『怨人─オニ─』


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十二章・後



     *

 胡桃たちのやりとりを、影から見ていた人物がいた。それは四人にアドバイスをした九鬼慎一郎だ。
「お兄さまが言うとおりに面白い物が見られたけど、すぐに倒しちゃうなんてもったいないわ。それに、あんなことをしてもよかったの?」
 楽しそうに胡桃たちを見ている兄を上目遣いで見つめ、佳緒里は不満そうに慎一郎をつついている。普段なら不快そうな顔をして佳緒里を振り払う慎一郎だが、機嫌が良いらしく、その手を取り、楽しそうに口づける。
「いいんだよ。あれが本来の正しい姿なんだ。鬼は桃太郎に退治される──実に正しい、美しい姿ではないか」
 そう言いながら、肩で笑っている。慎一郎の真意が分からない佳緒里はつまらなそうな表情を浮かべ、
「おもしろくなーい。わたくし、帰りたい!」
「佳緒里はわがままだなぁ」
 愉快そうに慎一郎は笑いながら、もう一度、胡桃たちに視線を送り、きびすを返す。
「さすが、桃太郎。思った以上の働きをしてくれた」
 あふれ出る笑みを隠すことなく、慎一郎は佳緒里とともに、その場を去った。

     *

 月曜日、学校に行くと、何事もなかったかのように、なにもかもが通常通りであった。すっかり拍子抜けしてしまった胡桃だが、これが普通の状態なんだよねと苦笑した。
 そういえばと右前の席を見ると、佐々木楓実は白い包帯を巻いて登校してきていた。そして驚くことに、万代と仲良く会話をしていた。昨日の今日でそんなに仲良くなれるものなんだろうかと疑問に思いつつも、あの事件は万代にとっては良い方向へと転がったのなら良かったと、胡桃は安堵した。
 万代はあの後、目を覚まし、三人のお見舞いに行ったらしい。そこで四人は和解をして、同じクラスということで万代と楓実は仲良くなった。
 もともと、朔也の熱烈なおっかけという共通の話題があるから仲良くなるのには時間がかからなかったようだ。むしろ、話をしてみると共通点が多く、二人はさらに熱烈な朔也の追っかけになった模様だ。

     *

 そして、今回のこの事件は、胡桃にとってもいいことがあった。自分の目指す先が、はっきりとした。ぼんやりとしか持っていなかった将来像が、明確なビジョンを持ったのだ。
「あたし、お父さんと同じ宮司になるよ」
 壮一はまぶしそうに胡桃を見る。
「ほう、どうして?」
「理由は秘密!」
 胡桃はのらりくらりとしている父のことが、実は嫌だった。今回のことでとっても頼りになる人という認識を持ち、見直した。父の跡をついで宮司になるのもいいかなと胡桃は思った。
「胡桃が自分の意志でなりたいというのなら、頑張るといいよ」
「うん。勉強、頑張るよ」
 胡桃はガッツポーズをして壮一に見せている。
 実は神社を継ぐという理由ならば推薦入試という手もあるのだが、せっかく胡桃がやる気になっているのだから、それは胡桃には内緒にしておこうと壮一は思う。
「そういえば、淳平くんも同じ学科に行きたいと言っていたな」
「え? 淳平が?」
「いやぁ、積極的だねぇ」
「なにが?」
「いやいや、父さんの独り言」
 淳平が壮一のところに来て、神道学科に進んで将来、桃里神社を継ぎたいと言って来た時には驚いたけど、それは遠回しな胡桃へのプロポーズで、壮一はその時のことを思い出し、にやけていた。
「やだ、お父さん。思い出し笑いするのってやらしい人なんだよ」
「そうかもな。そうじゃなければ胡桃は産まれてないだろ」
「うっわ、さいてー!」
 面と向かって父親からそう言われると、正直、引く。
「セクハラオヤジって言われるよ!」
「そうかもな」
 のんきに笑っている父を見ていると、胡桃はあれは夢だったのではないか、と思えてくる。
「今回のことは胡桃にとってもいいことがたくさんあったな」
「うん」
 悩んでいた将来を決めることもできたと笑っている。
「じゃあ、勉強してくる!」
「胡桃が自ら勉強するなんて。明日は雨だ!」
「ひどいよ、お父さん!」
「ごめんごめん」
 胡桃は壮一に手を振って、部屋へと戻る。
「よっし、頑張るぞ!」
 胡桃は一度、勉強机の前の窓を開けて外を見る。今日は空に雲ひとつなく、星がよく見える。壮一の言葉を真に受け、明日もいい天気じゃないと心の中でつぶやく。
 翠御前、今頃笑っていられるかな。あの殿さまと会えたかな。
 思いをはせ、胡桃は窓を閉める。少し眉間にしわを寄せ、勉強へと取りかかる。
 卑屈になるのは簡単だけど、それでは幸せになれないから。
 ちょっと卑屈気味になりかけていた胡桃自身にもその言葉は響いていた。
 少し辛いけど、それはきっと、幸せへの一歩だから。
 胡桃は自分に言い聞かせて教科書を開く。
 先ほど壮一から聞いた話を思い出し、胡桃は少しだけ笑う。サッカー馬鹿だと思っていた淳平も同じように宮司を目指すなんて。ちょっと意外だな、と胡桃は思った。

「胡桃、そろそろ寝ないと」
 遅くまで電気がついている胡桃の部屋へ明枝が様子を見にやってきた。
「あ……うん」
 胡桃は気がついたら机に伏して眠ってしまったようだ。夢の中で翠御前とあの殿さまが並んで幸せそうに笑って、こちらに向かってお辞儀をしていたような気がする。
「おやすみ、お母さん」
 みみずがはったような字を見て胡桃は苦笑して、ノートと教科書を閉じ、ベッドへもぐる。
 胡桃は大きく息を吸ってから、眠りについた。

【おわり】





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