螺旋の鎮魂歌


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【十八章】逢えない




 サンクはインジェ入りを果たし、うわさが聞けそうな場所へと足を運ぶ。声は相変わらず出ない。しかし、特に不都合は感じていなかった。
 『歌姫』のうわさは、インジェに入ってすぐに耳にした。
 夜の一時(ひととき)、ラクリモサを演奏しながら歌う女性。人気が高く、チケットがないとお店に入れないらしい。しかもそのチケットは裏で高額で取引されているという。その額を聞き、サンクには到底手が出ないことを知り、絶望した。正規ルートでチケットを手に入れるのはコネがないサンクには不可能だ。たとえあったとしても、聞くところによると、半年だとか一年以上待ちという。
 店の外で出てくるのを待っているが、まったく出てくる気配もないらしい。あまりにも出てこないので最近ではその『歌姫』は人間ではないのかもしれないといううわさまで流れているようだ。
 港町オフェムでサンクの流したうわさもこちらで耳にするようになった。途中の村ではまったく聞くことのなかったうわさ。
 ここはトラクタスだが、グラデュアル国にほど近い大きな街。王都・レコルダからは遠いが、関所すぐの街なのもあり、こちらではもっと具体的なうわさ話となっていた。
 グラデュアル国の王は傭兵を募集しているという話。知り合いが志願して傭兵になったという話。保存食を大量に購入していく者がいたという話。
 火のないところに煙は立たぬ、というが、本気になってやっているこの不可能な戦争話にサンクは眉をひそめた。
 そうして小耳にはさんだ話。
 グラデュアル国の王は、『魔王の娘』を探しているという。その話を知り、サンクはどきりと心臓が跳ねた。
 王はキリエの存在を知っている。執拗に自分を尾行しているのは王の手先と知っていたが、そういうことなのかと知り……身が凍る。
 迷うことなくインジェへと来てしまったサンクだが、後悔する。
 自分がキリエに逢いたい、その欲望だけを胸に抱き、やってきてしまった。やはり……間違っていたのかもしれない。
 だが、身近に来たのだからせめて一目、その姿を見たい。その気持ちはキリエには迷惑かもしれない。それに、一目見ただけで気が済むとも思えなかった。どうにかしてキリエに出逢いたい。どうするのが一番良いのかサンクは悩んだ。

 オフェムで聞いた『歌姫』のうわさ話は無伴奏で歌っているといったもの。それが、このインジェではラクリモサを演奏しながら歌っているという。ラクリモサという楽器はあまり有名ではない。だれもが簡単に音を出せて手入れが簡単なものならともかく、ラクリモサはいろいろと手がかかる。弦が切れれば自分で張り替えなくてはならないし、調弦しないといけない。それなのにあえてラクリモサ、ということは……やはりキリエの可能性が高い。
 もしかしたらキリエもサンクを想い、ラクリモサを習得してくれたのかもしれない。短い間だったが教えたことがキリエの助けになったかもしれないと知り、サンクはほっとする。
 ずっとキリエの行方が気がかりだった。世間知らずの彼女はサンクが止めるのを聞かずに飛び出してそのまま消えてしまった。サンクはそのまま失血して失神してしまったため、キリエがどうなったのか分からなかった。前のように人にぶつかってまた難癖をつけられているかもしれない。それに、自分の返り血を浴びていたので、不審がられて警備の者につかまっているかもしれない。
 王宮のベッドの上でそんな心配もしていたが、キリエは自分が考えているよりもたくましかったようだし、運もいいようだ。
 うわさの『歌姫』がキリエかどうか分からないのに、サンクはキリエと確信していた。
 そう思うと、ますますキリエを見たいという気持ちが募る。

 『歌姫』の舞台を見ることができるという店は『ルシス・ルナ』というらしい。昼夜問わず店をやっていると聞き、サンクはお昼を食べにお店へと向かう。
 お昼時より少し前の時間帯に行ったにも関わらず、座るところを探すのが困難なほど、店は混んでいた。サンクは無理矢理席を見つけて座り、注文を取りに来た女性に指を一本立てて定食ひとつ、と指示を出す。女性はうなずき、しばらくして料理が運ばれてきた。
 料理はとても美味しく、サンクは久しぶりに満足した。これは『歌姫』のうわさがなくても繁盛している店なのを知る。今日の夜もここで食事をしようと心に決め、サンクは店を出る。

 夜になるのを待ち、再び『ルシス・ルナ』へと出向く。昼間の時と違い、おごそかに照らされた建物。の周りには昼間の比ではないほどの人があふれ……ここで夕食を摂ることは絶望的なことを知る。
 サンクはそれでも果敢にも少しでも建物に近づこうとするが……。

「はいはい、だめだよ」

「チケットを持っていない人は帰った、帰った」

 という声がして、身体を押し返される。店の裏に回って……と思うが、同じように思っている人たちでこちらもあふれかえっていた。

 それを見て、サンクは諦めた。
 正攻法ではどうあってもキリエには近づけないらしい。
 どうすればキリエに逢えるか考えて、サンクは無意識のうちにラクリモサを手にする。前と同じように町角で演奏する。キリエが自分の少し前にいないことにさみしさを覚えるが、瞳を閉じてそのさみしさを消す。右腕の傷口の痛みがキリエを感じさせてくれる。
 サンクの演奏を聞いた人の中で『歌姫』の舞台を見た者がいたらしく、サンクの肩を叩きながら彼女の伴奏者になればいいと笑っていったものがいた。
 それを聞き、サンクはそちらからキリエに近づけばいいのかと思いあたり、インジェのあちこちで演奏をして回った。

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 ミルエラの耳にすぐにサンクの話が入ってきた。その話を聞いて、以前、キリエが話してくれた『専属』の人間がキリエを迎えに来たことを知った。ミルエラの胸中は複雑だ。舞台の上でラクリモサを弾きながら歌っているキリエはとても切なそうで、逢えるものなら逢わせてあげたい、と思っていた。しかし、その人物とキリエを逢わせると、キリエは自分から離れていくのではないか、という不安がある。
 キリエが来る前から『ルシス・ルナ』の評判は良かった。裏社会のお偉方から可愛がってもらって目を掛けてもらっていたのもあり、とても安定した稼ぎになっていた。しかし、キリエが来てからというもの、比較にならないほどの収入を得ることができていた。ミルエラには野望があった。お店を複数持ちたい、という夢が。キリエのお陰でそれは思っていたよりも早く実現しそうだ。あと少しのところだから、キリエにはもう少しだけいてほしいとミルエラは願っていた。欲を言えば、できることならずっといてほしい。そんな気持ちも持っていた。
 ミルエラはそして、知っていた。キリエの舞台チケットを元に、裏社会の人たちの懐を温めていることに。ミルエラ以上にあの人たちはキリエを手離さないだろう。ミルエラがキリエを手離すと言ったら……キリエはきっとこのまま、ここに縛り付けられ、一生をここで終えることになるかもしれない。
 最初はキリエのあの歌声に癒された。他の人たちにも聞かせたい、そんな軽い気持ちで始めたのに。今ではもう、引き返すことができないくらいの出来事となっていた。

 ミルエラは意を決して、サンクを探した。サンクは予想以上に簡単に見つかった。
 人ごみの後ろでミルエラはサンクの演奏を聞いた。キリエの演奏も最近ではずいぶんと上達して上手いと思っていたが──サンクは段違いだった。一音聞いただけで心の奥をギュッとつかまれ、心をえぐり取られるかのような、思わず目をそらしたくなるほど鋭くて痛い音。それなのに、聞かずにはいられない。たまに混じる甘やかなうっとりとする音色。この音にキリエの歌声が絡まった時を想像して、ミルエラの身体は震えた。

「おい、大丈夫か?」

 隣の見知らぬ男が震える身体を抱きしめるミルエラを心配して声を掛ける。

「ああ、大丈夫だよ」

 ミルエラは気丈に声を出すが、倒れてしまいそうだった。手足の先から冷えていく感覚。演奏が終わり、拍手喝采にお金が投げられる音。人々は賞賛を口にしながらそれぞれの道へと帰っていく。ミルエラはその場に固まり、動けずにいた。人が去った後、演奏をしていた人物はラクリモサを丁寧に片付け、投げられたお金を拾っている。ミルエラはずっとその様子を見つめていた。
 サンクはミルエラの視線に気がつき、顔を上げる。ミルエラはサンクの瞳を見て、ああ、と声にならない声を上げる。
 キリエの持つラクリモサの棹の色と同じ瞳の色。キリエはきっと、あのラクリモサを見て、この人の瞳を思い出したのだろう。キリエの愛しそうにラクリモサを見つめる視線を思い出し、ミルエラは声を掛ける。

「あんたは……キリエの知り合いかい?」

 見知らぬ女性にいきなり声をかけられ、さらにはキリエ、という聞きたくて仕方がなかった愛しい女性の名前を告げられ、サンクは立ち止まる。

「あんたは……キリエを迎えにきたのか?」

 そう聞かれ、サンクは悩む。キリエに逢えないことは分かっていた。一目見たくて近くまで来たが、近寄る事さえできなかった。迎えに来たわけでもない。
 サンクは首を横に振った。その答えにミルエラは明らかにほっとしている。
 サンクは拾ったお金をすべて懐におさめ、先ほど片づけたばかりのラクリモサをミルエラの目の前に突きつける。

「なに? 受け取れないよ、これ」

 ミルエラは戸惑ってサンクを見ているが、サンクはぐいぐいとミルエラにラクリモサを押しつける。サンクはミルエラに無理矢理ラクリモサを持たせ、そのまま人ごみの中へと消えていく。
 ミルエラはサンクの今の行動の意味がわからず、追いかけようとしたが、すでにどこに消えてしまったのか見えなくなってしまった。

「こんな大切な物……預けないでおくれよ」

 ミルエラは泣きそうになりながらもラクリモサを抱え、『ルシス・ルナ』へと戻ることにした。


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