Sweet darling, Sweet honey


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【家庭教師】



 そこには、昨日と変わらないじいと、見知らぬ人が一緒に立っていた。
「おはようございます、智鶴さま。お待たせしましたか?」
 そんなに待ってました! って顔をしていたんだろうか。じいはにこやかにわたしの顔を見てそう言ってくる。
「あの……聞きたいことが少しあって」
 じいの後ろにたつ人をちらりと見てから少しつぶやくように言った。
「先にご紹介しておきますね。秋孝さまが昨日、智鶴さまの家庭教師をお願いしたいとの申し出を受けまして。秋孝さまのいとこの遙(はるか)さまでございます」
 ひょろっと背の高いショートカットで中性的な雰囲気の人が立っていた。
「遙彼方(はるか かなた)です、よろしく」
 少しぶっきらぼうにそう名乗り、わたしに握手を求めてきた。
「あ……直見智鶴です」
 じいから説明を聞いているのか、わたしの名乗りに眉ひとつ動かさない。わたしは少し戸惑いながらも遙さんの手を握り返した。
 ほっそりとした手の感触に驚く。ぱっと見、男の人かと思ったけど、女の人のようだ。
「お部屋に入りましょうか」
 じいにいざなわれ、わたしたちは部屋に入った。
「あの……」
 わたしのもじもじした態度にじいは、
「遙さまは信頼できる方ですので、遠慮せずに」
 ちらりと遙さんを見て、
「あの……パパとママのお葬式なんですけど」
「ああ」
 じいは悲しそうに目を細めた。
「お骨もどこかに納めないといけませんよね……」
 わたしとじいは木箱を見つめた。
「お葬式に関しては……智鶴さまのご意思を最優先させますが……。お骨に関しては、深町さまとご相談くださいませ」
 ああ、そうか。ママはともかく、パパは深町の父親でもあるのだ。
「はい、そうします」
「智鶴さま、お葬式はされたいですか? お葬式というのは、残される人たちのためにするものだとじいは思っておりますが」
 じいの言葉に首をかしげた。
「え……。お葬式って亡くなった人のためにするものじゃないの?」
 じいは首を横に振り、
「人は死んだらそれまでです。弔われる方はされたかどうかは分かりません。これは……残された私たちが故人とのお別れをする場だと……じいは思っています」
 じいの言葉はもっともだと思った。
 人間は死んだらおしまい。魂だとか霊魂だとか幽霊なんて……信じていない。もしもそんなものが存在するのなら、そんな存在でもいいからパパとママに側にいてほしい。
「智鶴さまがそうすることでご両親ときちんとお別れできるというのなら……そのような儀式をすることもできますが」
 儀式……か。
「結婚式と同じですよ」
 結婚式と葬式を同じ目線で語るじいが面白いと思ったけど、めでたいことか悲しいことかの違いしかないのか、と思ったらお葬式はしなくてもいいかな、と思った。
「うん、ありがとう。たぶん、パパもママもお葬式はいいって思ってると思う」
 ひっそりと隠れるように過ごしていたのだから。このままそっとしておくのが一番なのかな、と思う。
「いつでも気が変わったらじいにお話しください」
「はい」
 じいの言葉に……パパとママへの悲しい気持ちが少し軽くなった。
 冷たいとか薄情って思うかもしれない。だけどまだ、パパとママとお別れすることがさみしくて。お葬式はお別れの場、と言われて……そういう儀式をすることで強制的にお別れって思わされるより、もう少しわたしの中で気持ちが落ち着いてから自分からお別れしたいと思った。それにはもっとたくさんの時間が必要だから。パパ、ママ、もう少しわたしの側にいて、わたしを見守っていてね。
「遙さま、智鶴さまをお願いします」
 じいは立ち上がり、遙さんにそう伝えて部屋を出て行った。
 部屋に遙さんとふたりきりにされて、わたしは困った。
「あなたが秋孝の彼女ねぇ」
 遙さんは目を細めてわたしを見つめている。その瞳がなにを考えているのか読めなくて、わたしはうつむく。
 世間から見たらわたしみたいなお子さまがアキの横に立つことがどれだけバランスの悪いのか、わたし自身がわかっている。なのにアキは……わたしじゃないとだめだ、と言う。アキにはもっとふさわしい人がいる。たとえばこの遙さん。アキのいとこっていうのなら、全然問題ないと思う。それに、わたしはアキのこと、なんとも思ってない。
「まあ、秋孝は見た目いいのに中身は馬鹿だから……。大変だと思うけど、よろしくね」
 遙さんはクスッといたずらな笑みを浮かべて笑っている。さっきの表情はなんだったんだろう、という疑問が浮かんだけど、遙さんの言葉にすぐに消えた。
「さて。なにから勉強しようか?」
 遙さんは部屋の端に置かれている本棚に近づき、並べられた本を見て悩んでいる。
「高校一年生?」
「はい」
 何冊か本棚から取り出し、部屋の端に置かれている机──壁を隔ててアキの部屋と鏡合わせの場所──に移動して、置いた。
「今日からアタシが智鶴ちゃんに教えるから」
「遙さんが?」
「彼方。遙っての名前みたいだから嫌なんだよね」
 遙さんの言葉にわたしはきょとんと見た。
「彼方って呼んで」
 ようやく意味がわかった。
「でも……遙さん、わたしの先生だし」
「か・な・た! それに、あなたとほとんど年は変わらないよ」
 びっくりして遙さ……彼方を見る。
「ちょっと前にアメリカから帰ってきたばかりだけど、智鶴ちゃんの一つ上。そう見えない?」
 彼方の年齢を知り、びっくりする。アキはとっておきの家庭教師って言っていたし、見た目もわたしなんかよりずっと上に見えていたから。
「アメリカでの生活が長かったからね。自然と同じ年の子たちより大人びちゃったかもね」
 その瞳に向こうでの生活の苦労が垣間見えた。
「でもまあ、とりあえず向こうの大学は卒業してきたし。日本の大学レベルくらいまでならアタシ、教えられるよ」
 大学レベルって……。
「アタシ、容赦しないから。覚悟はいい?」
 彼方の瞳は本気だった。
「あ、はい。お願いします!」
 わたしもアキにお願いした手前、生半可な気持ちで勉強するのも申し訳ない。それに、勉強するのは好き。勉強をしている間は嫌なこと全部、忘れられるから。
 こんこん、とノックの音にわたしたちはびっくりする。あわててドアを開ける。
「智鶴さま、そろそろお昼でございますが」
 ドアを開けるとにっこりとほほ笑むじいがいた。その言葉にあわてて部屋の時計を見た。お昼十二時を過ぎていた。
「お昼にしようか」
 彼方は立ち上がって伸びをしていた。
「お部屋で食べますか?」
 じいの言葉にわたしはうなずく。間もなくして部屋に料理が運ばれてきた。
 彼方は饒舌ではないけど、ぽつりぽつりと話す言葉は落ち着きがあって、わたしは彼方のことが好きになった。
 午後も引き続き彼方に教えてもらい、おやつをはさんで夕方まで勉強した。
「智鶴ちゃんは基本がしっかりできてるから、教えて楽しいわ。この調子なら秋孝が行ってた大学にも余裕で入れそうね」
「え? アキの行ってた大学?」
 彼方さんが告げた大学名を聞いて、わたしは驚いた。
「え……? だってあそこって」
「秋孝、勉強はできるのよ。馬鹿だけど」
 彼方はくすくす笑っている。

「智鶴さま、遙さま。秋孝さまと深町さまがお戻りになられました。遙さまも夕食をご一緒にどうぞ」
「あ、うん。ありがとう」
 そういえば、と思いだしてじいを呼びとめた。
「あの、わたしからじいに連絡取りたいとき、どうすればいいのかしら?」
「智鶴さま、すみません。肝心なことをお伝え忘れていましたね」
 じいは恐縮したように頭を下げる。
 あわててじいに頭を上げるように伝えた。
「本当に申し訳ございません」
「あ、いいって」
 そんなに恐縮されたら、こっちが困る。
「こちらに内線用電話がございまして、これが内線番号表です。じいは五〇一番になります。秋孝さまは一〇一番です」
 ふんふん、とうなずく。
「ご遠慮なく夜中でもかまいませんのでお困りのことがありましたらおかけくださいませ」
「ありがとう」
 たぶん、夜中にかけることなんてないと思うけど。
 そのあと、食堂に行くとすでにアキと深町がいた。
「お帰りなさい」
 にっこりとほほ笑んでふたりを見た。
「ちぃ、会いたかったよー」
 素早い動きでわたしに抱きつこうとしたのがわかったので、彼方の後ろに隠れた。
「相変わらず変態だな、秋孝」
 彼方は冷たい瞳でアキを見ている。
「彼方は俺に冷たいのね」
 くすん、と聞こえそうな声音に少し笑う。
「深町さん、お久しぶりですね」
 今までと違う彼方の声音に彼方を見上げた。
「彼方はいつ、こっちに戻ってたの?」
 深町はいつもの調子でにっこり微笑みながら彼方に聞く。
「ちょっと前にこっちに戻ってたんだけど、それなりに忙しくて。ようやく落ち着いたと思ったら、秋孝に暇してるんなら家庭教師しろと言われて」
「あ……。彼方、忙しかったの?」
 忙しいのに悪かったな、とちらりとそんな思いが浮かぶ。
「いや、大丈夫だよ。気が合わない奴だったら断ろうと思ったけど、智鶴ちゃんなら大丈夫そうだし。それに、アタシも今日は楽しかった」
 そういってにっこり笑ってくれたから、わたしは安心した。
 彼方の深町を見る瞳が気になったけど……。でも、彼方なら……いいかなって。彼方のアキに向ける視線は明らかに軽蔑の念が多大に含まれていて、それはそれで気になったけど……。
 食事はそれなりに楽しく……アキの寒い言葉がなければなぁ、と昨日と同じことを思いつつ、食事の時間は終わり、彼方と深町は帰って行った。







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