螺旋の鎮魂歌


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【十三章】サンクの決意




 一方、キリエに右腕を切りつけられたサンクは、腕から血を流しながらキリエを追いかけようとした。しかし、旅の仲間たちに引きとめられ、思った以上の出血に意識が遠のいていた。
 サンクの斬られた腕からは相当量の血が流れ……朦朧とする中、グラデュアル国の首都であるレコルダに連れてこられた。ベッドの上で眠り続けるサンクに王はねぎらいの言葉をかけ、両手にあまるほどの褒美を取らせた。

「わははは、これで憂慮するものがなくなった! 皆の物、戦の準備をするのだ!」

 王は未だ目を覚まさない『勇者』の枕元で戦の開始の声を上げる。側近たちは王の言葉に動き始める。
 サンクはそれを知らず、眠り続ける……。

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 サンクが気が付いたのは、それからずいぶんと時間が経ってからだった。
 目が覚めた時、見知らぬ天井にサンクは戸惑った。あわてて起き上がり、腕に痛みを感じて顔をしかめる。

「あらぁ、ようやく起きました? 『勇者』さま」

 嘲るような声にサンクは眉をひそめる。顔を見なくてもそれがだれか分かっている。

「あなたを切りつけた魔王の娘、王が懸命に探しているから安心して」

 そう言われ、一瞬、だれのことか分からずサンクは悩む。自分がどうしてここに眠っているのか、なんで腕が痛むのか。

「『勇者』を傷つけられるなんて、やっぱりあの子は魔王の血を引くんだよ」

 『魔王』の血を引く者を傷つけられるのが『勇者』の血を引くものだけというのと同じように、『勇者』を傷つけられるのもまた、『魔王』の血を引く者だけ。
 サンクが持っていた護身用のなんでもないナイフでこれだけ傷つけた。それは紛れもなくキリエが魔王の血を引いている証で……。サンクはその事実に打ちのめされていた。
 こんなに心惹かれたのは……キリエが魔王の血を引いているから、なのか?
 今まで感じたことのないほど、キリエに惹かれていた。女に対して今まで抱いていた感情は……あまりにもひどい劣情にサンクは吐き気を覚えた。しかし、キリエを想うと、心惹かれてひとつになって溶けあいたいとまで思う。
 血は、ただ単に身体の中に流れる生きるための液体ではないのか。外に出てしまえば赤黒いグロテスクな液体でしかないのに。そんなものに縛られ、心惹かれているのか。
 そのことを考えると滑稽で、サンクは声を出して笑った。いきなり笑いだしたサンクに周りは凍りつく。

「オレは……馬鹿だ」

 狂ったように笑い続けるサンクに、周りの者は腫れものを扱うように丁重に接した。サンクはそれが気に入らず、暴れた。

 あんなに常に感じていたキリエの気配がなく、まるでぽっかりと穴が空いたようななにかが欠けてしまったかのような気持ち。
 キリエは……魔王の娘だった。初恋の女性・ミサと魔王の娘。
 その事実はサンクにとってさまざまな思いを胸に抱かせた。
 初恋は実らない……まさしくその通りで……。さらに、思いを寄せた女性が──。よりによって、宿敵とも言える魔王の血を引く人だったとは。
 この想いと気持ちをどうすればいいのか……サンクはあまりの事実に気持ちをもてあましていた。
 サンクは、どうすればいいのか分からず、無為に暴れた後は無気力になり、ベッドの上に座って外を眺めて過ごしていた。
 ぼんやりと魂が抜けたようにただ「生きている」だけのサンク。旅の仲間はそれを見て、一人、また一人といなくなり、だれ一人、サンクの元に残らなかった。サンクはそれを見て、ほっとした。それでいい……自分はずっと独りだった。
 そこで、独りにしないでと泣いていたキリエを思い出す。ずきりと胸が痛む。
 キリエを独りにしたのは自分。そのキリエは……自分の手を振りほどき、腕を斬りつけ、どこかへと消えた。

「キリエ……」

 サンクは愛しい人の名をつぶやくが、その名前に心が痛む。腕を斬られたことよりも、手を振りほどかれたことが、痛い。
 キリエの歌声を思い出したくて、ラクリモサを握る。

「うっ……」

 斬られた腕はほとんど治っているというのに。まるで弾くことを拒否するかのように、腕が痛む。ラクリモサを弾いている時だけが、安らぎだった。少し前に立って歌うキリエの歌声を思い出したいのに、そう思うと傷口が疼く。それはまるで、キリエに拒絶されたかのような気がして、サンクの心は壊れそうだった。

「あははは……」

 だれもいないベッドの上でラクリモサを抱きしめ、笑う。
 なんとみじめなのだろう。
 魔王を倒した勇者とあがめられているというのに。だけど自分はこんなベッドの上で、魔王の娘を想っている。
 キリエは自分を拒絶したではないか。自分は要らないのだ。独りにしないでとしがみついてきた腕が、自分を拒否した。ずきずきと心が痛む。
 今まで、人を殺しても……ミサと魔王を刺殺しても痛まなかった胸が、キリエに拒絶され、痛みを伴って心は血を流している。その笑顔を、歌声を思い出そうとしても──思い出せないのに。最初で最後の口づけさえも思い出せない。
 あんなにずっと近くにいたのに。ずっと握っていた手のぬくもりも思い出せない。

「どうして……」

 サンクは悔しくて、ベッドを叩く。投げ出したラクリモサがそれに合わせて跳ねる。
 せめて、と。心の安らぎを求めてラクリモサを弾こうとしても、キリエがやめてと言っているかのように、腕の傷が痛み始める。通常生活には支障がないほど回復したのに。
 もう自分には、キリエの側で感じた初めての安らぎを得ることはできないのだろう。
 それは、大切なキリエから両親を奪った罪。
 血の海に幸せそうに寄り添いながら沈んでいた二人が目の前に浮かび上がる。
 魔王は……初恋の人とさらには大切な人を奪って行く。おまえはワシの命を奪ったではないか、とあの日の最期に見せたプラム色の瞳がサンクをさいなむ。
 サンクは眠れず、ベッドの上でぼんやりとしている。眠るとあの日のことを夢に見る。
 安らぎとは無縁な身になってしまった。

 そこまで考え、サンクはふと気がつく。
 安らぎなんて最初からあっただろうか。イエム村にいた頃から、自分には安らぎなどなかった。唯一の安らぎは、ラクリモサを弾いている時だけ。だけど……それさえも今の自分にはできない。キリエが罪を償えと、斬りつけた悲しい瞳がそう言っている。
 今はただ、キリエを想った時に感じる心の痛みに、生きている、と実感するだけだった。

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 それからさらに数か月が経った。さすがのサンクも心身ともに癒え、いつまでも王に甘えていられないことに気が付いた。しかも、もう少しで戦が始まるという。

「サンク、おまえは魔王を倒した勇者として、私とともに軍の士気を鼓舞してくれ」

 王のその言葉にサンクは危機感を覚える。分かっていたことだが、王は本気で戦争を始める気だ。どう考えても勝ち目のない戦争。それなのに、王は本気で勝てると思っている。この愚かな戦を止めなければ、自分のような人間がまた増える。そんな悲劇は止めなければいけない。

「王……。本気で戦をされるのですか」

 サンクは一言進言したが、王は聞こえていなかったかのようにサンクを見て、

「おまえは私の横にいて、ラクリモサを弾いていろ」

 その瞳はすでに正気ではなかった。狂気を孕んだ危険な色。
 王にこうさせてしまったのはだれだ。サンクは自問自答する。
 王に命令され、世界の脅威であった魔王を倒したのは自分だ。しかしまだ、グラデュアル国の一部の者しか魔王が倒されたことを知らない。まだ世界はいつ襲ってくるか分からない魔王の脅威におびえている。
 それならば……そこまで考え、サンクは首を振る。
 自分が魔王を倒した勇者だと触れまわるのか? そんなことをすれば、キリエに一生、顔合わせすることができない。
 そこまで考えて……キリエにこんなにも未練のある自分をせせら笑う。
 世界とキリエを天秤をかけるまでもなく、どちらが大切か分かっている。
 未練がましいにもほどがある。
 世界中から非難されても、キリエのいないこの世界は苦しい。キリエがどこのだれでもいい。理性で制御できない部分がキリエを激しく求めている。
 サンクは心に決めた。
 キリエを探そう。
 この世界のどこかにいる、キリエを探す。
 拒絶されるのなら、キリエに刺殺してもらおう。そうすれば自分は一生、キリエのものになれる。
 キリエが側にいない痛みより、キリエの側で嫌われる痛みの方がいい。キリエに与えられる痛みは、どんな物よりも甘く蕩け、心を溶かす。世界から後ろ指を指されても、キリエのいない日常は生きていないのと一緒だ。自分で死ぬことも、人に殺されることもできないこの身体。自分の身を滅ぼせるのは、魔王の血を引くキリエただ一人。
 今夜、こっそりここを抜けだしてキリエを探す旅に出よう。
 狂気の瞳をした王の横で、サンクは心の中でキリエを求めた。
 キリエ、独りにしないから。
 待っていて──。




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