『怨人─オニ─』


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十二章・前



「いつまでも怨んだって、あなたは楽にならないわよ。辛いだけ。早く楽になって」
 胡桃の言葉に、万代はポケットから石を取り出す。
『万代、なにをするのじゃ』
 万代の中で翠御前が抵抗した。取りだした石を再び、ポケットにしまおうとしている。
「野尻さん、それが」
「そ……う。これが」
 万代は気力を振り絞り、ポケットから取り出した石を地面へと投げ捨てた。万代の中から緑色の煙のようなものが飛び出し、石を取り囲む。
『おのれ……うぬら!』
 ぼんやりと緑色の煙は人間をかたどる。胡桃たちを取り囲むようにいた怨人たちはその緑色の煙を守るように次々と張り付き、形を変えて巨大な鬼へと変わる。
『許せぬっ』
「あ……あっ……」
 万代は緑色の巨大な鬼を見て、腰を抜かしたようだ。地面に座り込み、震えている。
「がああっ!」
 緑色の鬼は一声、吠えた。それを聞いた万代は、そのまま気を失った。
 今までのあの小さくて手足の長い怨人が集まり、絵巻物で見るような恐ろしい姿の鬼へと変貌していた。頭のてっぺんには一本の角が生え、海藻が張り付いたようなべったりとした髪、鋭く切れあがった瞳、裂けた口からは鋭い牙が生えている。
「胡桃は下がっていろ」
 朔也たち三人は胡桃を後ろに守り、その緑色の鬼に対峙する。
「きょ、巨大化したって、こ……怖くなんかないんだからっ!」
 三人の男たちの後ろから、胡桃は強がりと分かっていながらも緑色の鬼に向かって叫ぶ。しかし、あんなものにどうやって向かっていけばいいのか。さすがの胡桃も震えて、今にも木刀を放り投げて逃げてしまいたい衝動に駆られる。
「……ようやく姿を現したのか」
 聞いたことのある声が、緑色の巨大化した鬼の後ろから唐突に聞こえた。四人は同時にそちら側へと視線を向ける。
 そこには、九鬼慎一郎と妹の佳緒里が立っていた。
「わー、お兄さま、すごいわ! わたくし、こんなもの、初めて見ましたの」
 その場にそぐわない歓喜の声に、四人は眉をしかめる。
「男たち三人同時にそいつに拳を突き立てれば、動きが止まる。そこに桃の字が木刀で石を切ればいい」
 どうしてそんなことを知っているのかという疑問をそれぞれが抱きつつ、しかし、一刻の猶予もなかった。
 朔也は鬼を睨みつけ、胡桃に背中を見せたまま、横に立つ淳平と将司に指示を出す。
「二人とも、行くぞ」
「おう」
「はいっ!」
 胡桃は先ほどまで万代が大切に持っていた石を、じっとにらみつける。
 朔也たちは鬼に向かって走る。鬼は腕を振り上げたり蹴りをしてきたりしている。朔也たちは鬼の攻撃を避け、攻撃のチャンスをうかがっている。鬼の動きは小さい時と違って、思っている以上ににぶいようだ。しかし、繰り出される攻撃はかなりの威力で、その爪はアスファルトをえぐっていく。
 三人が緑色の鬼を取り囲んだ。
「行くぞ!」
 朔也の叫びに三人同時に鬼に飛びかかる。
「えーいっ! なんたらかんたらトリプルアタック!」
 淳平のそのセリフに三人は同時に鬼にこぶしをつきつける。
「なんたらかんたらって……なに考えて……きゃっ!」
 三人のこぶしを受けた鬼は急に光を放つ。
「胡桃、今だ!」
 緑色の鬼は、中心から眩しい緑色の光を放っている。胡桃は目を細め、地面に転がっている石に向かって突き刺すようにして木刀を振り下ろす。木刀の切っ先は見事に石に当たり、赤い光が突如吹き出し、石は粉々に砕け散る。
「うわっ!」
 石から突風が吹き荒れ、四人に直撃する。それぞれが自分の身をかばう。
 それを見届けた慎一郎は佳緒里を連れて、笑みを浮かべたままその場を離れた。
 しばらくして突風はおさまった。
「今の、なに」
 胡桃はアスファルトに木刀の先を突いた恰好で三人を見る。
「退治した、ということじゃないかな」
 胡桃はゆっくりと木刀を自分に引き寄せ、その先を見る。固い石をついたというのに、なんともなっていなかった。
「野尻さんは?」
 万代はアスファルトの上に倒れていた。朔也があわてて駆け寄る。
「大丈夫、気絶しているだけみたいだ」
 朔也は万代を抱きかかえる。
「家に連れていこう」
 胡桃は周りを見回す。先ほどまでいたはずの慎一郎は、消えていた。あのアドバイスは幻だったのだろうかと思いつつ、朔也に名前を呼ばれ、万代の家へと向かった。
 万代の家のインターホンを押すと、中から眠たそうな少し暗い感じのする女性が現れた。
「野尻さんと同じ学校の者なんですが、貧血を起こしちゃったのか、倒れちゃって」
 胡桃はしどろもどろとそんなことを女性に説明している。きっと万代の母親なのだろう。胡桃の顔を見て迷惑そうな顔をしていたが、万代を抱えている朔也を見るなり、いきなりまあまあ、と声のトーンを上げて中に入るようにうながしてくる。朔也は部屋に寝かせたらすぐに帰りますから、と言っているのにしつこくお茶をどうぞと誘われて辟易している。朔也は万代の部屋を聞き、ベッドに寝かすと腕を引いて引きとめる万代の母を振り払い、家を辞した。
「朔也ってもてるね」
 胡桃たちは報告をするために神社へと向かっていた。将司は朔也をからかっている。
「おまえだって上級生から『まさくん』と言われてかわいがられているだろう」
 将司は真っ赤になっている。こういうところが母性本能をくすぐるんだろうな、と胡桃は笑いながら見ている。
「な、なんで笑うんですかっ!」
「いやぁ、かわいいなと思って」
 胡桃の隣で淳平も笑っている。
「淳平だって、そうやって笑ってるけどもてるじゃないか!」
「そうなの?」
「おっ、オレは」
 淳平としては胡桃一筋、であるのだが……。
「ということは、もてる三人がお供で、あたしって実は逆ハーレム?」
 胡桃の言葉に三人同時に突っ込みが入る。
「だれがお供だっ!」
「じゃあ、姫を守るナイト」
「それも却下! おまえみたいな男より男らしい女をどうして守らないといけないんだよ!」
「失礼ね! か弱い乙女よ! あたしが姫じゃないのなら、やっぱり三人はお供じゃないの!」
 胡桃の言葉に朔也は少し考え、
「姫を守るナイトより、お供の方がしっくりくるのはなんでだろうな」
「うーん、それは胡桃が男前すぎるからじゃないかな」
「なるほど」
 三人が納得したところで、胡桃は反論する。
「だれが男前よ!」
「いやぁ、あのセリフは結構心に響いたよな。『心まで醜くならないでよ!』って」
「うん、男前なセリフだよな」
 胡桃は反論できなくて、言葉に詰まった。
 四人は神社に着き、壮一に結果を報告する。
「そうか。お疲れさま」
 壮一は胡桃を見て、顔をしかめる。
「胡桃、ちょっとそれは」
「ん? なに」
 三人は改めて胡桃を見る。
 将司は赤面して顔をそらすし、朔也などは見なかった振りをしているようでちらちら見ているし、ましてや淳平は胡桃を凝視している。
「ちょっと、なによ」
「いや、その」
 男たちの視線がいたたまれなくて、胡桃はトイレに駆け込み、鏡を見る。
 胸元の合わせの部分が思いっきり開いていて、かなり開いて見えていた。この恰好であそこからここまで歩いてきて、途中でだれともすれ違わなかったのはよかったとは思うものの、胡桃の顔は赤くなる。きっと怨人に乗られた時に襟ぐりを引っ張られて乱れてしまったのだろう。
「恥ずかしいっ!」
 胡桃はあわてて合わせを直し、なんともなかった振りをしてトイレから出る。
「そうそう、胡桃。月曜日から学校だって。停学もなかったことになっているようだよ」
「へ?」
 なんだかよくわからないけど、丸くおさまったらしい。





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