【迎えに来てくれる人】
「そう。僕と智鶴、兄妹なんだよ」
きれいな男の人……深町さん……の口から、そう告げられた。
わたしに……兄がいたの?
『オレのかわいいちぃ。きみにはもうひとり、大切な人がいるんだよ』
いつだったか、パパとふたりっきりのときに『ママには内緒だよ』って教えてくれた、大切な話。
『ちぃが大きくなったら、迎えに来てくれるよ』
そう言ってなでてくれた手は、もうない。
「迎えに来た。一緒に住もう」
ああ、パパが言っていたお迎えって、これのことか。わたしはこくり、と反射的にうなずいた。
わたしのうなずきに、深町さんはびっくりしたように目を丸くして……わたしを抱きしめた。
「智鶴……!」
冷たい十一月の雨は……ようやく上がったようだった。
わたしは深町さんに手をつながれ、深町さんが乗ってきた車につれて来られた。
そこには、このアパートにはそぐわなすぎる重厚なベンツが止まっていて、わたしは驚いて深町さんを見上げる。
深町さんは優しく微笑み、助手席を開けてくれた。
「あ」
わたしは自分がススと雨で汚れていることを思い出した。
「く、車が汚れる!」
わたしの言葉に深町さんは、
「汚れる? ああ、智鶴、そのままだと冷たいよね」
そう言ってトランクを開けて、なにかを取り出した。
「僕の着替えで申し訳ないけど」
そう言って真っ白なシャツを目の前に出された。
「ここでは……着替えられないね。困ったな」
深町さんはわたしが持っていたカーテンに気がつき、
「それを貸して?」
わたしは素直にカーテンを渡した。パパが最期にくれた、大切なカーテン。
トランクのふたにかけて、簡単な更衣室を作ってくれた。
「ほら、ここでなら着替えられるでしょ?」
わたしはその中に入り、パジャマを脱いでシャツを着る。
ぶかぶかだったけど、深町さんからたまにふわっと香る匂いと同じ香りがして、わたしは不思議と落ち着いた。
「着替えました」
簡易更衣室からわたしが出たのを確認して、深町さんはカーテンを大切そうにたたんでビニール袋にわたしが着ていたパジャマと一緒に大切にしまってトランクに入れてくれた。
「大切なんでしょ?」
にっこり笑ってぽんぽん、と軽く頭をなでてくれるなで方がパパと一緒で、わたしは思わず深町さんに抱きついた。
深町さんはびっくりしているようだったけど、ふんわりと優しく抱きしめてくれた。
ああ、パパみたい。
「智鶴、僕もさっきの雨でぬれたから……そんなに抱きついたら濡れちゃうよ?」
と言いながら、深町さんはやさしくやさしくわたしの髪をなでてくれる。
大好きだったパパがいなくなっちゃったなんてわたしはいまだに信じられなかった。
ママも大好きだったけど……。
パパは特別。
パパの子どもだったことに恨みを持った時期もあった。だけどパパの子だったから、パパに会えたんだって思うことにした。いつかパパみたいなすてきな人に出会うために。パパは本当に……わたしの理想だった。
「くしゅん」
小さくてかわいいくしゃみに、わたしは深町さんを見上げた。
「あ……」
わたしは驚いて深町さんから離れた。
「ご、ごめんなさい! 寒いよね」
わたしの言葉に深町さんは微笑んで、スーツのジャケットとシャツを脱いで、別のシャツを取り出して着た。
深町さんの鍛え抜かれた上半身にわたしは見とれた。美しくバランスのとれた筋肉。この人が……わたしのおにいちゃんなの? さっきまで深町さんの腕の中にいたことを思い出して、わたしは少し、赤くなった。初対面なのに、わたしはなんて大胆なことをしてしまったのだろう。
着替えの済んだ深町さんはトランクを閉め、わたしの肩を抱くようにして助手席に乗せてくれた。車の中は、外とは違って温かかった。そして、なんだかいいにおいがして、居心地のよい空間だった。
シートも座り心地がよくて、シートベルトをして待っていたら、運転席のドアが開いて深町さんは乗り込み、エンジンをかけた。
「今日は時間が遅いから、この近くにある部屋に行くね」
わたしはうなずくしかなかった。
「事後処理だとかは朝にならないとしないみたいだから」
すっかり野次馬も警察も消防もいなくなってしまったようだった。いつもの夜のように、しーんと静まり返っていた。エンジン音がして、車は静かに動き出した。見慣れた風景が窓の外に広がっていた。
ちらりと後ろを振り返ると、そこには少し前まであったアパートが跡形もなく、空虚な闇が広がっていた。
五分ほど車を走らせて、見慣れない建物の前で深町さんは一度、車を止めた。車を降りて、インターフォンに話かけると、小さな音を立てて、目の前の扉が開いた。深町さんは運転席に戻ってきて、その中へ車を滑るように入れた。車が完全に中に入ると、また小さな音を立てて、扉が閉まった。わたしは不安になり、深町さんを見た。深町さんはそんなわたしの不安をわかってくれたのか、
「ここは高屋さまのところだから、安心して」
たかやさま?
深町さんは慣れた様子で駐車場に車を止めて、エンジンを切って鍵を抜いて運転席から降りた。そして、助手席のドアを開けて手を差し伸べてくれた。私はシートベルトをはずして、あわててその手を取り、車から降りた。
深町さんはトランクを開けて、先ほど入れた濡れた荷物を取り出して、反対の手で私の手を握る。そのぬくもりに、わたしはほっとする。
「服も靴も用意しないといけないね」
裸足のわたしの足を見て、申し訳なさそうにそうつぶやく。と思っていたら、急に身体がふわっと浮く感覚があった。
「え!?」
深町さんの顔が予想以上に近くにあって、わたしは焦った。
「足、冷たいでしょう」
優しいまなざしにわたしは頬が赤くなるのを感じた。
「だ、大丈夫です!」
わたしは降りようとしたけど、パパの腕の中にいるくらいの安堵感に、抗うのをやめた。
最初、パパの子どもって聞いてびっくりしたけど、こんなにパパそっくりな人、探してもどこにもいない。
だから深町さんの言うことはわたしはすぐに信じることができた。一緒に住もうって言われても、すんなり受け入れられた。
『いつか王子さまがわたしのもとに現れる』
なんて夢を見るような性格ではないけれど。パパはいつだって正しかったから。そしてほら、やっぱりパパは正しかった。
わたしは深町さんの腕の中があまりにも居心地がよくて……気がついたらそのまま寝てしまった。