松落葉(まつおちば)


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【十二話】嵐の中に



 璃々香の部屋の片づけが終わったが、維織は自分の部屋に戻る気になれなかった。相変わらず雷鳴がとどろいている音が響いてきていたからだ。
 璃々香とは同じ学部だったので、先生の話で盛り上がった。共通の話題があってよかった、と維織は思った。

「あの先生っていつ見ても髪の長さが一緒ですけど」
「そうねぇ。わたくしが入学してからもずっとあの髪型ね。つむじの位置もなんだか妙だし」
「もしかして……」

 維織と璃々香は顔を見合わせ、どちらからともなく笑い出す。

「宮下先輩もそういうこと、話をするんですね」
「あらやだ。するわよぉ。しんちゃんなんて、もっとひどいことを言っているわよ」

 維織は璃々香はもっとお嬢さまでとっつきにくい人だと思っていたので、意外性を見つけてることができてうれしくなった。

「天野先輩が言っているひどいことは、大体の想像がつきます」

 維織がしかめっ面をしているのを見て、璃々香はさらに笑った。

「わたくしとしんちゃんてアンバランスでしょ」
「え……」

 いきなりそう振られ、維織は口ごもった。

「いいの、分かっているの。しんちゃんとわたくしは、幼なじみみたいなもの、かな」
「おっ、幼なじみ?」

 そう言われて維織はなんとなく納得した。
 璃々香は真吾を
「しんちゃん」
といい、真吾は
「りりか」
と呼び捨てにしている。校内に璃々香の取り巻きが何人もいるようだが、だれもが
「璃々香さま」

「璃々香お嬢さま」
と呼んでいて、呼び捨てしているのは真吾のみ。接点を見いだせないでいたので、幼なじみと知って合点がいった。

「小さい頃からずっと、当たり前のように一緒にいたからそれが当たり前だと思っていたけど、しんちゃんも来年には就職して、わたくしの元から去っていってしまうの」

 きれいに化粧をした横顔に影が差す。急に遠い存在に思えて、維織はなんと声をかけていいのか分からなくなった。先ほど親近感を覚えたばかりだったのに、やはり遠い存在なのだな、と思った。

「維織は住む世界の違いって意識したことがある?」
「住む世界の違い、ですか」

 一般庶民である維織からすれば、璃々香とはこういうことがない限り、会話を交わす機会などなかった。それが住む世界の違い、と言われればそうだと言える。

「そうね。そう言われるととても悲しいけど、縁があったから今、わたくしは維織とこうして会話をしていると思うのよ。縁とは不思議よね」

 世界の違い、縁のあるなし。

「世の中って不思議ですよね」
「ふふっ、そうね」

 先ほどまで暗い表情をしていた璃々香が笑ってくれたことで、維織はほっとした。

「わたくしね」

 璃々香がなにかを告白しようとした瞬間、部屋の電気が消えた。維織はいきなりの停電に硬直した。

「いやっ」

 璃々香の口からするどい悲鳴。ただならぬ様子に維織は暗闇の中、目を必死にこらす。

「宮下先輩?」

 声をかけるが返答はなく、壁になにかが当たる音が響いた。その音は不規則なリズムを伴っていたが、定期的に聞こえてくる。
 ようやく暗闇に目が慣れた維織は、その出来事に目を見張った。璃々香が壁に向かって全力で体当たりをしているのだ。

「宮下先輩っ!」

 維織はあわててベッドに駆け寄り、璃々香を止めようとするが、普段の璃々香からは想像がつかないほど強い力で弾き飛ばされ、床へと転がった。維織は一瞬、なにが起こったのかわからなかった。

「嫌よっ!」

 維織は起き上がり、再度、璃々香を止めようとしたが、先ほどより強い力で飛ばされた。突き飛ばされる覚悟をして挑んだにも関わらず、簡単に飛ばされてしまい、地面にたたきつけられた維織は一瞬、息が止まった。

「おい、ここを開けろ!」

 扉をたたく音とともに、真吾の声が聞こえる。維織は必死になって立ちあがり、開けた。

「りりかは?」

 手に懐中電灯を持ち、真吾が室内に入ってきた。明かりに維織はほっとする。

「あそこで……」

 真吾は維織が指示した先を見て、大股で歩いて璃々香に近寄る。

「りりか、俺が分かるか?」
「……いやだ、早くここから出して」

 懐中電灯の光で浮かび上がった璃々香は、長い髪を振り乱して肩から壁にぶつかっていた。真吾は璃々香の背後からゆっくりと近づき、一気に抱きしめる。維織はひゃあ、と両手で顔を覆いつつも指の間から二人を見る。
 璃々香は真吾の腕の中でかなり暴れていたが、真吾は璃々香の耳元になにか囁いている。璃々香は次第に暴れるのをやめ、真吾の胸に力なくもたれかかっていた。

「……もう大丈夫だ」

 その一言に維織はほっとする。

「失礼いたします。みなさま、ご無事でございますか」

 ノックの音の後、懐中電灯を持った青葉が入室してきた。

「雷のせいで電力の供給が止まったようです。停電に備えて自家発電が付いているのですが、どうもうまく機能していないようでして、今から見てきます」
「待て。一人で行くのは危ないから、維織と二人で行って来い。俺はりりかを見ていないといけないから」
「しかし」

 このままこの部屋にいるのも落ち着かない。だからといって真吾が言うように自家発電の場所に行くのも嫌だ。しかし、暗いままなのも嫌だ。維織はそれらを天秤にかけ、決意する。

「わっ、分かりました、行きましょう」

 青葉一人に任せるのも心配だったので、自家発電の様子を見に行くことにした。ともに璃々香の部屋を出て、まず倉庫へと向かった。中に入ってしばらくして、青葉は手になにかを持って出てきた。

「こちらをご利用ください」

 手渡された物は深緑のレインパーカーとパンツと黒い長靴だった。

「あの……?」
「非常用の自家発電機は調理場の外に置いてあるのです。まだ雨が降っていますし、傘では役に立たないほど風が強いのでそちらを着てください」

 今さら嫌だと言えず、維織はしぶしぶ着たのだが、男性用なのかものすごくぶかぶかだ。青葉は裾を折ってくれた。青葉も着ているが、こちらは丈の長いカーキ色のレインコート。フードをかぶり、紐を締めて脱げないようにしているのを見て、維織もフードをかぶって紐を縛ったが、眼鏡まで隠れてしまって前が見えなくなってあわててフードの端をあげて周りが見えるようにした。
 長靴にはき替えたが、こちらも男性用らしく、かなり大きい。

「行きましょう」

 ナイロンがこすれる音が廊下に響く。維織は長靴が脱げそうになりながらも必死に歩き、ようやく調理場の前にたどり着いた。二人は中へ入った。廊下よりひんやりとした冷たい空気が流れる調理場。水滴の落ちる音に維織は驚き、身体を震わせた。
 長靴が脱げないようにとすり足に近い歩き方をしているせいか、調理場の床は湿っているので水っぽい音が響き渡る。油断したらすべりそうだ。それにも注意して、維織は歩く。

「ひゃあっ」

 調理場の上に取りつけられた明かり取りから稲光が見え、しばらく遅れて雷鳴が鳴り響く。先ほどより間隔が長くなっているところ、雷雲は遠ざかっているようだ。維織は安堵した。
 冷蔵庫の前を横切った時、視界の端に人影が見え、維織は一瞬、足を止めた。アルミニウムの艶のある扉に自分の姿が映っていただけだった。過敏になりすぎているな、と苦笑しながら維織は青葉の後についていく。
 青葉は調理室から外へ出る勝手口を開けた。とたんに風雨の音が二人の耳に届いてきた。

「すごい雨!」

 大きな声を出さないと会話ができないほどの強い風。まだ室内にいるというのに、吹きこんでくる風が乗せてくる雨が顔にあたって痛い。時間的にはまだ夕方頃のはずなのだが、雨雲のせいか、夜のように外は暗い。

「出てすぐのところにあります」

 青葉は身を乗り出した。維織も意を決して外へ出る。その途端、身体に今までの比ではない強い風と雨が叩きつける。口を開けていたら雨がなだれ込んでくるので強く閉じる。眼鏡でガードされてはいるが、レンズに雨が叩きつけ、前が見えない。全身はあっという間にびしょぬれになり、レインコートをしみて水が入り込んでくる。
 強い風に前に進むのが困難だ。それでも少しずつ足を前にすすめ、ようやく非常用発電機に到達した。
 なかなか電源が入らないのか、青葉は何度もスイッチを付けたり切ったりを繰り返している。

「おかしいです、つきません」

 青葉に代わり、維織がスイッチを入れるが、動かない。

「こういう時は叩いたり蹴ると直るんですよ」

 今の状況に維織はだんだん腹立たしくなり、半ばヤツ当たり気味に発電機に蹴りを入れた。ぶかぶかの長靴は維織の足を抜けて頭を通り越して後ろへと飛んでいった。

「うわぁ」

 バランスを崩して維織はそのままこけた。川のようになった地面に転がり、かなり冷たい。泥水が飛び散り、青葉にもかなりかかった。

「青葉さん、すみませんっ」
「いえ、わたしは大丈夫です。維織さま、大丈夫ですか」
「私はどうにか。発電機、動きませんか?」

 青葉は再度、スイッチを入れるが、動かないようだ。

「しばらく使ってなかったですから、壊れてしまったのでしょうか」

 このまま暗いままは嫌だな、と維織は泣きそうになった。

「この役立たず!」

 維織は身体を起こして地面に座ったまま、長靴が脱げたかかとで発電機をガンガンと蹴る。

「つきなさいよっ!」
「維織さま、発電機が壊れて……あ」

 維織が何度か蹴った後、低い唸り音をあげて動き始めたようだ。見上げると、調理場の明かり取りから電気が見えた。

「ついた!」

 維織は反対の長靴も脱ぎ、はだしのまま地面へと立つ。ここまで濡れたら長靴をはいている意味があまりないと思った。両足に冷たい雨だった水が通り過ぎていく。

「すぐにお風呂に入りましょう。このままだと身体が冷えて風邪をひいてしまいます」

 てっきりそのまま調理場に入るのかと思っていたら、青葉は扉を通りぬけ、さらに先へと進む。どこに行くのだろうかと思っていたら、別の扉から中へと入り、引き戸を開けた。

「こちらはもう一つのお風呂になっております。わたし、維織さまのお部屋へ向かってお洋服を取ってまいりますので、先に温まっておいてください」
「え、あ、はい」

 維織は服を脱ぎ捨て、お風呂場へと向かった。
 中の作りはもう一つのお風呂場とほぼ同じだった。またいきなり電気が消えたら嫌だな、と思いながらも雨に打たれ、さらには水の中にこけて泥だらけになっているのに耐えられなくて、また電気が止まって暗くなったらその時どうするか考えようと思い、お風呂に入った。
 身体を洗って湯船に浸かって温まってくると、ようやく落ち着いてきた。

「維織さま、お洋服を置いておきました」

 青葉の声に青葉も濡れたままだったことを思い出し、あわてて上がる。

「青葉さんも早く入って温まってください」
「ありがとうございます」

 しかし、維織が身体を拭いて着替えるのを見届けるまで、青葉はお風呂に入ることをしなかった。







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