『怨人─オニ─』


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十一章・後



 線路沿いの路上で、無数の緑色の怨人に囲まれる胡桃たち。まさかここでこんなことになるとは思わず、武器は胡桃の持つ桃の木で作られたという木刀一本。胡桃以外の三人はそれぞれに不快な症状が現れ、とてもではないが戦えそうにない。
『やれ』
 万代は冷たい声で怨人たちに命令する。怨人たちは万代の命令を受け、胡桃たちに飛んで近寄ってくる。胡桃は三人をかばうように木刀を振りまわす。その度に涼やかな音が空間に響き渡る。音におびえて怨人たちは今一歩、というところで踏み込んでこない。胡桃にかばわれている三人は、どうにかしようとあがいていた。しかし、一匹でもひどい状態になるというのに、今まで見たことがないほどの怨人の数に、ちょっとやそっとの鈴の音だけではどうにかなるものではないようだった。それでも、朔也は携帯電話に取り付けていた鈴を鳴らし、近寄ってくる怨人を威嚇する。淳平と将司もそれを見て、真似る。
「野尻、やめてくれないか」
 朔也は万代に向かって叫ぶが、うっすらと笑みを浮かべ、朔也を見ているだけである。
『万代はおぬしのことを欲しておる。おぬしが万代の伴侶となるのなら、おぬしだけは助けてやろう』
 朔也は目を見開く。
「なにを」
『万代はおぬしのことが好きなようじゃ。おぬしを追いかけ、同じようにおぬしを追いかけておったあの三人。憎いよのぉ、万代は最後の詰めが甘いよのぉ』
 万代の口から語られる、事件の真相。
「俺のせいなのか」
『万代は純粋におぬしのことをあこがれておった。おぬしのことを好んでおるおなごはたくさんいるようじゃのぉ。同じようにおぬしのことを追いかけていた、ただそれだけの理由で万代はいわれのないいじめを受けたのじゃ』
 朔也は力なくその場にひざまずく。
 万代がいじめられていたのが自分のせいと知り、朔也はショックを隠しきれない。確かに自分がもてているという自覚はあった。そのことで少し天狗になっている部分もあったかもしれない。しかし、そのうちのだれかに対してひいきをしたということはなかった。
『その胡桃とかいうおなごもおぬしと仲がよいと知れたら、どれだけいじめられるのだろうなぁ』
 万代は嘲笑うように朔也に告げる。
『愉快じゃのぉ』
 万代の声は朔也に響く。胡桃は怨人を倒すことに精いっぱいで、淳平と将司は追いやっているだけで手いっぱいだ。朔也は戦意を喪失していた。だらりと両手を垂らし、手から携帯電話が転げ落ちる。鈴の音に淳平が気がつく。
「朔也、なにしてるんだよ」
「俺の……俺のせいで野尻は」
『そうじゃ。おぬしのせいで、万代は傷ついた。おぬしは万代の伴侶となり、心の傷をいやしてやらねばならぬのじゃ』
 万代の言葉に朔也は立ち上がり、近寄る。
「朔也っ、なにを考えてるんだ! おまえのせいじゃないっ」
 淳平の叫びは朔也にはまったく聞こえていない。止めようとするが、怨人を相手するのが精一杯だ。朔也の様子がおかしいことに将司と胡桃も気がついた。
「朔也、しっかりしろよ!」
 将司の叫びはまったく聞こえていない。また一歩、朔也は万代に近づく。
「朔也っ」
 胡桃の声に朔也は少しだけ反応を示す。しかし、すぐにまた元に戻り、万代へと歩いていく。
「朔也の馬鹿っ!」
 胡桃は朔也に向かって走ろうとしていたが、怨人はそれを阻止するように、目の前に壁のようにそびえたつ。胡桃は木刀を振りまわし怨人を消し去るが、次々とわいてくるためキリがない。淳平と将司も胡桃を助けようとするのだが、なによりもあの鋭い爪が厄介で、素手ではどうすることもできない。淳平はあたりを見回してだれかが放置しているらしいサッカーボールがフェンスの端にあることに気がついた。
「胡桃、こいつらの弱点は?」
「額になにか見えない?」
 耳鳴りは相変わらずひどかったが、今はそれよりも大切なことがある。胡桃一人に戦わせているわけにはいかず、淳平は気力を振り絞ってボールを取りに行き、胡桃に聞く。
「額? なにも見えないぞ」
 淳平は胡桃を見よう見まねでサッカーボールを蹴り、怨人の額に打ち付ける。ボールは見事に怨人の額にぶつかり、砕け散った。怨人は仲間を砕いたサッカーボールに爪を立てて破裂させた。唯一の武器を壊されてしまった淳平は、舌打ちをする。
 それを見ていた将司は、ポケットから輪ゴムを取り出し落ちている小石を拾い、パチンコの要領で怨人の額に石をぶつける。怨人は額に小石を受け、はじけるようにして消え去った。将司は石を拾っては怨人の額にぶつけていく。淳平も石を見つけて怨人に投げるが、やはり蹴るのとは違ってまったくの見当違いの方向に飛び、当たらない。
「くそぉ」
 淳平は適当に投げるよりも小石を見つけて拾ってきて将司に渡すのが効率的と気がついた。
 胡桃の息があがり、動きがだんだん鈍くなってきている。怨人はキリなく湧いてきている。
「朔也!」
 朔也はとうとう、万代の目の前に到達してしまった。万代は手を伸ばし、朔也の頬に触れる。
『万代、おぬしが欲した朔也を手に入れたぞ』
 朔也は気がつき、頬を触れられている手に自分の手を重ねる。
「野尻、しっかりしろ! おまえは、人を傷つけて平気なヤツではないだろう? だからいじめられても反論することができなかったんだろう」
 朔也の言葉に万代が気がつく。
「俺、知っているよ。校門横の花壇の世話、おまえがしてるってこと」
 朔也の優しい口調に、万代は目を見開く。
『万代……?』
 暗い声に戸惑いの色が見える。
『なぜ、どうして、そんなことを』
 万代は朔也の手を振り払い、頭を抱え込む。
『われに同情してくれたではないか。われのこと、わかってくれたではないか』
 万代の中でなにか激しいやり取りが繰り広げられているらしい。あれほど周りにいた怨人はいきなり、姿を消した。
「翠御前。わたしわかったよ」
 いつもの万代の声だった。
「かわいそうって同情を引くのは簡単なのよ。だってわたし、そうやって同情されて桃里さんに助けてもらった」
「あたし、同情じゃなくて!」
「ううん。あれは同情だったのよ。だけどね、同情することは悪いことじゃないのよ」
 万代は柔らかく笑う。
「わたし、翠御前を同情して分かったことがあったの」
 万代はうつむき、言葉を紡ぐ。
「同情でもいいから、だれかにわたしの気持ちを知ってほしかったの。翠御前にもわたしの気持ち、分かってもらったし、それに、桃里さんにも分かってもらえた」
 万代は頬を赤く染めて朔也を見る。
「それに」
 万代が続きの言葉を口にしようとしたその時、万代は急に頭を押さえて苦しみ始めた。
「野尻?」
 朔也はあわてて万代に近寄ろうとするが、万代は急に動きを止めた。ゆっくりと顔をあげる。そこには、先ほどの万代のはにかんだ顔ではなく、恐ろしい顔をした万代が立っていた。
『万代、許さない。われは……許さない!』
 先ほどの暗い声に代わり、そしてまた、どこからか怨人が現れた。
「おまえは誰だ」
 朔也の問いかけに、万代は邪悪な笑みを浮かべる。
『われは翠。醜い女といきなり切り殺された怨み、おぬしらで晴らしてくれるわ!』
 その名前に胡桃は思い出す。夢で聞いた名前だ。見た目が醜いという理由だけでいきなり切り殺された翠御前。あの場面を思い出すだけで、胸が張り裂けそうになる。
「翠御前!」
 胡桃はあまりの切なさとやるせなさに目尻に涙を浮かべながら、怨人を倒していく。
「あたし、あなたの過去を見たの! 確かにあれはひどいと思う。だけどもう、あなたは死んでしまったのよ! あなたを切りつけた男も結局、戦に敗れて死んでしまったの」
 胡桃の叫びに翠御前は首を振る。
『われは死ぬ間際に聞いたのじゃ。われを欲した殿はわれの国へ戦を仕掛ける理由を作れと!』
「翠御前、あなたは勘違いしているわ。あの切りつけた男は殿さまではなかったのよ」
 翠御前が切り殺された後の話を胡桃は毎夜、夢に見ていた。起きるとすっかり忘れていたのだが、今、翠御前の名前を聞いて思い出した。
「下剋上を狙っていた家臣だったの。殿さまも知らなくて、家臣に裏切られ、死ぬ間際にあなたにお詫びを言っていた」
 翠、すまぬ、と。
『家臣だった? 醜女と一目見て罵られ、切りつけられたのじゃぞ!』
 胡桃は一度目を伏せ、それから万代を……翠御前を睨みつける。
「あなたが生前受けてきたことは確かにかわいそうかもしれない。だからって卑屈になったってだれも幸せになれないよ。にっこり笑っていれば、だれも文句は言わない。そうやって自分はかわいそうと卑屈になるからいじめられるのよ」
『おぬしになにが分かる』
「相手のことを否定して、自分のことをかわいそうだって卑屈になっていれば自分は傷つかないものね。自分を分かってもらうためには、まずは相手を受け入れないと」
 相手のことを否定することから始めるのは、楽かもしれない。特に自分と合わないと思った人物であればあるほど、分かろうとしない、相手を否定する方が楽だと思う。
『われはみなに否定されていた』
「だからってあなたまで相手を否定していたら、余計に受け入れてくれないし、分かってもらえないわよ」
『われはだれもが顔をそむけるほど、石を投げつけられるほど醜い見た目だったのじゃ』
 生前の癖なのか、翠御前は顔を伏せ、手で顔を隠す。そのしぐさに、胡桃は心が痛む。胡桃も自分の見た目に対してコンプレックスを持っている。低い鼻に女にしては大きめの口。だけど、大きめの瞳は自分のチャームポイントだとは思っている。
「ひとつくらい、好きな部分があるでしょう?」
 胡桃の言葉は翠御前の逆鱗に触れたらしい。すっかりなりを潜めていたはずの怨人がまたもやどこからか湧いて出てくる。
『おぬしになにが分かるというのじゃ!』
 翠御前の絶叫に合わせ、怨人が胡桃に一気に襲いかかってくる。木刀を振るが、怨人は胡桃の木刀にしがみつき、その重みで切っ先は地面へとつく。怨人は一気に胡桃へと襲いかかる。
「胡桃!」
 胡桃は木刀を片手で持ったまま、反対の腕で自分をかばうように頭を覆い、しゃがみこむ。その上に怨人は次々と乗り、あっという間に怨人に埋め尽くされる。
「胡桃!」
 淳平は怨人の中に埋もれてしまった胡桃を助け出そうと駆け寄るが、他の怨人が鋭い爪を振り上げ、淳平を傷つけようとしてくる。バックステップで淳平は避ける。怨人の隙を見つけ、額に向かってサッカーボールを蹴るように蹴りを入れる。怨人は切ない声をあげ、はじけるようにして消え去る。将司はアスファルトの欠片を拾い、怨人の額に当てていく。怨人はとにかく、額に刺激を受けると消え去るようだ。
 淳平と将司は少しずつ胡桃に近づく。胡桃の上に覆いかぶさっている怨人に対して淳平はでこぴんを食らわせた。すると消え去って行く。胡桃が見えたところで腕を引き、怨人の山から引き上げる。
「胡桃、大丈夫かっ」
 白衣に血がにじんでいる。肌が露出している部分は怨人の鋭い爪で引っ掻かれ、血が出ているが致命傷ではないと知り、淳平は安堵する。
「ありがとう」
 胡桃は座りこみそうになったが、まだまだ怨人が周りを取り囲んでいることを知り、足を踏ん張って立つ。
「あなたはそうやって助けてくれる人がいて、いいわよね」
 万代の声だった。
「よくないわよ! じゃあ、あたしの代わりに怨人退治をしてよ」
 大した傷ではないが、引っ掻かれ身体が痛む。
「こんな気持ちの悪い怨人に押さえつけられて、鋭い爪で身体を切られて、どうしてあたしがこんなことをしないといけないわけっ」
 泣きそうな表情をしている胡桃に淳平と将司はなにも言えなくなる。朔也はなにか言おうと口を開くが、首を振り、口を閉じる。
「あたしだって、あなたみたいに卑屈になってそれですむのなら、そうしたいわよ! だけど怨人を退治できるのはあたしたちだけみたいだし。それに野尻さん、あなたのこと、ほっとけないのよ」
「そんなの、ほっといてよ! どうせわたしなんて」
 せっかく先ほど心を開きそうだったのに、また万代はそうやって卑屈になって心を閉じようとしている。
「心まで醜くならないでよ!」
 胡桃の言葉に、万代の中にいる翠御前は目を見開く。それはいつの日か、一人の青年に言われた言葉。
『確かに君は噂の通り、見た目は醜いかもしれない。だからと言って、心まで醜くなっていいとは思えない。なにも悪いことはしていないのだから、堂々としていればよいのだ』
 その青年がどこのだれかは知らなかったが、翠御前は気がついた。見た目が醜いからと言って、心まで醜くなってはいけないのだ、と。
 その言葉をもらってから、翠御前はむやみにおびえることをやめた。部屋にこもることをやめ、外に出るようにした。醜いと石を投げられることはあったが、自分はなにも悪いことはしていないと堂々としていることにした。石を投げてくる人たちは心が醜い。そうすると不思議なことに、遠巻きに見る人はいたが石を投げつけてくる不届き者はいなくなった。そこに腰入れの話が舞い込んできたのだ。




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