「佳山葵(かやま あおい)って知ってるか?」
 佳山葵、と言われて驚く。
「知ってるもなにも、わたし、ファンなんだけど」
 若手のヴァイオリニストで、美人な容貌とその演奏で人々を魅了している。
「そうか」
 アキはびっくりしたように目を開き、
「佳山葵の弟なんだけどさ」
 アキにしては歯切れが悪くて首をかしげた。
「あー、やっぱり人選を間違ったかなぁ……。ちぃ好みかもしれないなあ、あいつ」
 CDジャケットだけでしか知らない佳山葵さんを思い出して……あのはかなげな雰囲気は深町とはかぶらないし……それに葵さんは女の人だった、と思い当たりアキの杞憂に笑った。
「それで、あいつをここに呼び出したから。深町が迎えに行ってる。もう少ししたらくると思うから、準備して」
「え? 彼方は?」
「もう伝えてある、今日は来ないよ」
 彼方にわざわざ来てもらって勉強できないってなると申し訳ないから、ほっとした。
 しばらくして、アキはわたしを抱えて玄関まで行った。打ちあわせをする予定の部屋を確認したり、じいに指示をだしたりあわただしく動いていると、聞きなれたエンジン音が外からしてきた。わたしは玄関を開けて外に出ていく勇気がなくて、扉からそっと覗いていた。
 深町が降りてきて、後部座席のドアを開けている。中から黒髪のセミロングの女の人が降りてきた。女の人? なんだか恐縮しているけど、えくぼのかわいい人だな、とこの距離からも見えた。反対側の後部座席からは、スーツをそつなく着こなした黒髪の男の人が降りてきて……顔を見てびっくりした。CDジャケットで見た葵さんそっくり! 男の人……だよね? 背の高さも深町くらいかなぁ? 伸びをしてこちらの建物を見つめている。
「お、来たか?」
 アキはうれしそうにばたん、と玄関を開き、
「れーんー! 会いたかったよ!」
 と叫んで黒髪の男の人に走り寄っていく。アキのその行動にびっくりして、アキを見つめていた。黒髪の男の人はアキの声にあからさまに反応して身体をこわばらせ、次の瞬間には回れ右をして走りだそうとしていた。が。アキの方が早かったようで、抱きつかれていた。ここからはなにを話しているのか声は聞こえない。アキのその行動に、あきれていた。やっぱり……変態だ。
 と思ったらさっきのえくぼがかわいい女の人がものすごい形相でアキと黒髪の男の人を引き剥がして、女の人は後ろに男の人を隠してアキに食ってかかっている。うわ……。あのえくぼの女の人、強い。ちょっと尊敬した。アキにあんなに食ってかかれる人なんて、そうそうお目にかかれない。というより……もしかして、系統一緒? ちょっと嫌な予感がした。ぎゃいぎゃい言い合っている風なのはここからでもよくわかる。犬猿の仲、という感じでげんなりした。
 深町がなにか言ったらしく、視線が一斉にこちらに向く。えくぼの女の人と目があった。なにか叫んで、えくぼの女の人はわたしのところに駆け寄ってきた。
「あなたが深町さんの妹さん?」
 近くで見ると、かわいい人で少しびっくりした。
「あ……はい。智鶴です」
「いやん、かわいい~! ちぃちゃんだ!」
 そういうなり、えくぼの女の人はわたしを抱きしめ、軽くキスをしてきた。そのキスは……まったく嫌な感じじゃなくて、むしろ気持ちがよくてわたしは抵抗するとか抗うってことさえ思い出さなかった。
「ちぃちゃん、かわいい」
 うふ、という感じに笑われ、わたしは少し赤くなった。その途端、向こうからアキと黒髪の男の人が血相を変えてかけてきて、わたしと女の人は引き剥がされた。アキに抱きしめられ、アキは女の人を睨みつけ、
「おまえ! 俺でもまだキスしてないのに!」
 突っ込みどころはそこなのか? という疑問を思いつつ、キスされたことを思い出してわたしはアキの腕の中で暴れた。
「離して!」
「嫌だ! 女相手はいいのに、なんで俺は嫌がるんだ!?」
「え……? だって、アキじゃないから」
 わたしの言葉がよほどショックだったようで、アキは頭を抱えて座り込んだ。うん、アキにされていたらわたし、たぶん泣いてた。
「あの……」
 アキを放置して、えくぼの女の人に声をかけた。
「ちぃちゃん、私、佳山奈津美(かやま なつみ)。よろしくね!」
 目をキラキラさせて名前を教えてくれた。
「佳山さん……ですか。よろしくお願いします」
「いっやーん、奈津美って呼んでよ」
 なんか面白い人だな、と思ったら、奈津美さんに抱きしめられてなでなでされていた。アキと……ベクトルが一緒だけど、なんでだろう、奈津美さんだと嫌な感じがしない。
「うふふ、かわいいなぁ、ちぃちゃんは」
「奈津美さんもかわいいですよ」
 正直な感想を述べた。
「いやん、お世辞はいらないわよ~」
 お世辞じゃないんだけどなぁ。
 どんよりと暗いアキを深町がなだめ、わたしたちは打ち合わせするために準備していた部屋に入る。
「今日、蓮を呼んだのはだな」
 アキが話始める。でもアキの目は奈津美さんをにらんだままだ。奈津美さんは素知らぬ涼しい顔をして部屋の中を見ている。これは、奈津美さんの方が上手だな。アキ相手にあれだけ噛みつける人だから、相当強い人だよね。少し憧れの気持ちを持って奈津美さんを見た。
「おまえの部署、ブライダル課だよな」
「うん。奈津美が課長」
「こいつがか?」
 アキは嫌そうに奈津美さんを指差している。
 課長さんなんだ、すごい!ますます尊敬の念を持って奈津美さんを見る。
「人に指を向けるのはよくないって教わらなかった?」
 奈津美さんの言葉に、アキはなにも言わないでムッとして指を引っ込めていた。
「課長を務めさせていただいております」
 そう言って名刺を渡された。
「仕事では小林姓でやってます」
 ああ、とそこでようやく思い当たる。佳山ってさっき、名乗ってた。黒髪の男の人……佳山蓮(かやま れん)、と書かれた名刺を見て、この人たち、夫婦なんだ、とふたりを見た。
 アキと深町も名刺を渡していた。奈津美さんは渡された名刺をじっと見つめ、
「専務ねぇ」
 奈津美さんはアキをにらんでいる。
「おまえを首にするなんて簡単なんだからな」
「へー。職権乱用もいいところね。首にしたければすれば?」
 どう考えてもアキの負けだわ。やりとりがおかしくて、くすり、と心で笑った。
「こう見えても俺、忙しいからさくっと本題に入るな」
 アキはお茶を飲み干し、
「ちぃにモデルの仕事をさせたいんだ」
「モデル?」
 アキの言葉に、ふたりはきょとんとした顔をしていた。ちょっと前のわたしと同じ反応で、やっぱり笑った。
「まあ、ビジネスホテルで挙式するなんてめでたいやつがそうそういるわけないのはわかっているんだが」
「悪かったわね。そのめでたい場所で式をしましたよ、私」
「そうか」
 アキは申し訳なさそうに奈津美さんを見ている。
「でまあ、世間の目はそうなのはおまえたちが一番よくわかっていると思う」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「そこで、そのイメージを払しょくさせたくてだな。ちぃをモデルにして広告を打ってほしいんだが」
 奈津美さんと蓮さんは目を点にさせていた。わたしもモデル、とは聞いていたけど……そんな大役、わたしに務まるの? 奈津美さんはわたしに視線を向けて、
「えっと……。ちぃちゃんはどうなの?」
 正直なところ、大丈夫かな、という気持ちはあったけど……わたしがアキに頼んだことだし、断る理由もなかったので、
「わたしですか? あの……わたし、このままここでなにもしないでお世話になるのが嫌で……。アキにお仕事をなにかってお願いしたんです」
 奈津美さんはふぅ、と息を吐いて、
「秋孝さんは気に食わないけど、その申し出、大変ありがたいわ」
「おまっ……!」
 なにか言おうとしたアキを手で制して、
「ちょうど売り出し方を悩んでたところだし。その提案、受けた!」
 にやり、と奈津美さんは不敵に笑った。
 その笑顔が素敵で……女の人相手だけど、ちょっと惚れた。
「で、さっそくだけど」
 奈津美さんは本格的な仕事の流れを話し始めた。
 話し合いは長時間に及び、夕飯を一緒に食べたらふたりは帰って行った。もう少し話をしたかったけど……。奈津美さんはアキの目を盗んで何度かわたしにキスをしてきた。奈津美さんのキスはとっても気持ちがよくて、でもそういえばこれってファーストキスだよね、とちらりと思った。
 ふたりが帰った後、アキはあからさまに不機嫌だった。奈津美さんにずっと負けっぱなしだったのかシャクだったみたいだ。
「アキ、いつまで怒ってるの?」
 わたしの部屋に来て、なにをするでもなくアキはぶすっとして座っていた。わたしはアキの前に座り、顔を見た。
「俺でさえちぃにキスしてないのに」
「なんだ、そんなことなんだ」
「そんなことって! ちぃ、いいのか?」
「なにが?」
 アキの意図がわからなくて、わたしは首をかしげた。
「その、相手は女だぞ」
「わたしは嫌じゃなかったからいいよ」
 わたしの言葉にアキはますます機嫌が悪くなる。
「あー! すっごい腹立つ! なんだあいつ、こんなに腹が立つの、蓮に初めて会って以来だ! いや、あの時以上だ」
 今ではすっかり仲良しさんの割に、蓮さんと初めて会ったときは怒ってたんだ。どんな出会いだったんだろう、と少し興味がわく。
「姫さまみたいな顔してるからからかったら、ものすっごい怒涛のように文句言われた」
 聞きもしないのでアキは教えてくれた。
 ああ、姫顔。言われて納得する。
「でも、きれいな顔なのにそれをからかうからでしょ?」
 わたしの言葉にアキはムッとする。
「あー! どうも最近は俺が言い返せない相手ばかりでストレスがたまる!」
 アキが言い返せない相手ってのはその相手を認めてるってことで、わたしはアキが奈津美さんもきちんと認めているんだ、と思ったらうれしくなった。
「奈津美さん、すごいよね。初対面でアキにあんなに食ってかかってアキを黙らせた人なんて初めてなんじゃない?」
 その指摘は当たりだったらしく、不機嫌に拍車がかかった。
「あいつは……俺をかなりかき乱していきやがった。あんな挑発していって……!」
 わたしはアキにほほ笑んだ。
「アキ、あのね」
 わたしはさっき、奈津美さんから勇気をもらった。
『秋孝さんのこと、好きならきちんと好きって伝えないとだめだよ。秋孝さん、馬鹿だけど、ちぃちゃんのことを本当に大切に思ってるから』
 奈津美さん、初対面のはずなのにそう言いきっていた。アキが馬鹿だってのもきちんと見抜いていて、わたしは笑った。
 アキは確かに初めて会ったときからわたしのことを好きだ好きだって言ってたけど、それは冗談だって思っていた。でも、これまで一緒に短い時間だったけど過ごして、それが冗談じゃなくて本気だったんだって……最近わかってきた。
 それに、わたしの中はもうアキいっぱいで。そろそろパパを解放してあげよう、って奈津美さんの言葉に勇気をもらった。もう、パパがいなくてもわたしは大丈夫。だからパパ、ママと一緒にゆっくり休んで。
 わたしは心の中でそう告げて、パパとママに本当にお別れをした。
「ちぃ?」
 わたしはじっとアキを見つめていた。アキはなにか感じたのか、目を細めてわたしを見ている。
「今、摂理がありがとうって」
「アキ……パパの声が聞こえるの?」
「うーん、聞こえるっていうか。感じた、という方が正しいのかな?」
 アキはたまに不思議なことを言う。
「あのね、アキ。わたし、アキのこと……」
 心臓が急にどくん、と音を立てて高鳴り、どきどきと早鐘を打ち始めた。な、なんでさっきまで平気だったのに急に!
「その、あのね」
 わたしはドキドキする心臓を押さえようと深呼吸をして、その勢いで気持ちを口にした。
「アキのこと、好きだよ」
 わたしの言葉にアキは固まる。
「ちぃ?」
「聞こえなかった? わたし、アキのこと好きだよ、大好きだよ!」
 アキはようやく言われた言葉の意味を理解して、わたしをゆっくり抱きしめた。
「ちぃ……本当?」
 いつもは自信満々で命令口調なのに、今のアキは自信なさそうに戸惑った表情でわたしを見ている。
「うん。アキのこと、大好きだよ。だから今、パパとママとお別れしたの」
 わたしの言葉にアキは目を見開いた。
「それで摂理……ありがとうって」
 パパとママ、今までわたしの側にいたのかな? ふたりはどこか遠くにいっちゃったのかな? だけど、わたしはもう大丈夫だよ。アキがいるから。
「ちぃ、俺の嫁になってくれるのか?」
「はい、喜んで」
 わたしの答えにアキは今まで見たことがない屈託のない満面の笑みを浮かべた。うわ……この笑顔は……反則過ぎる。わたしのドキドキはますます加速して、心臓が止まっちゃうんじゃないかってくらい。
「ちぃ、目を閉じて」
 アキに言われ、わたしは目を閉じる。アキの大きな手がわたしの頬を優しくなで、指先で唇をなぞり、そっと唇をふさがれた。
 ああ、わたし。アキにキスされてるんだ。
 昼間の奈津美さんのキスとはまた違う感触に、わたしは甘い息を吐いた。







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