『怨人─オニ─』


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十章・後



     *   *

 朔也は将司とともに楓実のいる病室へと向かった。ドアをノックして開けると、そこは四人部屋で、千真と利華もいた。楓実の後、同じ病院に入院しているという二人の見舞いにも行こうと思っていた朔也は、同時に済ませられることを知って安堵した。
 三人は朔也がお見舞いに来たと聞き、ベッドの上で背筋を伸ばした。
「こんにちは」
 三人ともあちこちに白い包帯を巻いてはいたが、ベッドの上に座れるまでには回復していた。千真の頬に大きなガーゼが貼られているのを見て、その痛々しい姿に朔也は悲しくなる。
 三人は朔也にそんな表情をしてほしくなくて、大丈夫ですからと強がる。
 朔也の後ろから現れた将司を見て、三人はここが病院だということを忘れて黄色い声をあげそうになった。
 将司は今年、蓬莱谷ほうらいや高校に入学したのだが、その容姿のお陰ですでに朔也、九鬼慎一郎に次いで人気があった。木蘭色の柔らかそうな髪の毛にくりっとした焦げ茶色の瞳。思わず守らなくてはと思わせる容姿。そんな二人がそろってお見舞いなんて、けがをしてラッキーだったわと三人は心の中で思った。
「お見舞いに来たのは、確認したいことがあるからだ」
 入室時はにこやかだったというのに、部屋に入り、ドアを閉めた途端に朔也の表情は一変して険しくなる。
「正直に答えてほしい。嘘の返答をした場合は、それなりの処遇を下すからな」
 朔也の脅しに、三人はおびえる。なにを言われるのか見当がつかない三人は、急に小さくなって息を潜めて朔也を見る。
「二年の野尻をいじめていたらしいな」
 朔也はゆっくりと三人を見ている。胡桃から聞いていたのは、楓実が万代をいじめていたということだったが、仲の良さを知った朔也は、もしかして三人がかりでいじめていたのかもしれないと思い、鎌をかけてみることにした。
 三人はというと、どうして朔也がそのことを知っているのか目線で合図をして、同時にいいえと首を振る。
「本当だな? 嘘だった場合はおまえたちは退学処分となるからな」
 朔也にそこまでの権限があるとは思えなかったが、しかし、彼はやる時はやるので退学は無理としても停学はあり得るのではないかという思いが去来する。
 特に受験生の千真は、今の段階で停学になるのはかなりの痛手だ。朔也が志望している学校は内申点もかなり重要だ。それでなくとも学力が足りないと言われている。
「いっ、犬伏くん、ごめんなさい」
 朔也の睨みに耐えかねて口を開いたのは、千真だった。朔也は自分の読みが当たってしまったことに、心中は動揺していた。しかし、そのことを悟られないようにさらに三人をにらみつける。
「あの子、やたらにアタシの目の前に現れるからうっとうしくて、ちょっと脅しただけなのよ」
 本当は長い間いじめていたのだが、千真はとっさに嘘をつく。
「ほらあの子、ちょっと暗くてじめっとしてるじゃない。それで目についちゃって」
 朔也はじっと千真を見つめている。その瞳は、どこに嘘があるのか見極めようとしているようで、千真はだんだんと居心地が悪くなる。
「そっ、そうそう。目の前にいるから、ちょっと邪魔よって」
 楓実が千真を支援するように言葉を紡ぐ。
「落とした物を拾ってあげたのに、お礼を言わないから」
 嘘だった。万代が手に持っているものをわざと落とし、拾わないからと千真が後ろから蹴り、地面に転がして三人で上から踏んづけたことがあった。その時、その場にあった石におでこをぶつけ、なん針か縫うほどのけがを負わせていた。その時はさすがに怖くなってしばらく手を出さなかった。
「髪の毛は?」
 朔也の目は完全に座っていた。今の三人の言葉で朔也は確証してしまった。まさか三人でよってたかっていじめていたとはと、朔也は怒りに支配されていた。
「むっ、虫がついていたから」
「むちゃくちゃに切るほど虫がついていたのか?」
 三人の言い訳に朔也は今にも詰め寄っていきそうで、将司はあわてて朔也を止める。
「朔也、一応相手はけが人だし!」
 これ以上聞いたとしても、三人が正直に答えるとは思えなかった。それよりも、今はその証言だけで充分なような気がした。
「しっ、失礼しました!」
 将司は朔也を抱えるようにして、病室を後にする。病院を出てから朔也は将司を振り払う。
「どうして止めたんだ」
 朔也の怒ったような口調に、将司は首をすくめる。
「本人たちの口からきちんとした理由を聞かないと」
 もう一度、病院の中に入ろうとしていたのを将司は必死に止める。
「怒る気持ちは分かるけど、駄目だよ。脅して聞いたところであの子たちがやったことと一緒になっちゃうだろう」
 将司に言われ、朔也は鼻を鳴らして歩きはじめる。将司はその後ろを追いかける。
「胡桃の話によれば、野尻はいじめられていたらしいな」
 しばらく歩いて、ようやく落ち着いたらしい朔也は将司にそう話しかける。
「そうみたい。あの様子だと、三人が日常的にいじめを行っていたと見てもよさそうだね」
 将司は悔しそうに唇を噛みながら口にする。
「僕、水戸黄門のような勧善懲悪の話が好きなんだけど、世の中ってそう簡単に善だの悪だのと分けることができないよね」
 朔也は歩きながら将司の話を聞く。
「水戸黄門なら、あの三人は悪い奴で、野尻さんはいじめられているヒロインなんだろう。でもあの三人にも三人なりの理由があって、もちろん、いじめることはよくないことだけど」
 将司は朔也の憤りも分かっている。そうやってきちんと相手に対して怒りをぶつけられるのはある意味、すごいことだと思ってはいる。
「そうだな。ありがとう、止めてくれて」
 朔也は将司に苦笑を返す。
「ついカッとして」
 冷静沈着というイメージでいたが、意外に熱い部分を持っているのを知り、将司は親近感が湧いた。
「じゃあ俺、ここでこっちに曲がるから。気をつけて帰れよ」
「そちらも気をつけて」
 二人は手を振り、それぞれ家路へとついた。

     *

 お風呂に入り、今後どうすればいいのだろうと部屋でぼんやりしているところに突然、なにかが震える音が響き渡った。胡桃は文字通り飛び上がった。それが携帯電話へのメール着信だと気がつき、大きく息を吐いて取り出す。淳平から返ってきた鈴が鳴る。
 携帯電話を開き、差出人を見ると朔也からだ。お見舞いに行った報告だった。胡桃の予想を上回った状況で、三人でいじめていたという証言を得られたと書かれていた。胡桃は朔也のメール内容に憤りを感じていた。
 どうして三人がかりで寄ってたかっていじめるのか。信じられなくて胡桃はいらいらとする。それに呼応するように携帯電話についている鈴が鳴る。
 なにか返事を返そうと思ったが、なにを書いても三人を責める内容にしかならなくて、胡桃はメールを返すことをやめた。
 結局、万代を助けたと思ったのに、助けたことになっていなかった。そればかりか、事態はさらに深刻になっていた。胡桃は悔しくて、寝付けなくなってしまった。
 気持ちを落ち着かせるために、胡桃はキッチンへと向かう。だれもいないと思っていたら、そこには壮一がいた。
「どうしたんだい、胡桃」
 壮一は喉が渇いていたのか、コップに水を注いで飲んでいた。胡桃も水が飲みたくてコップを取り出して水を入れて飲む。それで少し落ち着いた。
「お父さん、クラスメイトがいじめられているのを知ったら、どうする?」
 その質問に壮一は胡桃を見つめ、目を細めて微笑む。
「父さんならきっと、見て見ない振りをするな」
「どうして?」
 助けるという答えが返ってくると思っていた胡桃は、意外な返答に壮一を見る。
「助けるのも重要だと思うよ。知って見て見ぬふりをするのもかなり辛い。でも、そこで助けたからっていじめがなくなるとは思えない」
 壮一は胡桃に椅子に座るように促す。胡桃は水の入ったコップを手に、ダイニングテーブルの自分の席に座る。
「いじめはよくないよ、確かに。いじめる方が悪いというけど……はたして、いじめる側にだけ責任があるのだろうか」
 壮一の言葉に胡桃の目の前は赤くなったように感じた。
「だって、いじめられる方はなにかしたっていうの?」
「いじめる側だって意味もなくいじめるとは思えないよ」
 まさか壮一がいじめる側の擁護に回るとは思わなかった。
「なんで? いじめる側が悪いでしょう」
「そうだね。胡桃の言う通り、いじめるのはよくないし、いじめる側が悪いのは確かだ。だけど、いじめられている側になにも問題がないかというと、一概にそうとは言えないよね」
 胡桃は反論できなくて黙ってしまった。
「反論できないということは、胡桃もいじめられる側にも問題がある、と認識しているということだよね」
 肯定も否定もできなくて、胡桃はうつむく。
「いじめなんて、最初は些細な理由だと思うよ。ちょっと見た目が気に食わない、いらっとして目の前にいたからいじめてみたとか。そういうくだらない理由で始まったいじめが相手を自殺においやるほどにまで発展するなんて、一方的にいじめる方が悪いというのはちょっと違うと思うんだ」
「でも」
「胡桃の言いたいことは分かるよ。そこまで至るには長い時間が必要だよね? 周りが気がつかないのが悪いとも思うし、いじめられて辛いのなら周りに相談する、相手にやめてという働きかけが大切だよね。そこで我慢をするからいけないと思うんだ」
 壮一はそう言うが、胡桃はそれができたらいじめなんてないじゃない、と思う。
「でも、気が弱かったり助けを求められる人がいなかったり、自分の主張が受け入れられないということだって」
「そうだね。そういう可能性もある」
 壮一の言っていることが分からなくて、胡桃は顔を見た。
「父さんはいじめられている子が悪いと言っているわけではないよ。いじめている側が一番悪いと思っている。だけど、いじめられている人も自分の置かれている状況を打破しようとしないのは一種の甘え、だと思わないかい」
「それは強くて方法を知っている人の言い分でしかないよ」
「そうかな? そう思うのなら、強くなろうと思わないといけないと父さんは思うんだけど」
「じゃあ、あたしが助けたのは間違いだったのかな」
 胡桃は半分ほど水が入っているコップを見つめながらつぶやく。
「間違いだったとは思わないよ」
 壮一の言葉に胡桃は瞳を伏せる。
「でも、助けたと思ったけど、それは余計にいじめをひどくするきっかけでしかなかった」
 胡桃のつぶやきに壮一は表情を引き締め、
「胡桃が助けた、そのきっかけをいじめられていた子がチャンスととらえて自分で変えていこうとしなかったからいけないんじゃないかな」
 胡桃は泣きそうな表情をしている。
「いじめの問題は、とても難しいよ。いじめる側が一番悪い。だけど、いじめられる側にも問題があるからいじめられると思っている。だけど、人間はだれしも強いわけじゃない」
 壮一は悲しそうな表情でぽつりとつぶやく。
「父さんは友だちをいじめで亡くしたんだよ。いじめられていることに全然気がつかなくて。だけど、彼が自殺をしてから思い返せば、たくさんのサインを出していたことに気がついた。そのことに気がついてあげられなくて、自分を責めた。いじめていた相手も責めたよ。『どうしていじめたんだ』ってね。父さんのその問いに、いじめていた相手がこう返してきたんだ」
 そこで壮一は一度口を閉じ、残りの水を飲み干す。
「『オレたちばかりを責めるけど、どうして死んだあいつに対して怒らないんだ。嫌なら嫌って意志表示をすればいいじゃないか! 自殺されてオレたちが一番つらいんだ』ってね」
「それって」
「うん、そうだね。いじめておいてそんなことを言うなんて、ただの逃げだよね。でも、それだけ相手も傷ついたんだ」
 結局、どちらがいじめたんだろうね。壮一はそう呟き、椅子から立ち上がる。
「人間、死んだらそれまでだよ。そうやって死んで逃げることが楽になれる道だとは思わない。結局、相手を傷つけるだけでしかないからね。それでいいと思うのならそうすればいい。だけどだれも幸せにならないし、きっと、そうやって死んでも楽になれない。そんな気持ちが怨人を産み出すんだと思うよ」
 壮一は水を飲んでいたコップを軽くすすいで食器置きに入れて部屋へ戻ろうとした。
「そういえば、お父さん。昨日、どこで切られたの?」
 突然の質問に壮一は面食らいつつ、切られる前の話からする。
「あたしと同じクラスの子の家?」
「確か線路近くの野尻さんって家だったと思う」
 胡桃は驚いて壮一を見る。欠けていたピースが音を立ててはまったような感覚。
「ありがとう!」
 胡桃は水を飲み干し、壮一と同じようにコップを洗ってあわただしく部屋へと戻る。壮一は疑問に思いつつも、寝室へと戻って行った。




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