螺旋の鎮魂歌


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【二章】ミサとの出逢い




 二十一年前。
 サンクはその時、わずか十歳だった。父はすでに他界しており、病床に付いた母の看病をしながらその日をどうにか食いつないでいた。
 世界は魔王に荒らされ、治安も悪く、荒れ果てていた。サンクは魔王から逃げるために家を放棄した家庭から、食料を盗み出していた。それに対して罪悪感はなかった。そうでもしなければ生きていけなかったのだ。しかし、それも次第に厳しくなってきた。
 魔王は破壊を繰り返した。終わりの見えない破壊。食料も底をつきてきた。サンクはもともと住んでいた家の周辺はすべて漁りつくしていたので、隣村まで足を伸ばしていた。そこでは同じように盗みに来ている者と遭遇して戦うはめになっていた。それまでラクリモサしか持ったことない手にさびた剣を握り、殺さなければ殺されるぎりぎりの状況でサンクはそこで戦い方を覚え、生き延びた。できるだけ命を奪うことはしなかったが、それでも何人かは結果として殺してしまった。後悔はしたが、殺さなければ自分が死んでいたのだと自分に言い聞かせていた。
 すさんだ生活を余儀なくされていたが……それでも徐々に食料を確保できなくなり、薬も飲ませることができず、母は亡くなった。
 サンクが久しぶりに食料を確保できたと喜び勇んで帰ってきたのに、肝心の母は一人さみしくベッドの上で冷たくなっていた。
 後もう少し早く帰っていれば……。サンクは自分を責めたが、責めたところで亡くなった母はかえってこない。村はずれの共同墓地に穴を掘り、母をそこに埋めた。サンクは母を埋めたことで妙にすっきりした。今まで母の存在が荷重だったことに気がつく。
 父が亡くなってから女手一つで自分を育ててくれた母。泣きごとひとつ言わず、そのせいで身体を壊してしまった母。
 すべては自分のために無理をして、そのせいで身体を壊して逝ってしまった。サンクは息苦しく感じていた。その母がようやく死んでくれた。母の思いをようやく肩から降ろせたことにほっとしたことに対して、自分はなんと親不孝なんだろうとちくりと胸の奥が少しでも痛むかと思ったが、まったく痛まなかった。そればかりか、解放感にあふれる自分がいた。
 サンクは唯一の肉親である母が死んだというのに、涙さえでなかった。悲しいとも思わなかった。自分の心は人間らしい心が欠如している──そう思っていた。

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 母が亡くなってすぐ後、一人の少女に出会った。サンクの二つ上で、名前はミサと言った。
 ピンクホワイトの不思議な髪の色をした少女に一目で心を奪われたサンク。けがれを知らないように見えるミサを、気がついたらサンクはいつも目で追いかけていた。
 ミサはよく物にぶつかってこけたりしていた。その度にサンクは駆けだして起こしたい衝動にかられたが、できなかった。いや、しようと思えばできたのだ。しかし、その少女はこの村の村長の家の下働きとして雇われていた。少女が下働きとして雇われている──その意味することをサンクは十歳にして知り、歯がみした。
 それでもサンクは毎日、少女を見つめていた。
 たまに顔を腫らして涙をこらえながら仕事をしているのも見かけた。側にいって慰めたいと何度も思った。
 だが、それはできなかった。
 勇気もなかったが、十歳にしかならない自分は自分が生きていくのに必死だった。
 明日こそは……と思っているうちに、とうとうこの村にも直接魔王が訪れた。
 あっという間に紅蓮の炎に包まれた村。安全な場所へと逃げ惑う村人。屋敷の下働きの人間たちは固まって逃げている。ミサは無事だろうか、と見るが、その一団の中にはいなかった。
 サンクはあせって燃え盛る村へ戻る。炎の隙間をぬってミサを探す。炎から逃れて小さくなってうずくまっているミサを発見した。
 あわてて近寄り、声をかける。驚いて顔をあげたミサは、涙に泣きぬれてはいたが、息が止まるほど美しかった。しかし、その瞳は固く閉ざされたままだった。そこでようやく、ミサがよくこけていた理由を知る。遠目で見ていたので彼女の目が見えないというのを今、初めて知った。

「早く」

 サンクはミサの手を取ったが、彼女は首を振る。ふと足元を見ると、焼け崩れたなにかが足の上に横たわっていた。
 サンクは必死になり、ミサの足が動くように持ち上げる。かなり重いものだったが、どうにか持ちあがる。ミサの足は自由になった。しかし、立ち上がろうとしても足が痛くてうめき声しか上げられない。
 サンクはミサに背中を向け、乗るように促す。ミサは首を振るが、サンクはミサの腕を肩にかけ、背負う。ミサの身体はあまりにも軽く、一瞬、身体が止まる。しかし、そこで立ち止まっていては逃げ道がなくなってしまう。サンクは要らない思いを押しやり、この炎から逃げることを優先する。
 どこをどうやって逃げたのか覚えていない。気がついたら村のはずれにある丘の上に立っていた。

「ありがとう」

 か細い声にサンクはようやく気がつく。サンクは背負っていたミサを地面に下ろした。

「もう、大丈夫」

 そう言って微笑むミサにサンクはその手首を離せずにいた。

「だめだ。戻るな」

 お互い、まだ保護者の庇護が必要な年齢。その二人が寄り添って生きていけるわけないのに、分かっているのにサンクはミサが戻ろうとするのを止めた。

「でも……。お屋形さまに叱られてしまいます」

 泣きそうなミサにサンクは思わず怒鳴っていた。

「そんなにあいつの慰み者になりたいのかっ!」

 サンクの胸にはミサに対するどす黒い感情が渦巻いていた。それがなにか、サンクはよくわからない。サンクのどなり声に小さくなっているミサを見て、正気に戻る。

「ごめん……ひどいことを言った」

 ミサは小さく微笑む。

「私、魔王を説得します」

 唐突な言葉にサンクは耳を疑った。

「私、目は見えないけど……魔王の悲しみを感じます。歌うことしかできないけど、行ってくる」

 そういうなり、ミサはサンクの手を振りほどき、先ほど足をけがして動けなかったはずなのに、目が見えていないとは思えないほどの速さで丘を駆け下りていく。あまりの速度とミサの言葉にサンクの頭はついていけず、どうすればいいのか分からなかった。丘の上に呆然と立ったまま、ミサの背中を見送った。
 それがサンクがミサを見た最後だった。

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 ミサが魔王を説得したからかどうかは分からないが、ぱったりと魔王の凶行は止まった。
 そうして──世界にはとりあえずの平和が訪れた。

 それから二十一年。十歳だったサンクも、三十を超す年齢となっていた。
 サンクの住んでいた村はほぼ焼き払われた。
 残された人間たちはまた来るかもしれない魔王にびくびくしながらも復興させた。造ってもまた破壊されるかもしれないと思いつつも、人々は諦めずに造り直した。
 サンクはしかし、すでに両親もいなく、頼る親戚も魔王のせいで散り散りになって行方が分からず。それでも明日を生き抜くために底辺ではいずりまわった。
 サンクは身体ひとつで生きていた。
 持っているのは父の形見のラクリモサ。弓で二弦をこすって音を出す楽器だ。
 こんなものを持っていたって腹の足しにはならない、売り払ってしまおう。そう思い、何度も質屋へと足を向けるのだが、いざ、という段階になると躊躇して、結局、売れずにいた。
 お腹は空くが昔のように混沌の中を駆け巡り、盗むことができない世の中になってきて……気を紛らわすために父から教わった曲をラクリモサで奏でる。
 町の片隅で人々の邪魔にならないように弾いていたのに、ある日、サンクの目の前にお金の入った袋が投げられた。

「それでなにか好きな物を買えばいい」

 こぎれいな恰好をした紳士はそう言う。サンクは驚き、金の入った袋を手に取る。もらえない、と拒否しようとしたが、すでにその紳士はいなかった。
 もらえるものはもらっておけ。サンクの心の中で囁く声が聞こえた。きれいごとを言っていられるほどサンクには余裕がなかった。そのお金で食べ物を買い、腹を満たした。
 しばらくはその金で食いつなげたが、当たり前だが金は底を尽きた。
 前と同じように空腹をごまかすためにラクリモサを奏でていると、やはり、同じようにだれかがお金を投げてきた。
 そこでサンクは、自分の演奏がお金になるのではないだろうか、という考えに思い至る。
 しかし、今までどちらかというと裏道を生きてきたサンク。いきなり表でラクリモサを弾く勇気などなく、今までいたところより気持ち明るい場所で弾いてみることにした。すると、お金を置いていってくれる人がいた。
 サンクは、その日を生きていくための糧を得るため、あちこちで演奏を繰り返した。
 たまに縄張りを侵害したとけんかを売ってくる者もいたが、サンクは負けることがなかった。底辺を生き続けてきたことで、そういった荒事に巻き込まれることは多々あったため、腕っ節は意外にも強かった。
 その日暮らしではあったが、その日の食費と、安宿に泊まれるくらいの稼ぎを得られるようになってきた。
 年月は流れ、人々に余裕が戻ってきた。サンクが町角で弾いていた頃はほんの一握りの少し余裕のある人たちしか足を止めることもなかったが、今はサンクが来て演奏を始めると、山のような人だかりができるほどとなっていた。サンクはそうして、流しのラクリモサ弾きとして噂が流れた。その噂は王の耳にも入り、サンクは王の前で弾くこととなった。
 それがサンクの転機だった。

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 与えられたきれいな服を着たサンクは、さすがに緊張していた。
 魔王の凶行を、世間の人たちが忘れ去るには充分な年月が経っていた。それほどまでに世界は落ち着きを取り戻し、世界は平和だった。落ち着いてきた世界はしかし、次なる牙を剥こうとしていた。
 サンクのいる国・グラデュアル国は、リベラ大陸のど真ん中に位置しており、豊かではあったが領土は狭かった。ようやく立ち直った国家は、次なる野望は他国を侵略してさらに豊かな国を作り上げることにあった。しかし、不気味なまでも沈黙を守る魔王の存在に、王はなかなか他国へ戦争を仕掛けることができないでいた。
 他の国も建て直しては来ているが、この国ほど様々な物に恵まれていないせいか、今一つだ。ほぼ完全に建て直したこの小国が隣国に攻め入るのは今しかない。遅くなればなるほど、不利になる。
 そんなところに王はサンクの噂を聞いた。心を落ち着けるためにサンクの奏でる曲を聞きたいと思い、呼びつけた。
 これがこの王にとって幸運だったのか、サンクにとっては不運だったのか。
 予想以上のサンクの演奏に王は心打たれ、名を聞いた。

「サンクと申します」

 王は覚えておこう、と言い、その日はそのまま下がらせた。
 王はサンクの演奏が忘れられなかった。さらに、その名前もなぜか引っ掛かっている。
 後日また、王はサンクを呼びよせ、再度その演奏を聞いた。そうして遠い記憶が呼びさまされる。演奏が終わったサンクに王は問いかける。おまえの父の名は、と。サンクは驚き、王へ父の名を告げる。

「まさかと思ったが……」

 王はいきなり、笑いだした。サンクと周りにいる使用人たちは突然、笑い出した王に驚く。

「なんという幸運だろう!」

 狂ったかのように笑う王に、サンクばかりか使用人たちはぞっとする。

「勇者の血を引くものが現れた!」

 ざわり、と空気が乱れる。サンクはわけが分からず、首をかしげる。

「サンクよ、おまえは魔王を倒してくるのだ」

 突然そう言われ、サンクは混乱する。勇者? 魔王?

「この世界の平和を乱す魔王を倒して来い」

 王に命令され、強制的に『聖剣』と呼ばれる剣を持たされ……。魔王討伐用にとつけられた仲間という名の監視人たちとともに、サンクはそのまま強制的に旅立たされた。


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