Sweet darling, Sweet honey


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【強がり】



「彼方は相変わらずだなぁ」
 アキはやっぱりわたしのことを抱きかかえながら部屋に戻っていた。
「なにが?」
 アキがおろしてくれないのを知ってあきらめた。
「うん? 独り言」
 アキはそう言ってニヤニヤしている。
「なんかやな感じ」
 わたしのつぶやきにアキは
「これはあいつらの問題だからな。俺も口出せないし、ちぃが聞いたって不愉快になるだけだよ」
 その言葉にさらにムッとなる。
「人のことより自分のことを先にしろよ、な」
 いつの間にか部屋についていたらしく、床に下ろされた。
「今日は添い寝しなくてもいいか?」
 アキはわたしの目を見ながら聞いてくる。
「いらないよ! 今日は眠れるもん」
 あまり自信がなかったけど、強がってみた。
「わかった。じゃあ明日の朝、俺のこと、起こしてくれる?」
 今日の朝の寝起きの悪さを思い出し、首を振る。
「やだ。アキって寝起き悪いんだもん」
「ほっぺにチューしてくれたらすぐに起きるんだけどなぁ」
「無理! 絶対にしないから!」
「なーんだ、残念」
 そう言ってわたしの頭をぽんぽん、と叩いて、
「俺、遅くまで部屋で仕事してるから。なにかあったらおいで。明日は六時に起こしてね」
 それだけ言って、アキは自室に消えて行った。
「起こすって言ってないでしょ!」
 その言葉は廊下に空しく響くだけだった。



 目覚まし時計の音で目が覚めた。どうやら一晩、起きることなく眠ることができたようだ。時計を見ると、五時四十分。アキを起こすために少し早めに目覚まし時計をかけていた。
 温かい布団からなかなか抜け出したくなかったけど意を決して布団から出て、顔を洗って着替える。気のせいかまた服が増えているように見えたけど、気がつかなかったことにする。
 六時ちょっと前にそーっとアキの部屋に入る。アキはどこにいるんだろう、ときょろきょろと部屋を見渡す。広い部屋に布団が敷かれている様子もなく、ふと机の場所を見ると、そこに布団の山があった。机のライトもつけっぱなしで昨日は遅くまで仕事をしていたんだなというのがわかった。
「アキ、起きて。六時だよ」
 遠慮がちに布団をゆする。昨日はこれくらいでは起きなかったのを思い出し、もう一度ゆすろうとした。布団に手をかけた瞬間、がしっと腕を掴まれた。びっくりして、手を引っ込めようとしたけど腕を掴まれた手は思った以上に力強くて焦る。
「あ、アキ!?」
 ぐい、と腕を引っ張られ、布団の中に引き込まれる。怖くなって暴れる。
「アキ! 起きて!」
「んー、ちぃ、おはよう。うーん、ちぃのいいにおいー」
 抱きつかれ、くんくんと匂いをかがれる。そういえば昨日からアキからタバコのにおいがしなくなった。
「アキ……。タバコやめた?」
「うん? やめたよ。ちぃが嫌がること、したくないから」
 タバコってそんなに簡単にやめることができるものなの?
「ちぃ、ありがとう。起こしてくれて」
 アキは起き上り、大きく伸びをした。
「ったく、深町の馬鹿がひどい提案するから俺はほぼ徹夜で資料作らなくてはいけなくなって……。ちぃと触れ合う時間がなくなったじゃないか」
 ぶつぶついいながらアキは布団を片付けて机の上に散らばっている資料を片付けている。
「アキ、寝てないの?」
「寝てないこともないけど……。ようやく横になったのは四時過ぎてたかなぁ」
 ということは二時間くらいしか寝てないってこと!?
「眠くないの?」
「眠いけど、仕事だからね。それに、ちぃの顔見たら、元気になった」
 眠そうにあくびをして、アキはもう一度伸びをした。
「朝ご飯、食べようか」
 アキはそう言って部屋のドアの鍵を開けて外で待っている人を招き入れる。ぼーっとその人たちを見ていた。テーブルを準備して、その上に次々料理を並べていく。
「ちぃは昨日、彼方になにか意地悪されなかった?」
 気がついたらいつものように抱きしめられ、頭をなでられていた。
「彼方、優しいよ。勉強の教え方も上手だし」
「そうか。それならよかった」
「あのね、アキ」
 昨日、思ったことを口にした。
「わたし、大学行きたいの。学費は心配しないで。きちんと奨学生になるから」
「ちぃに金の心配をされるとは思わなかった」
 アキは苦笑していた。
「だってわたし、ここでなにもしないで甘えてお世話になってるだけだし……!」
 アキは困ったようにわたしの髪をなでている。
「なあ、ちぃ。そんな他人行儀なこと言わないでくれよ。ちぃが行きたいというのなら俺も反対しない。学費だって心配しなくていい。だけど今は……もうちょっと待ってくれるか。あの火事の後始末がついたら、ちぃを学校に行けるようにするから」
 びっくりしてアキを見上げる。
「今はしんどいだろうけど……。もうちょっとの辛抱だから。彼方のスパルタ教育で勉学に励んでいてくれるか?」
 困ったような今まで見たことない優しい表情に、戸惑う。そしてアキの瞳の奥に優しい光を見出し、心臓はどきんと一度跳ね上がり、ドキドキと早鐘を打ち始める。
「なにか困ったことがあったら、すぐに俺か深町かじいに伝えるんだぞ?」
 わたしの瞳を覗き込んで、念を押すようにアキは言う。わたしはこくり、とうなずいた。
 朝ご飯を食べ、昨日と同じようにアキを見送り、自室に戻って机に座っていた。
 彼方は九時になったら来る、と言っていたのでそれまで少し時間がある。昨日、外に出ていないことを思い出し、少し外の空気を吸いたくなって外に少し出ることにした。部屋の鍵を閉めて、あの専用の鍵で開ける庭に降りてみた。外は少し霜が降りていて、寒かった。息を吐くと白くて、ぶるりと身体を震わせ、早々に部屋に戻った。それだけだったけどやはり少し気分転換になった。
 温かくなったらあそこで朝食をとるのもいいかもしれないな、とそんな考えがちらりとよぎる。
 そういえば、とふと思い出す。深町は『一緒に暮らそう』と言っていたけど……深町ってどこにいるんだろう? このお屋敷にはいないようだったし。今日の夕食のときに聞いてみよう。
 彼方が来るまで昨日教えてもらったことを復習していた。
 九時少し前にこんこん、とノックされた。返事をして、外にいる人が彼方と確認してからドアを開けた。アキとじいにそうするように口うるさく言われていたからだ。お屋敷の中なのになんでそんなに気にしないといけないんだろう、と思っていたけど、アキとじいの心配そうな表情を見ると聞けなかった。
「おはよう、智鶴ちゃん」
 彼方は昨日よりかなりラフな格好をしていた。
「おはようございます、彼方」
 彼方を招き入れ、昨日の続きで教えてもらう。お昼とおやつをはさんで、夕方までする。
「智鶴ちゃんはここのお屋敷に慣れた?」
 夕方になってきりがよかったので昨日より早めに切り上げ、夕食までの間、わたしは彼方と少しおしゃべりした。
「うーん、実はまだ、ここと食堂しか行ったことがなくて」
「そうなんだ。ここのお屋敷の中、広すぎて迷子になっちゃうからうかつに出ないようにね。ここの建物を建てた人がいたずら好きだったみたいで、ものすごく複雑な作りになってるみたいよ。アタシも怖くて知っているところしか行ったことがないんだけど」
 そんな話を聞くと、臆病なわたしはますますこことアキの部屋と庭と食堂しか行かない、と心に決める。食堂も……自分ひとりでたどりつく自信はなかったけど。
 そろそろアキと深町が戻ってくる時間だな、と思っていたらわたしの携帯電話が鳴った。ディスプレイを見ると、『アキ♪』と表示されている。これ……アキが入れたんだよね……? アキが入力している姿を想像して、頭が痛くなった。出ないわけも行かないので、出る。
『マイ スウィート ハニィ! さみしくなかったかい?』
 第一声がこれである。せっかくのいい声が……台無しだ。
「大丈夫です。彼方と一緒に勉強していましたから」
『そうか、それならよかった。ちょっと渋滞に巻き込まれて、帰りが少し遅くなる。夕食は先に食べていて』
 ちらりと時計を見た。わたしひとりなら待つつもりだったけど、彼方は夕食を食べて家に帰らなくてはいけないから……。
「うん、わかった」
『ちぃ、早く会いたいよ』
「どうぞごゆっくり」
 それだけ言って、電話を切った。
「アキと深町、渋滞に巻き込まれて遅くなるって。どれくらい待たないといけないかわからないから、先に夕食食べてましょ」
 立ち上がり、部屋の外に出る準備をする。……といっても大したことをするわけではないんだけど。彼方も立ち上がり、大きく伸びをしてドアに向かう。
 ドアノブに手をかけようとした瞬間、こんこん、とノックされる。
「はい」
「じいでございます。お食事の用意ができました」
 いいタイミングでじいが現れた。すぐにドアを開けた。
「秋孝さまから連絡があり、少し遅くなりそうということでしたので先にどうぞ」
「うん、さっきわたしのところにも連絡があった」
 『アキ♪』の文字を思い出し、ちょっとだけ憂鬱になる。
 じいは少し微笑んで、わたしたちの先頭に立って食堂まで案内してくれた。ひとりで食堂まで来い、といわれても……たどりつけない自信がある。それほどわたしの部屋から食堂まで距離があるわけではないんだけど、なんだか入り組んでいて悩む。
 わたしと彼方が食事を終わっても、ふたりはまだ帰ってこなかった。
「ふたりの顔を見てから帰ろうと思ったんだけど、遅くなりそうだからアタシ、帰るね」
 彼方は立ち上がった。
「あ、うん。昨日見送れなかったから、送るよ」
 わたしの申し出に彼方は目を丸くした。
「見送りなんていいよ」
「だってわたし、することないから」
 わたしの言葉にじいはわたしたちのところに歩いてきて、
「玄関先まで行きましょうか」
 と言って先導してくれた。
 玄関に行くと、見たことない車が止まっていた。
「彼方、ありがとうね」
「うん、また明日同じくらいの時間に行くから」
 にっこり彼方に笑った。彼方もうれしそうに目を細めてくれた。彼方は玄関前に止まっていた車に乗り込み、後部座席の窓を開ける。
「じゃあね」
 そう言ってバイバイと手を振ってきた。わたしも彼方に手を振った。彼方の乗った車が見えなくなるまでわたしは見送っていた。
 屋敷に戻ろうかと思っていたら、少し遠くから車のライトが見えた。そのまま玄関に立っていた。車は玄関の前に止まった。見覚えのある車にわたしはほっとする。
 助手席からアキが降りてきて、わたしの姿を認めると、
「ちぃ~! 俺の帰りを待ってくれてたんだ!」
 とうれしそうに走ってくる。走るアキを想定してなくて、わたしは驚いてそのまま固まっていた。
「ちぃ~!」
 大きく開いた両腕を大げさに振りながら走り寄り、がばっと抱きしめられた。
「俺に一刻も早く会いたくて、ここで待っててくれたんだね! なんてけなげなんだ、俺のちぃ」
 アキはわたしの髪に頬を擦り寄せ、わたしをギュッと抱きしめる。
「ちょっと! アキのことを待ってたわけじゃないから! 離れて!」
 アキの力にかなわないのはわかっていたけど、アキの胸をぐい、と押して離れようとした。
「ちぃ、そんなに照れなくてもいいじゃない~」
 そういって耳にふう、と息をかけてくる。
「きゃっ」
「相変わらずちぃったら、び・ん・か・ん」
 アキの言葉にぞっとして、胸をどんどんと叩く。
「離して! 寒いから部屋に戻る!」
わたしの言葉にアキはますます腕に力を込めて、
「寒い? じゃあ、ご飯の前にちぃを温めてあげる」
 嫌な予感がして、アキを見上げる。
「なに、温めてほしい?」
「いりません!」
「なんだ、つまんないの」
 アキは拗ねたような響きを言葉に含ませ、いつものようにわたしを抱きかかえて屋敷に入る。アキの後ろから苦笑したような深町もついてきた。
 朝に疑問に思ったことを口にした。
「深町はどこに住んでいるの?」
 わたしのいきなりの質問に少し目を丸くして、次にはいつもの優しい笑顔で答えてくれた。
「僕はここではないところに住んでますよ。秋孝が許してくれたら一緒に住みますか?」
「俺が許すわけないだろう。ちぃの家はもうここなの!」
 アキのぶすっとした声にわたしは目を丸くした。
「わたしのおうち、ここなの?」
「そう。ちぃは俺の嫁だから、俺の家であるここはちぃの家でもあるの」
「一緒に住もうって言ったのに、一緒に住めないね。ごめんね」
 深町の言葉にどう答えていいのかわからない。アキにこのまま甘えっぱなしなのも心苦しいけど、深町と一緒ってのも……。深町と一緒だと、わがままをいいそうだから今の状態がいいのかな、と思ったりする。別にここの屋敷での生活に不自由があるわけではないし、不満はないから……。
「深町と一緒だとわがまま言いそうだから、ここでいい」
「なんで俺には甘えてこないんだ? わがまま言ってもいいんだぜ」
「だって……アキだから」
 わたしの言葉にアキは少しつらそうな顔をする。アキにこんな表情をさせたくて言ったつもりはなかったのに、と少し罪悪感に駆られる。アキには……笑っていてほしいのに。
「あの……ごめんなさい」
 部屋の前につき、わたしはおろされた。
「わたし、ご飯もう食べたから。お風呂入って寝るね。おやすみなさい」
 しゅんとしたわたしの頭を深町とアキのふたりがぽんぽん、と軽く叩いて
「智鶴、おやすみ」
「ちぃ、またあとでな」
 そう言って、ふたりは食堂へ行った。ふたりの背中を見送りながら、小さくため息をついた。
 お風呂に入って寝る準備をして、布団にもぐったのはいいけど。なかなか寝付けなかった。アキのさっきの顔がちらついて、眠れなかった。アキ、もうご飯食べてお風呂に入ったかな? ごそごそと身体を起こし、隣の部屋に続く扉を見た。扉の隙間からうっすらと明かりがもれていて、アキがいることが分かった。と思ったら、いきなり携帯電話が鳴った。びくり、として携帯電話を見たら、『アキ♪』と表示されていた。恐る恐る電話に出る。
『ちぃ、起きてるんだろ。こっちにこいよ』
 なんで隣の部屋にいるのに電話をかけてくるんだろう、と思ったけど、わたしはうん、とだけ言って電話を切った。それでもわたしは動けないでいた。さみしい気持ちはあったけど、またあんな表情をさせてしまうんじゃないかって思ったらアキの部屋に行くのが怖かった。
 しばらくして、アキの部屋に続く扉が開く気配がした。
「ちぃ、寝ちゃった?」
 アキはつぶやくようにそう言って、部屋に入ってくる。布団の上に起きているわたしを確認して、アキは困ったような顔でわたしを見る。
「眠れない?」
 アキはしゃがみ込んでわたしの目線に合わせてくる。
「なに泣きそうな顔してるんだよ」
「………………」
 なんて答えればいいのかわからなくて、無言でアキを見る。
「眠れないのなら、俺の仕事、手伝って」
 アキの申し出にびっくりした。
「て、手伝うって?」
「彼方に聞いたよ。ちぃ、数字に強いって?」
「人並みに、かな」
 わたしの答えにアキは目を細め、ぽんぽん、と頭をなでてくれた。
「なら、ちょうどいい。ちぃに初仕事」
「え?」
「仕事、したいんだろう? 報酬は先払いしてるあそこの服な」
 アキのにやり、とした表情に心臓は一度、どきんと高鳴る。
「上になにか羽織って俺の部屋に来て」
 アキはそう言って先に部屋に戻る。あわてて上に羽織るものを探して、アキの部屋に行く。アキは机に向かっていた。わたしの気配を察して、振り返る。さっきまでかけていなかった艶消しのシルバーフレームの眼鏡が似合っていて、その姿にまた、心臓が高鳴る。
「ちぃはこの名簿のチェックをよろしく」
「チェックって具体的には……?」
 紙の束を渡されて、戸惑う。
「こっちとこっちの数字を見比べて、おかしいところを教えてほしい」
 ずらりと並べられた数字は……。
「これって……」
「うん? 会計帳簿」
 アキの言葉にびっくりする。
「え? わたしなんかがこんなもの見ていいの!?」
「だって、俺の将来の嫁だろう? これくらい読めない奴なんて用はないぞ」
 アキの嫁になるつもりはさらさらなかったけど、アキの少し充血した目やこれがお願いしていたお仕事って思ったら断ることができなかった。
「嫁にはならないけど、お手伝いはします」
「さすがは未来の俺の嫁だな」
 聞いてるの? 反論しようとしたら、アキはもうすでにチェックに入っているらしく、仕方がなく言葉を飲み込んだ。
 しばらくそうやってチェックをしていた。
 渡された帳簿はどこもおかしなところはないんだけど……なんとなく違和感を覚えた。こういう会計帳簿って初めて見たんだけど、この並んでいる数字が意図的に操作されているような違和感があって何度も見直した。
「ちぃ、チェック終わった?」
 いつまでも帳簿を見ているわたしにアキは不審に思ったらしく、声をかけてきた。
「チェックは終わったんだけど。なんだか違和感があって」
 わたしの言葉にアキは目を細めた。前に深町に見せたあの獰猛な瞳で、ドキッとする。
「ちぃはどこに違和感を覚えた?」
 その声音は今まで聞いたことのない響きで、さらにドキッとする。
「わたしの気のせいかもしれないけど……。こことここ」
 指示したところをアキは見つめ、
「じゃあ、申し訳ないんだけど……こっちの帳簿も見てくれる?」
 そう言って渡された帳簿を見比べる。
「どこか変なとこ、ある?」
「あ……ここ」
 違和感を覚えた部分を指摘する。
「ふむ。さすが未来の俺の嫁。よくぞ見つけてくれた!」
 そう言ってアキはわたしの頭を満面の笑みでぐしゃぐしゃっとなでる。
「深町のバカもよくぞこれを見つけたな。よし、これでようやく眠れる!」
 アキの満足した表情を見て、首をかしげる。
「ちぃ、もうちょっと待ってな。少し時間がかかるとは思うけど、これでおまえを外に出してやることができるから」
 意味がわからなかった。
「報酬はあの服じゃあ安すぎだなぁ」
 アキはにこにこしてわたしを見ている。なにがなんだかわからなくて、きょとんとアキを見ていた。







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