【十五章】螺旋の鎮魂歌
キリエは昼間は自分で買ったラクリモサの練習に明け暮れた。
音は出せるが自分の思った音階を出すことができない。先生はいない。教本があるわけでもないのですべて独学だ。幸いなことに基本の音の出し方はサンクに教わっていたので、そこだけは救いだった。
キリエはサンクの演奏する姿を思い出し、真似をする。だけど、全然思うように弾くことができない。
何度も何度も挫折しそうになり……それでもラクリモサを弾いている時は側にサンクがいるようで、独りではないと思えた。
ミルエラはサンクのことを忘れなくていいと言ってくれた。両親のことを思うと胸が痛むけど、冷たいかもしれないが、死んだ人間をいつまでも思うよりは生きている今を大切にした方がよいように思う。それに、歌うことで弔いになっている……と勝手に思うことにした。
悲しいと泣いていたってお腹はふくれない。むしろお腹が減る。前向きに生きなければならない。
キリエはミルエラにそれを教わった。
「キリエ、いるかい?」
部屋でラクリモサの練習をしていたら、ミルエラが部屋へとやってきた。
「ちょっと……申し訳ないんだけど、うちの超重要なお客さまが来ていて、あんたの歌を聞きたいと一曲ほどご所望なんだけど」
「あ、はい!」
キリエは弾かれたように立ち上がり、ミルエラの後についていく。店に行くのかと思ったら、いつもは通らない通路へと進む。
「こっちは重要客や個室希望のお客用の裏通路だよ」
きょろきょろと見回しているキリエに気がついてミルエラは説明してくれた。
ミルエラに連れてこられたのは、廊下の一番奥の部屋。薄暗い中、数名の男女がテーブルに座って料理を食べてくつろいでいた。
「お待たせしました」
ミルエラは部屋に入るなり、中の人たちに頭を下げる。キリエもあわててミルエラを見習う。
ミルエラはキリエに椅子に座るように促す。キリエは座り、背中に背負っていたラクリモサをはずし、調弦して歌う。お昼ということもあり、少し明るめの曲。歌い終わり、室内の様子を見回す。全員が驚いたような表情をして呆けていた。キリエは選曲を間違えたかな、聞いてから演奏すればよかったと反省する。しかし、この部屋の一番身分が高いと思われる人が最初に気がつき、拍手をする。その音に周りの人間も気がつき、同じように拍手をしている。
「いやぁ、噂には聞いていたが、素晴らしい! 時間を割いて足を運んだ甲斐があった」
キリエは近くに来るように言われ、戸惑ってミルエラを見る。ミルエラは目で行くように促してきた。仕方がないのでキリエは立ち上がり、ラクリモサを背負ってその人物の側へと寄る。
「少し話がしたい。キミも食事をしたまえ」
「え……あの」
戸惑いの表情でミルエラを見るが、うなずかれただけだった。キリエは仕方がなく開けられた場所に座った。
「名前は?」
「キリエと申します」
「ここに住み込みでいるんだって? キミも魔王のせいで家族を亡くした口かい?」
「いえ……」
まさかその魔王が父です、とはさすがにキリエも言えず、口をつぐむ。
「ミルエラは昔はよく、魔王のせいで親を亡くした子を雇っていたからそうかと思ったが。違うのかい」
キリエはミルエラを見る。
「さすがに最近はそんな子はいないよ。それに、そういう子はここで修業をして、いい人を見つけてそれぞれ家庭を持っているよ」
ミルエラのその言葉はキリエに向かって言われた物なのかどうか判断がつかず、キリエはうつむく。
キリエは父の悪行をうっすらとしか知らなかった。
母の異常なまでのおびえが気になり、キリエたち家族の世話をしてくれていた執事にそっと聞いたことがある。執事はかなりつらそうな表情をして、キリエに少しだけ話をしてくれた。
しかし、サンクと旅をしていて、まったくそういったものを感じなかった。村や町・街はどこに行ってもきれいに整っており、焼け野原で悲惨だったという陰もなかった。二十数年も経っていれば当たり前だが、父の罪、というのを実感することができなかった。
しかし、人々の話を聞くと、二十数年前の出来事は本当にひどかった、ということをだんだんとキリエは知ることとなる。ここまで復興することができたのは本当にすごいことだと思う。
「魔王は今、静かに暮らしているというけれど、いい気なものよね」
部屋の中にいた一人が口を開く。
「アタシなんて、あの出来事で両親を亡くしたもの」
「子どもを亡くしたよ……」
その当時を思い出すのか、そんな話をはじめていた。キリエは……どうすればいいのか分からず、うつむく。つらそうな表情のキリエに気がついたミルエラは部屋の人たちに断わりを入れ、キリエを部屋から連れ出してくれた。
「ああ、すまなかったね。一曲だけと言われたのにつき合わせて」
「いえ……」
キリエは先ほど部屋で聞いた話に、身体の震えが止まらなくなった。
父は取り返しのつかないひどいことをした。それなのに、あの女性が言った通り、なにひとつお咎めなく、あの洞窟で静かに暮らしていた。本当なら世界の人たち全員から非難を受けても仕方がない立場だったのに。自分は……そんな人たちの犠牲の上でなにも知らないでぬくぬくと暮らしていた。サンクのしたことはきっと、正しかったのだ。自分はサンクを責めることができない。むしろ、自分も殺されても当然だったのだ。
自分は……サンクを想ってもいいのだろうか。
「キリエ? 震えているけど大丈夫かい?」
ミルエラが心配そうに顔を覗きこんでくる。ミルエラに聞きたいけれど、聞けなくて、笑顔を返そうとするが、返すことができない。
「調子が悪いのかい?」
キリエは弱々しく首を振る。
知らなかった、の一言では済まない事実。
世界中の人間から非難され、殺されても文句を言えない自分。ミルエラは心配してくれているが、心配されるような人間ではない。
「ミルエラ、大丈夫。わたしは……とてもひどいヤツなの。ミルエラに心配される価値もないから」
急にそんな自虐的なことを言うキリエにミルエラはいぶかしがる。
「どうした? さっきの話、なにか辛いことでもあったのかい?」
ますます心配そうにキリエを覗きこんでくるミルエラに、この思いは心に封印してしまわないといけないことに気がつく。父が魔王。そのことを悟られてはいけない。そうしないと、自分は殺されてしまう。
それでもいいかも、とふと思ってしまうが、今まで世話をしてくれたミルエラに迷惑がかかる。それならば、この事実は胸にしまいこみ、なんでもないという振りをしなくてはならない。
「ううん。ごめんね、ミルエラ。ほんと、なんでもないから」
キリエは何事もなかったかのように笑って見せる。
「今日の夜のステージもいつも通り頑張るから」
キリエは部屋の前でミルエラにありがとう、と礼を言って中に入る。
ベッドの上に力なく座りこむ。ラクリモサを抱きしめる。棹の色はサンクの瞳と同じもの。サンクに救いを求めている自分に自嘲する。
自分はなんと最低なのだろう。サンクは魔王の血を引く自分に想われて、絶対に迷惑だ。父は殺されて当然のひどいことをしてきた。サンクを責めることなんてできない。サンクをあの時、殺してしまおうなんて思って……。
「サンク、ごめんなさい」
キリエはラクリモサの棹の深緑色を見つめて、口に出す。
「わたしなんかが想って……ごめんなさい」
ミルエラは想ってもいいと言ってくれたけど、やっぱりダメみたい。サンクのこと、忘れることもしてはいけない。だけど、想うことは罪だから。父の悪行は死をもっても償われることはない。それほど罪深いこと。魔王の血がこの世にある限り、いや、この世から消滅したとしても、この世界に根深く降ろす陰を消すことはできない。
どうすればいいのだろう。
魂を慰めるという歌を死ぬまで歌い続ければ──罪を少しは軽くすることができるのだろうか。
自分には歌うことしかできないようだ。
生きて生き抜いて、歌い続けて少しでも傷ついた魂を浄化しなくてはならない。
キリエは心にそう誓い、ラクリモサを弾く。だいぶ上達して、人に聞かせられるレベルまでにはなっていた。だけど、もっと上手に、サンクのように弾かなくては、魂の浄化はすることができない。
たくさんの彷徨える魂を救うため。キリエは歌う。
いつまでも終わらない鎮魂歌。
それはまるで螺旋のように同じところを回り続け、キリエは歌い続ける。
傷ついた魂よ、少しでも傷を癒せ。
そして、心を軽くして空へと還れ。
どうか、安らぎを。
少しでもひとつでも空へとのぼってほしくて、キリエは歌い続ける。
魔王の血を引く自分が鎮魂歌を歌うなんておかしいかもしれないけど。
どうか、と。
キリエは口にできない想いを胸に、歌い続けた。