松落葉(まつおちば)


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【十三話】炎上



 維織は荷物を抱え、部屋に戻ろうとしたが、怖くて戻れないでいた。お風呂場の入口でもたもたしていたところ、食堂のある方角から調理場へ向かって人が歩いて行くのを見た。そのシルエットは、青葉に似ているように見える。維織は眉間にしわを寄せた。
 青葉は今、お風呂に入っているはずだ。璃々香と真吾も璃々香の部屋にいるはずである。では、今、横切っていった人物は──だれだ?
 維織は眼鏡をかけ直し、荷物を胸に引き寄せ、追いかけることにした。お風呂上がりのなにも履いていない足の裏にカーペットの毛足を感じながら、維織はそっと追いかけようとして足を上げたところ、肩に手を置かれた。

「ひぃっ」

 不意打ちに維織は飛び上がり、振り返った。そこには、髪を下ろしたままの青葉が立っている。お風呂の鏡越しに見たびしょ濡れの女性をなぜか思い出し、悲鳴を上げそうになった。

「維織さま」

 いつも以上に感情のこもっていない青葉の声に、維織の背筋になぜか冷たい汗が伝う。

「見て……しまったのですね」
「みっ、見たって、なっ」

 青葉は維織の両肩をつかむ。肉に爪がめり込むほど青葉は維織の肩に力を入れ、維織の身体を押す。維織はあらがおうと青葉の腕を振り払おうとするが、力が入らず、なされるがままに押され、食堂方面へと角を曲がり、すぐの倉庫へと押し込められた。維織の身体は倉庫の中に投げ出される。先ほど、璃々香に飛ばされたときに打ち付けた右肩を再度、地面にぶつけてしまった。

「ったー」

 痛みに動けないうちに、倉庫のドアは閉められ、鍵をかける音までした。維織は痛む肩をかばいながら起き上がり、暗闇の中、ドアまで手探りで近寄ってノブに手をかけ、ひねるが、硬質な音がしただけで回らない。鍵らしきところを手探りで探るが、見つからない。どうやら、ここに閉じ込められてしまったらしい。内側からは開けられない部屋なんて、ここはもしかして、元々誰かを閉じ込めるために作った部屋だったのだろうか。
 嫉妬に狂った繁史が梨絵をここに監禁するために?
 いやまさか……。
 そこまで考えて、だれにも渡したくなくて結果的に梨絵を殺してしまったらしいという話を思い出し、それはありえるかもしれないと考えて、維織の背筋は凍った。この部屋には梨絵の怨念がこもっているような気がして、恐ろしくなった。

「いっ、嫌だっ! あ、開けてっ!」

 維織は死にものぐるいになってドアを叩く。ここから早く出ないと、梨絵に取り殺されてしまう。

「やだっ、やだーっ!」

 維織は半狂乱になってドアを叩くが、それでドアが開くわけでもなく、外からだれかがやってくる気配もない。璃々香と真吾の二人に期待したが、しかし、青葉がそもそもここに閉じ込めたのだから、二人には青葉の都合がいいようなことを言っているだろう。二人に気がついて救出してもらう、というのはあきらめた方がよいようだ。
 ドアを叩き続けたところで開かないのが分かり、維織はあきらめた。ドアに背中を預けて、床に座り込む。打ちっ放しのコンクリート。接触している場所が冷たい。お風呂に入って身体が温まったのに、そこから冷えていく。
 先ほど、青葉に言われた言葉を反芻する。
『見てしまったのですね』と言われたが、どういう意味だったのだろうか。もしかして、見てはいけないものを見てしまったのだろうか。それならば、見てはいけないものはこの島に来てからたくさん見てしまった。

 維織の脳裏にはこの島に到着してから今までのことが次々と思い起こされる。人は死ぬ間際に脳裏に人生が走馬燈のように駆け巡るというが、ここで死んでしまうのだろうか。
 ここで自分は梨絵の怨念に取り殺されてしまう。自分の人生はなんとあっけなく、なに一つ成し遂げず、終わりを告げてしまう。薄っぺらな人生を思い出し、泣けてきた。
 維織は悔しくて、唇をかみしめた。瞳を強く閉じる。

     *     *

 身体を動かして、痛みで目が覚めた。維織は眠ってしまったことに驚いた。どこまで自分は緊張感がないのだろう。怖くて悔しくて目を閉じていたら、暗闇の中で寝てしまったようだ。
 コンクリートの上だったので、身体の節々が痛む。ゆっくりと身体を起こし、ドアノブを支えにして立ち上がろうとして手に力を入れたら、先ほどはあれほど動かなかったノブがいとも簡単に回転して、維織はドアの向こう側に投げ出されてしまった。

「った」

 青葉が鍵を開けてくれていたらしい。今日はよく床にぶつかると半分泣きながら立ち上がり、部屋に戻る気になれず、外へと飛び出した。
 あれほど降っていた雨はすっかり止んでいるようだった。地面が濡れていて滑るし、素足なので落ちた松葉が痛かったが、それよりもこの宿泊棟の中にいるよりは遙かにましだった。赤塚が島に戻ってきてすぐにクルーザーに乗り込めるようにと思い、維織は桟橋へと向かう。
 途中、暗闇の中というのもあり何度も足を取られて転けたが、歯を食いしばって立ち上がり、坂を下る。地面が濡れていたので服は濡れたが、あの能面や閉塞感のあるあの部屋で朝まで過ごすことに比べれば、濡れることくらい、なんてことはなかった。
 桟橋にたどり着いたときは、維織は疲れ切っていた。砂浜に降り立ったら、湿った砂が足の裏に気持ちがよい。ようやくそこで、維織は安堵のため息をつくことができた。
 しかし、ほっとしたのはその一瞬。
 突然、維織の背後でものすごい音がとどろいた。また雷が落ちたのかと思い、耳をふさいで悲鳴を上げた。自分の悲鳴さえも聞こえないほど、背後で爆発、破裂音。維織はおそるおそる、背後を振り返ると……。

「!」

 宿泊棟から巨大な火柱が立ち上がる。維織はなにが起こったのか理解できなかった。
 さらにまた、破裂音。それに呼応するように火柱が上がる。維織は唖然とそれを見ていた。
 宿泊棟は燃え上がり、暗闇を赤く照らす。炎は大きくなり、すぐ側にある松の木にも燃え移ってしまったようで、その赤はどんどんと広がっている。

「あ……」

 宿泊棟の中にはまだ、維織以外の人がいるはずだということに気がつき、かけだそうとしたが、砂に足を取られて、倒れてしまった。口の中に広がる、砂。涙が自然にあふれ出す。涙を追い出すように、目を強く閉じる。涙は頬を伝い、砂に吸い込まれていく。しばらくの間、あふれる涙のままに泣いていたが、炎はさらに広がり、風が熱を運んでくる。

「宮下先輩……天野先輩、青葉さん……」

 残っていると思われる人の名を、維織は呼びかける。
 のろのろと立ち上がり、維織は宿泊棟へと向かう。しかし、あまりの熱風に足がすくむ。それに、向かったところで自分はなにもできない。どうすればいいのか悩み、砂浜にたたずむ。
 呆然と燃えさかる炎を維織は見つめる。その先に、人影が見えたような気がした。目をこらしてよく見ると、四本の影。
 宿泊棟には維織を入れて四人しかいなかったはずなのに、どうしてむこうに四人分の影が見えるのか。赤塚が予定より早く帰ってきたのだろうかと思ったが、船着き場にはクルーザーはなかった。
 影は炎を受けて、大きく揺らいでいる。なにか言い争っているような気配。近寄って確かめようにも、炎は四つの影に迫り、今にも飲み込もうとしている。

「先輩っ!」

 維織は大声で叫ぶが、海風がなびき、炎をあおり、松のはぜる音、風の音がとどろき、かき消える。
 そういえば、と維織はどうでもいいことを思い出した。真吾が言っていたうんちくを思い出したのだ。
『松は燃えやすいんだよな。松ヤニなんて最たるもんだろ』
 あれほど降った雨にもかかわらず、炎は風にあおられてものすごい勢いで燃え広がっている。松って本当によく燃えるんだ、と他人事のように維織は炎に見とれた。
 争っていたように見えた黒い四つの影は、いつの間にか炎に飲み込まれ、維織の視界から消えた。
 背中から吹いていた風が、急に向きを変え、こちら側に吹き付けてくる。炎に熱せられた風が維織を焼き付ける。あまりの熱さに維織は慌てて後ずさり、桟橋へと駆けた。そこまで逃げても熱風は吹き付けてくる。風向きが変わったせいか、女の笑い声が聞こえてくる。狂ったかのように高らかに笑い続ける声に、維織の背筋は凍る。
 徐々に息苦しくなる。身体から力が抜け、立っていられなくなり、座り込む。それでも立ち上がろうとしたが、限界だった。維織は数度、宙をかき、砂を握り、そのまま意識を失った。







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