螺旋の鎮魂歌


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【十六章】うわさ話




 サンクはこっそりと城から抜けだした。もちろん、ラクリモサを背負って。だれに見つかることもなく、とがめられることもなく抜けだせた。
 それが実は、王の策略だったとは、サンクは知らなかった。
 サンクはまず、どこへ向かうか考える。ホスティア川は途中で分岐してベネディス川とソリウム川に別れるが、グラデュアル国の王都・レコルダはベネディス川とソリウム川の挟まれた部分にあった。ソリウム川を下るとイエム村があり、さらに最下流まで行くと、オフェム町がある。サンクは川を下って一気にオフェム町へ向かうことにした。
 サンクは朝になるのを待ち、朝もやがかすむソリウム川に浮かぶ舟に声を掛け、オフェム町までいってほしいということを伝える。何人にも声を掛けるが、断わられた。サンクは諦め、舟を買い取ることにした。三件目でようやく交渉がまとまり、ぼろぼろの舟をかなり足元を見られた金額と交換する。持ちだしてきた金の大半をここで消費することになったが、どうにかなるだろうと楽観的に考え、一気に下ることにする。サンクは舟に乗り込み、流れに任せてオフェム町へと向かう。
 イエム村近くを通る時、さすがに懐かしく思ったが、痛む腕に余裕がなく、前を進むことだけを考えてずんずんと下る。穏やかな川の流れにも関わらず舟はぎりぎりだったが、壊れて水に投げ出されることなく、夜が訪れる前にどうにかオフェム町手前に到着することができた。サンクは舟を乗り捨て、もう少しで閉まる町の門へと走り込む。サンクはギリギリのところで入りこめた。途中からつけられていることに気がついたサンクは、尾行している人間をうまくまけたことにほっとする。
 初めて訪れたオフェム町。しかし、噂通り、イエム村にどこか似ている空気にほっとする。こんな時間でも泊めてくれる宿屋を探し、部屋に入る。
 昨日の夜にご飯を食べたきりだったが、久しぶりに動かした身体と解けた緊張感でベッドを見た途端、そのまま倒れこむように眠った。久しぶりにぐっすりと眠ることができたような気がした。

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 明け方。
 久しぶりに一晩起きずに眠れたが、やはり起きる間際にいつもの夢を見ていた。サンクは自分の上げた声に目を覚ました。
 明るくなった部屋を見回し、息を吐く。すっかり傷口はふさがり日常生活には支障がないほど回復した右腕だが、やはり昨日の強行軍が効いているのか、ずきずきと痛みを訴えている。右腕をかばいながら起き上がり、風呂場へと向かう。個別の部屋に風呂がついているだけまし、という程度の狭い中、ぬるい湯を使いながら身体の汗を流す。
 ここまで勢いでやってきたが、この広い世界。キリエ一人を探すのは砂粒の中から一粒だけ探せ、と言っているようなものだ。しかし、サンクは探し出せるという妙な自信があった。自分とキリエは、なにかあるからこうして出逢えた。キリエは自分にとってどんなものにも代えがたい、大切なもの。肌身離さず持っているラクリモサと交換しても有り余るほどの存在。
 いっそあの時、素直に刺されてキリエに殺されていた方が幸せだったのかもしれない。そうすればキリエの中に自分は一生、生き続けることができた。独りにすることはなかった。
 死への恐怖に本能的に身体が動き、避けたことによってできた傷口を見る。キリエから与えられた傷。痛みの中に甘さを感じる。その傷口さえ愛しくて、ふさがった傷口を左指でなぞる。ぞくぞくとした甘いしびれとあの時に向けられた悲しみの中にある強い視線を思い出し、自分の身体を抱いて天井を見上げる。思い出すだけで身体を走り抜ける官能の感覚。身体が疼く。

「キリエ……」

 愛しい女の名をつぶやくだけで我慢が効かなくなる。心だけでなく、身体も狂おしいほどキリエを求めている。それが『欲望』という名がついていることをサンクは分かっていた。それでも求めずにいられなかった。
 キリエとずっとともにいて吐き出せず、さらにはそのあと、王宮に閉じ込められてその気にまったくなれなかった身体はだれも知らないこの町で解放され、呪縛から解かれたように天をつく。サンクは欲望のままに手を動かし、解放した。

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 宿を後にする頃はすっかり夜も開けていた。宿でこのあたりでこの時間から開いている飲食店を聞き、そちらに足を向ける。
 町の城壁に近いせいもあり、開いたばかりの門から入ってきたらしい旅人たちでごった返す食堂の中で空席を見つけ、そこに腰を下ろす。注文を聞きに来た辛気臭い女に軽く朝ごはんを取りたいと告げると返事もせずに奥へと戻っていった。目の前に積まれたコップにその横に置かれた水がめから水を注ぎ、一気に飲み干す。舟の上で満足に食事も水分もとらずにいたのを思い出した。
 ほどなくして運ばれてきた食事を一気にかきこむ。ようやく人心地ついたサンクは周りを見る余裕が出てきた。ぼそぼそと聞こえる話に耳を傾ける。
 まだ人々の口にはグラデュアル国が戦争を開始する、ということは上っていないようだ。ほっとするような不安になるような複雑な気持ち。その中で気になる話が聞こえてきた。

「インジェですごい歌姫がいる」
という話。伴奏もなく澄んだ声で夜の短い時間だが毎日歌っているらしい。その話を耳にして、キリエだとすぐに分かった。
 インジェといえば、あの関所を抜けてすぐにある大きな街の名前。まさかそんな間近にいたとは知らず、サンクはとまどう。その話を聞いて、すぐにキリエと判断してしまったが、もしかしたら違うかもしれない。もう少し情報を仕入れてみよう。
 水を飲み干し、注文を取りに来たあの辛気くさい女がなにかを求めるように近寄ってきたのでサンクはその女の耳元にぼそりとつぶやいた。

「もしかしたら、戦争が始まるかもしれない」

 と。
 女は驚いたように目を見開き、サンクに真意を問いただそうと口を開きかけたが、サンクはすでに店の外へ出ていた。
 サンクはそのままあてもなくオフェムの中を歩く。ここに来るために買った舟に所持金をかなり削り取られていたので稼がなくてはならない。今日の宿も安いところを探さなくてはならない。サンクは初めてのこの町に不案内だ。情報を収集するためにいろいろな場所へ立ち寄った。あまり目立って人の印象に残りたくはなかったが、旅を続けていくためには仕方がない。あちこちの店に寄り、情報を聞き出すと同時に『うわさ話』を提供しておく。
 サンクはグラデュアル国の王の口から聞いてはいたが、未だに半信半疑ではあった。しかし、この情報を流すことで戦争を回避することができるのならば──その一心で二つの『うわさ』を流した。
 一つは先ほどの食堂で語った『戦争が始まるかもしれない』といううわさ話。
 そしてもうひとつは──。

「魔王は死んだ?」

 何件目かで立ち寄った店で店主と魔王の話をとんと聞かないが果たして、生きているのだろうかという話だった。これは使える……サンクはそう思い、確かな筋からの話なんだが、と声を潜めてサンクは口を開いた。
 店主の問いかけにサンクはうなずき、店を後にする。
 あの洞窟からかなりの距離のあるこの町でその噂を流すのもと思ったが、戦争が始まるかもしれないという話と交わった時、信憑性が産まれないだろうか……そんな淡い期待と上手く流れるかどうか分からない不安を抱えながら、サンクは情報を仕入れつつもうわさ話と称してそのふたつを流した。

 寝床だけがついた宿を取り、サンクは背負ったラクリモサを手に取る。調弦して指ではじいて音を聞く。
 壁が薄いから隣の部屋の音は布ずれさえ聞こえそうだ。隣に迷惑かもしれないと思いつつもサンクは弓を手にしてラクリモサを弾く。それほど経たずに壁を叩かれた。予想通りの反応にサンクはしかし、弾くことをやめなかった。腕は痛むが、弾けないわけではない。弾くことが出来なければ稼ぐことが出来ない。サンクは一曲弾き終わり、大きく息を吐く。そのタイミングで鍵のかからない部屋の扉が開かれ、見るから屈強そうな男がにらみつけながら部屋に入ってきた。

「うるさい」

 にらみつけて男は一言。サンクはラクリモサを抱えたまま、男を見る。なにも言わないサンクに男は部屋に一歩、足を踏み入れる。

「今の雑音はおまえか?」

 雑音、と言われてサンクは苦笑する。この男には音楽を介する脳みそがないのか、と。サンクは痛む腕を一度さすり、ラクリモサを構え、音を出す。男は不快そうに顔をゆがめ、今にもサンクに飛びかかろうとしていたが……前奏の部分でその動きを止めた。
 男の耳に懐かしい子守歌の音階が優しく耳を打つ。ラクリモサの音色は女の泣くような声に聞こえることがある。サンクの弾くそれは、遠い昔、男の母が酔っぱらったら暴力を振るっていた父に殴られ、泣きながらも子守歌を歌ってくれた母の声が重なった。

「……やめろ!」

 男はそのことを思い出し、耳をふさいで首を振る。サンクはそれにかまわず弾き続ける。

「やめろ!」

 男の拒否の言葉は廊下に響き、ちらほらと部屋の中から廊下に顔を出すのは、どこか難を持っていそうな男たち。扉が開いたままになっているため、サンクの演奏する曲が廊下に響いてくる。それを聞いた男たちはサンクの部屋へとやってくる。
 あちこちから集まってきた旅人たちらしく、聞き覚えのある曲に口ずさむ者もいれば、初めて聞くのか耳を傾けている者もいる。最初に部屋に怒鳴り込んできた男はすっかり泣きそうな表情で力なくうなだれている。演奏が終わったとき、だれかが最初、サンクに向かってお金を投げた。それに続くように次から次へと投げられた。

「おい、リクエストは聞いてくれるのか?」

 一人の観客にサンクは顔を向け、首を傾げる。その男は曲名を告げ、サンクは分かった、と二度ほどうなずく。
 そうしてその場は急きょ、サンクの舞台となった。
 要望に応えているうちに人々はどんどん集まってきた。サンクはこれで最後だと観客たちに指を一本、指し示す。お情け程度に付けられた窓の外を見ると、すっかり暗くなっている。少し休んでからまた情報を仕入れに行こうと思っていたのに、ここでラクリモサを弾いたのは少し失敗だったか、と思いつつ、サンクは最後の曲を弾く。

「なかなかいい時間をありがとう!」

 最初はあんなに嫌がっていた最初に部屋に入ってきて文句を言ってきた男は笑顔でサンクの肩を叩く。

「今日、町で聞いたんだが……魔王が死んだから戦争が始まるかもしれないらしいぜ。おまえさん、それしか特技がなさそうだから、気を付けろよ」

 一見、優男に見えるサンクに男は親切心でそう告げる。サンクはわざとらしく驚いた表情を作り、男を見る。

「なんだよ? 俺の話、信じられないのか? なあ、おまえたち、魔王が死んだから戦争が始まるという話、俺以外にも聞いたことがあるやつ、いないか?」

 男の大きな声にその場はざわつく。そこここで聞いた、という声があがっている。朝にあの食堂で伝え、夕方前まで点でばらまいてきたサンクのふたつの『うわさ話』は思っていた以上に急速に広まっているらしい。どうやら、その前からとぎれそうなほど細い糸のような話が伝わっては来ていたようだ。それが、今日のサンクが意図的に流した『うわさ話』が決定打となり……思っていた以上の速さを見せているようだ。

「よかったらこれから飯に行かないか?」

 男に妙になつかれてしまったらしいサンクはそう誘われ……しかし、疲れたからという態度を見せ、部屋から男たちを追い出した。
 サンクは男たちの前で一切、声を出さないですべてジェスチャーのみで会話をした。だれかがサンクは口が利けない、と思ってくれればいいのだが。意図的にそれをしたわけではないが、なんとなくそうしてみせた。
 そういえば……と思い出す。サンクは演奏をして回っている時も口を開いたことがなかった。


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