Sweet darling, Sweet honey


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『迎え』



 朝、秋孝を迎えに出ようと玄関のドアノブに手をかけた瞬間、携帯電話がなった。着信名を見ると、秋孝だった。
「おはよう。珍しいね、朝から電話なんて」
 もう少し後になったら顔を合わせるのに、電話をかけてくるなんてなにかあったのかな、とちらりと嫌な予感がよぎる。
『おはよう。蓮を迎えに行ってくれ』
 それだけ言うと、僕の質問を聞かないで電話を切った。言うことだけ言って切るとは、相変わらずひどい。かけ直して聞いても時間の無駄なのを知っていたので、蓮さんの会社に向かうために車を出した。前の日に言ってくれていれば、ベンツではない車にしたのに。と心の中で秋孝に文句を言いつつ、車を走らせる。まったく、秋孝の思いつきとわがままぶりにはほんと、困る。
 これだと蓮さん、機嫌が悪そうだな……久しぶりに会う蓮さんの嫌そうな表情を想像して、少し気が重くなる。
 道が思っていたより混んでいて、少し遅い時間に蓮さんが勤めている会社の前についた。だけどまだ降りてきてないようで、ほっとした。むちゃくちゃなことを言われた揚句に僕が待たせていた、となると申し訳ないと思ったので、よかった。さすがに始業時間を過ぎているので、会社の正面玄関は静かなものだ。
 しばらく運転席で待っていたら、玄関に見覚えのあるシルエットが見えて、僕は車から降りた。久しぶりに見る蓮さんは、やっぱりかわいい顔をしていた。そして、その隣にはえくぼの女性がいた。蓮さんはその女性の手をしっかりと握っていた。ああ、あの人が奥さんなのか。彼女の第一印象は、『びっくりするくらい普通の人』だった。蓮さんが結婚するくらいだから、なんだかもっとインパクトのある人だと思っていたから、正直な話、拍子抜けした。
「蓮さん、お久しぶりです」
 蓮さんが気がついたので、僕はそうあいさつした。
「深町自ら出迎えなんて、秋孝の依頼、怖いなぁ。オレ、ここで引き返していい?」
 予想通りの答えと蓮さんのひきつった表情を見て、気の毒に思った。
「断ってもいいですけど、僕は後のことは責任持ちませんよ?」
 とりあえず、にっこり笑っておこう。
「またなんか変なこと、考えてるだろう」
「へ、変ってなによ!」
 蓮さんと女性の会話に不思議に思って、女性を見た。
「ああ。オレの嫁」
「蓮、少し間違ってる。嫁は蓮で私はだんな」
 なんとなく、蓮さんが彼女を結婚相手にしたのがこの一言でわかったような気がした。
「辰己深町です。このたびは秋孝のわがままにお付き合いさせることになり、誠に申し訳ございません」
 蓮さんに、というより奥さんに申し訳なくて、謝る。
「辰己……って。ちょ! 蓮!」
「お、さすが奈津美さま。気がついた?」
「気がついたもなにも!」
 ここのところ、新聞にテレビにとおじが社長をやっている会社が連日にぎわせているから、さすがに『辰己』と聞いたら『タツミホールディングス』を思い出すだろう。自分がまいた種とは言え、そろそろ静かになってほしいと思っているところだ。
「それに、秋孝って……うちのグループ会社の総帥の息子の名前じゃないの!」
 総帥の名前も知らない社員がいるくらいだから、息子である秋孝の名前を知っているとは、やっぱりこの人、切れる人なのかもしれない。
「あー。さすがに奈津美も馬鹿じゃなかったのか」
 どこかで区切らないとこのまま延々としゃべりそうだったので、
「とりあえず、急ぎますので続きは車の中で」
 と促してみた。後部座席を開けて、乗るように促す。
「うわ! そんなすごい人に車のドアを開けさせるなんて!」
 と奥さんはあわてて乗り込む。蓮さんもその後ろから乗り込み、きちんとふたりが車におさまったのを確認してからドアを閉め、運転席に乗ってシートベルトを閉め、ハンドルを握る。
 車が動き始めてすぐ、奥さんは口を開いた。ふたりの会話を聞くともなしに聞いていた。
「辰己さんだって」
 ふとそう聞こえて、訂正を入れる。
「深町でよろしくお願いしますね」
 辰己という名字があまり好きではない。名字が好きではない、というと誤解を招きそうだけど、たぶん僕がいわゆる「フツーの家庭」に生まれていて、名字が辰己だったら、好きではない、という感情は抱かなかったと思う。父がカケオチしてもそれでも「辰己」姓であることに誇りは持っていた。そう、父の兄であるおじが「タツミホールディングス」の社長になるまでは。
 僕はおじのことが嫌いだ。秋孝に言わせてみれば、
『好き嫌いをはっきり言わない深町が嫌うなんて珍しい』
 とは言うけど、僕だって人並みに好き嫌いがある。ただ、嫌いという感情は負の気持ちだからあまり抱かないようにしている、というだけの話だ。
 そう思っているにも関わらず、どうしてもおじだけは好きになれない。好きになれないどころか、嫌いなのだ。おじはそんな僕が好きで好きで──もちろん、肉親的な意味で──たまらないらしい。
 おじと父は、双子の兄弟でありながら、火と水の関係で仲が悪い。父の子である僕のことが好きだなんて、どう考えてもゆがんでいるとしか思えない。
 そして、父は……あろうことか、おじの婚約者であった智鶴の母とカケオチをしたのだ。それを知った時、さすがに父を軽蔑した。よりによってなんてことを……!
 おじも後から聞くところによると、智鶴の母に相当入れ込んでいたらしい。そしていまだに独身なのは、帰ってくる当てのない彼女を想って──といえば聞こえがいいけど、要するに父と智鶴の母へのあてつけ──らしい。
 子どものいないおじは、再三僕を養子にしたいと申し出てきている。亡くなった僕の母もおじを嫌っていて、申し出を何度も断っていることを知っている。それでも懲りないところをみると、相当執念深い人なのだ。
 カケオチをしたのにいまだに父の方が人望厚いというところを見ると、おじは相当嫌われているらしい。困ったものだな、と思っていた。ある意味、あの人もかわいそうな人ではあるのだけれど。
 だからと言って、やっぱり好きにはなれない。
「ふ、深町さんだってその、すごい人なんでしょ?」
「すごくないですよ。実家がちょっとすごいってだけで、僕は秋孝の秘書をしている普通の会社員です。おふたりと変わりないですよ」
 あのおじと同じ名字というだけですごいといわれるのは正直、あまり気持ちがいいものではない。
「秋孝も次期総帥候補ってだけで、ただのバカだ」
 蓮さんの言葉に、僕も同意する。
「会えばわかるよ、秋孝のバカっぷり。ほんと、TAKAYAグループの次期総帥候補があれで……オレは頭が痛いよ」
 その出会いが、大変になるなんて、僕たちはその時は知らなかったのだ。もし知っていたら……僕はふたりの出会いを阻止していただろうか。いや、たぶんしていない。
「蓮さんが秘書になればいいんですよ」
 以前から思っていたことを口にした。秋孝のわがままには小さいころから慣れているけど、蓮さんならあの秋孝のわがままを上手に御してくれるのを知っている。僕は秋孝のわがままを世間の皆さまが納得するように整えるだけだけど、蓮さんは周りの意見をきちんととりいれて秋孝に納得させることができる力がある。だけどやっぱり蓮さんはいつものようにものすごく嫌そうな顔をして、
「嫌だよ。オレは奈津美の秘書してるから」
 蓮さんの言葉に少し、安堵する。蓮さんが秋孝の秘書をやる、となると、僕の居場所はなくなるからだ。
 それにしても。大学時代の蓮さんの瞳の奥に見えていた世間と距離を置いた色が奥さんといるとまったくないことに、驚いた。秋孝と僕といる時もそうだったけど、奥さんと一緒にいる蓮さんは本当に幸せそうで、安心した。
「噂には聞いていましたけど、蓮さんがそうやって幸せそうな姿を見て、安心しました」
 正直な感想を述べると、蓮さんは照れていた。そんな表情を初めて見て、自然とほほ笑んだ。
「で、どこに連れて行かれるわけ?」
「秋孝ともうひとり……僕の妹に会ってほしいんです」
「妹? おまえに妹なんていたんだ」
 蓮さんに自分のうちの家庭の事情というやつを少し話してあった。蓮さんに話す必要などなかったけど、なんとなく聞いてほしくて、蓮さんとふたりきりになったときに話したことがあった。蓮さんに話をすることで救われると思った僕は、今日の天気を述べるくらいの軽い気持ちで話をした。なんだか矛盾しているように聞こえるかもしれないけれど、父がカケオチしただなんて、真剣に話をしたら相手が困るだけだ。救われたいと思ったからこそ、でも蓮さんだから、話をした。軽い口調で話したことを怒られたけど、それ以外は黙って聞いてくれた。そして、特になにか言われたわけではないけど、話したことですっきりした。たぶん僕は、だれかに聞いてほしかったんだと思う。
「腹違いの妹が、僕にいたんですよ」
「腹違いって……。おまえのとこの親父さんって確か」
 きちんと覚えてくれたんだ、といううれしい気持ちでいっぱいになった。僕の一方的な話で、たぶん蓮さんは迷惑したんだろうけど、気遣うようなその言葉に、気持ちが軽くなった。
「ええ。カケオチして……その女性との間の子どもです。星川なな子って女優、ご存知ないですか?」
 僕の言葉に奥さんが目を丸くする。
「ほ、星川なな子!? 私の憧れの人よ!」
 星川なな子を知っている、ということは、見た目より年上なのか。そういえば三十歳と聞いたような気がする。星川なな子がテレビから消えたとき、彼女は十二歳か。
「星川なな子って、もんのすごいきれいな人で、演技も上手で『稀代の大女優』の称号をほしいままにしてたんだけど、ある日を境にぷっつりテレビから姿を消したのよ!」
 当時小学生だった人が星川なな子を覚えているとは結構渋いな、とちらりと思う。
「僕の父とその星川なな子の子どもが……妹なんです」
 僕の言葉に奥さんは痛いくらいの視線を送ってくる。
「な、なな子さまの子ども……!?」
「なな子さま?」
「なな子さまは私の憧れよ! 輝くばかりの美貌! はかない雰囲気を持ちながらも時にはワイルドで! そしてなにより着物を着たときのうなじの美しさ!」
 やっぱり渋い。よりによって着物でうなじとか言っている。
「奈津美、わかった。わかったから落ち着いて」
「だって! これが落ち着いていられますか! もう二度と会えないとあきらめていた人に近いのよ!」
「それが……父も……妹の母も亡くなっています」
 僕の言葉に、ふたりは絶句した。
「火事で……亡くなりました」
「え……」
「まだ、いろいろとありまして……。公表してないのですけどね」
 タツミホールディングスの件もあるけど、テレビから消えた星川なな子がカケオチした挙句、火事で焼死だなんて、公表できない。公表することで智鶴の存在も世間にさらすことになる。未成年の智鶴に、つらい思いはさせたくない。
 奥さんはがっくりとうなだれていた。でも次の瞬間、思いなおしたようでぱっと顔をあげて、
「あ、でもでも! その娘さんならもう、きっとものすごい美人さんよね!? あー、私。楽しみだわー」
 と言っている。僕はこのあたりで、ちょっと嫌な予感がし始めていた。







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