【十九章】告白
サンクは目の前に立つ女性はキリエのことをよく知っている人物だと判断した。気がついたらラクリモサを無理矢理押し付けていた。
どうしてとっさにそんなことをしたのか分からない。そんなことをしたら、キリエと自分を繋ぐ唯一の糸を自ら断ち切る行為になるのは分かっていた。しかも、唯一の稼ぎの種。それでも、その女性にラクリモサを託さずにはいられなかった。
キリエは一度、ぽつりと言ったことがある。ラクリモサがうらやましい、と。サンクはその意味が分からずにいたが、今なら分かる。
キリエは、ラクリモサに嫉妬していた。少なからずともあの時は、キリエはサンクのことを想ってくれていた。キリエがいないのなら、ラクリモサも要らない。今のサンクにはキリエしか要らない。そのことを分かってほしくて、きっとあの女性ならばキリエにラクリモサを確実に届けてくれる。この意味がキリエに分かってくれればいい。
これまた自分勝手で利己的な考えに嫌気を覚えながらもサンクはインジェを後にすることにした。
未練がましく『ルシス・ルナ』の横を通り、インジェを出るために街の外へ出るための門へ向かう。そこに立ってしばらくの間、キリエがいるこの街を目を細めて眺めていた。
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ラクリモサを無理矢理託されたミルエラはあわてて『ルシス・ルナ』へと戻る。
「キリエ、いるかい?」
『ルシス・ルナ』に戻ったその足でミルエラはキリエの部屋へと向かう。キリエは大切そうにラクリモサを抱えて練習していた。その音色に思わずミルエラは聞き惚れる。
「ミルエラ?」
ミルエラの気配にキリエは演奏を止める。手に持っている物を見て、キリエは自分の全身からなにかが抜けていくのを感じた。
遠目からでも分かる。あれは、サンクが大切にしていたラクリモサ。どうしてミルエラが持っているのか分からない。嫌な予感が全身を駆け巡る。
「キリエ……」
ミルエラはキリエの様子を見て、やはり、と思う。先ほどこのラクリモサを渡してきた男は、キリエの大切な人。連れ戻しに来たわけではないと首を振っていたが、キリエは待っていた。
「サンクに……会ったの?」
キリエの質問に、ミルエラは小さくうなずく。
「町角で……演奏していた。胸がつぶされそうなくらい切ない演奏をしていて……それに、あんたが舞台で歌うのと同じ曲を弾いていて、すぐに分かったよ」
サンクは以前、そんな弾き方をしなかった。そんな悲しい弾き方をさせているのは一体だれだ。それがもしかしたら自分なのかもしれないと思うと、キリエは胸が痛んだ。
「ねぇ、サンクは?」
キリエの質問にミルエラは首を振る。
「死んで……しまったの?」
最悪な結末を想定して、キリエはミルエラに聞く。しかし、ミルエラはあわてて首を横に振った。その答えにキリエはほっとする。
「なにがあったのか知らないけど、これ、大切なものなんだろう? 無言でこれを無理矢理渡された」
ミルエラはキリエにラクリモサを渡す。キリエは大切に受け取り、抱きしめる。ラクリモサを包んでいる布から、サンクの懐かしい匂いがする。それだけで涙が溢れそうになる。
サンク、わたしのことを探してくれた。そして、こんな大切な物を託してくれた。
ねぇサンク。わたしはあなたのことを──想ってもいいの?
「大切な人、なんだろう」
ミルエラの問いにキリエは返事ができない。
自分の大切な両親を殺してしまったサンク。憎しみの感情が湧きあがってくるけれど、それ以上に愛しい気持ちもある。それをどう受け取っていいのか分からず、キリエはラクリモサを再度、抱きしめる。
「まだ、インジェにいるよ。あの様子だと、ここを離れようとしているのかもしれない」
ミルエラに言われてもキリエは動けないでいる。
「今、行かないと、後悔するよ。好きなんだろう?」
今まで見たことのないほど切ない表情をしてラクリモサを抱きしめるキリエを見て、ミルエラは諦めの気持ちを抱いた。
キリエが自分のところからいなくなればきっと、裏社会のあの人たちはミルエラを責めるだろう。この店も無事では済まないかもしれない。それでも、キリエには幸せになってほしい。
「行っておいで」
ミルエラのその言葉にキリエは弾かれたように顔を上げる。
「でも……ミルエラ。だって」
キリエも分かっていた。自分がいなくなったらミルエラが困るということを。それでも、ミルエラはそう言ってくれる。
「行かない。いけないよ、ミルエラ」
首を振るキリエにミルエラはどうして、と問いかける。
「サンクは……わたしの両親を殺した人なの」
ミルエラは先ほど出会ったサンクを思い出し、あまりの違和感に首をかしげる。
「ミルエラ……あのね。話さないといけないことがあるの」
キリエは意を決して、口を開く。サンクが側で見守ってくれているような気がした。
「わたし、ミルエラに謝らないといけないの。ここまでよくしてもらったのに、だましてごめんなさい」
キリエの口から発せられた言葉にミルエラはさらに首をかしげる。目の前でラクリモサを大切そうに抱えているキリエが、自分をだます?
キリエとだます、という言葉があまりにも合わなくて、ミルエラは笑い飛ばそうとするが、キリエの表情はとても真剣そのものだった。
「ミルエラ、本当にごめんなさい。わたし、ずっとずっと……だましていた」
キリエはこれから口にする言葉に激しい不安を覚える。自分の口から初めて告白する、事実。今までずっと、自分の身のかわいさによくしてくれるミルエラをずっとだましてきた。好意に甘え、そしてミルエラを引き返すことができないどこかに連れ込んでしまった自分。やはり自分は、魔王の娘。自分が意図したにしろしないにしろ、周りをまきこんで不幸に陥れる。
「わたし、魔王の娘なの」
キリエのその一言にミルエラはなにを冗談を言っているの、と言おうとして……時が止まった。うっすらと笑みを浮かべて自虐的な表情をしているキリエを見て、それが冗談ではなくて事実ということを知り、ミルエラは無意識のうちに後ろへと下がった。キリエはそれを見て、さらに笑みを深める。
「ミルエラ、ごめんね。今までだまして……ごめんね。わたしのこと、捕まえて牢屋にでも放り込んでくれていいから」
サンクのラクリモサを抱きしめ、キリエは告げる。サンクに逢いたい。だけどやっぱり、逢えない。もっと早くにこうしていれば、サンクは大切なラクリモサを手離さなくて済んだ。これがなければサンクは生きていけない。きっとサンクは、これを持ってキリエに追いかけて来い、と言っているのだろう。できるのならそうやって追いかけて、二人で幸せになりたい。でもやっぱりそれをするのは無理だ。
「わたしがミルエラをだましていたの。だましてとりいって──」
「キリエ」
ミルエラの静かな声。キリエはその声を無視して続けようとしたが、ミルエラはもう一度、キリエの名を呼ぶ。
「キリエ。あんたはそのラクリモサの持ち主のこと、憎いのかい?」
憎いのかと問われると、憎いという答えしかでない。しかし、それを上回るほどの恋慕の気持ちを持っているのも事実。
「憎いけど……」
その先は言葉にできなくて、口を閉じる。
「あたしもあんたに抱いている気持ちは一緒だよ。とにかく、行っておいで。詳しい話は後でしよう。二人で戻っておいで」
ミルエラのその言葉にキリエは涙が溢れそうになる。
「泣いている暇があるのなら、早く追いかけて連れておいで」
キリエはミルエラの言葉にうなずく。ミルエラは少し複雑な表情を浮かべ、キリエの背中を押す。キリエはサンクのラクリモサを背負い、走り出す。
外にはキリエが出てくるのを待っている人たちがいた。しかし、その人たちはキリエのことに気がつかない。なんだ、こんなに簡単に外に出ることができたのか。キリエは臆病すぎる自分が滑稽で嗤った。
サンクに逢おう。いつまでも自分の中でぐずぐずと思っているのはよくない。会って想いを告げて……それから先のことは後になって考えよう。
とにかく逢って、ラクリモサを返さないといけない。
キリエは久しぶりに出る外の空気を胸一杯に吸い込み、ここから一番近い門へと向かう。なんとなく予感があった。サンクはきっと、門の前で自分が来るのを待っている、と。
キリエは走りながら思っていた。初めて逢った時、サンクが両親を殺したことを知っていたら──自分はどうしていただろう。
サンクのやったことは、正しかった。キリエにはそう思える。
父は本当にひどいことをしてきた。人々の話を聞くと、それがよくわかる。この世界に魔王の恐怖の影は未だに根強く残っている。その影をサンクは払ったのだ、『勇者』として。
キリエは知らない。その『魔王の影』が実は世界の均衡を保つ上でとても重要だったということに。サンクの行動はそれを崩すことになっていた。いびつな基盤の上に成り立っていた世界。それが今、サンクとキリエをまきこんで動き出していたとは、知る由もなかった。