『怨人─オニ─』


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十章・前



 お見舞いに行くと言って一人でお店を出た朔也を、将司はすぐ追いかけた。
「朔也さん!」
 後ろから声をかけられ、朔也は振りかえる。柔らかそうな木蘭色の髪をふわふわとなびかせながら走ってきた将司を見て、朔也は足を止める。
「さんづけなんかするな」
「でも」
「朔也でいい」
「はい」
 しょんぼりとうつむく将司に、朔也はどうしたんだと聞く。
「僕たち、怨人に狙われてるんでしょう? 一人だと危険ですよ」
「それでおまえ、追いかけてきたのか」
「それもありますけど、その」
 朔也は将司と並んで三人が入院している病院へと歩いて向かう。
「僕、自信がないんです。それにいきなりそんなこと言われても」
 将司は戸惑っているらしい。胡桃がいる手前、なんとなくあれ以上弱音が吐けなかったようだが、朔也には素直な気持ちを吐露している。
「俺だって戸惑っている。できることなら逃げたい。将司の気持ち、よくわかる」
 気持ちを肯定され、将司は少しだけ気持ちが軽くなる。
「だけど、こんなことを言うと怒られるかもしれないけど、ちょっとわくわくしているのも事実なんだ」
 将司は朔也を横目で見る。
「俺、今年は受験生だろう。受験勉強をして、志望校に入れるように頑張ってはいる。先生はおまえの成績なら問題ないとは言ってくれているけど、自信がない。そこに、おまえは怨人退治ができる選ばれた人間なんだ──そんなこと、言われてみろ。いい逃げ口実だと思わないか」
 朔也に言われ、将司はどう答えていいのか分からない。
「おまえは怨人退治をしなくてはならない、そういう運命の元に産まれてきたんだ。これで受験を失敗しても、自分の中ではそういう運命だから仕方がなかったんだという言い訳ができる」
 朔也は力なく笑っている。
「俺は卑怯なんだ」
「そんなことないよ!」
「将司の反応が一番、正しいんだよ。胡桃も淳平も耐えて、我慢しているんだ」
 胡桃は気丈に振るまっていたが、心の中ではとても複雑な気持ちを抱えているのだろう。いつもならもう少し明るくていろいろと意見を言ってくるのに、今日は妙におとなしかった。
「俺たちは胡桃をサポートする。なんたって、彼女が桃太郎だからな」
 胡桃のポニーテール姿を思い出す。
「絵本で見た桃太郎の姿そっくりじゃないか、あれは。それに、犬、猿、雉」
 朔也は笑っているが、将司は首をかしげている。
「僕、実は桃太郎って知らないんです」
「知らない?」
「母がイギリス人なのでマザーグースはよく聞かされましたが、日本の昔話には疎いんです」
 朔也は将司に桃太郎をかいつまんで説明する。
「鬼退治」
「そう。まさしく今の状態だよ」
 話を聞いてようやく納得したのか、将司は先ほどより少し明るい表情をしている。
「じゃあ、僕たちは現代によみがえった桃太郎とそのお供たち、ということなんですね」
「そういうことだ」
「僕、やります!」
 いきなり瞳を輝かせる将司に、朔也が戸惑う。
「僕、水戸黄門みたいな勧善懲悪ものが大好きなんです」
 桃太郎は勧善懲悪物の典型だ。人々から大切な財産を奪って行った「鬼」から金銀財宝を奪い返して持ち主に返却するという話なのだ。
「怖いけど、やります」
 将司はこぶしを握り、意気込む。
 その途端、二人は同時に異変を感じた。朔也はあの妙な臭いを感じて、将司は目の奥から痛みを感じた。耐えられずしゃがみこんで目を押さえる。
「将司、道路の端に寄れ」
 道をふさぐような形で将司はしゃがみこんでいる。道の真ん中に無防備にしゃがみこまれるといきなり背中から襲われた時に対応できない。朔也はとっさに判断して、あまりのひどい臭いをがまんしながら将司を壁際に押しやる。
「どこにいるんだ、出てこい!」
 朔也の問いかけに、ガラスを引っ掻いたような不快な声が聞こえ、上からあの緑色の怨人が降ってきた。目の前に現れたことで一気に臭いがひどくなる。朔也は額に脂汗がにじんできているのに気がついた。胃の中の物を一気にひっくり返してしまいそうなほどの不快な臭いが鼻をつく。朔也は立っているのがやっとだ。
 朔也は背後をとられないようにとバックして、壁に背を当てたその時、先ほど胡桃からもらった黒い鈴の入ったお守りが清涼な音を立てる。朔也が怨人に追われていた時、淳平が鈴を振りまわしていたのを思い出した。片手で鼻を押さえ、携帯電話を取り出して鈴を振りまわす。その音に気がついた将司も青色のお守りを取り出し、一緒に振ってくれている。
 その音に少しだけ不快な症状が軽くなる。将司は指の隙間から周りを見る。瞳にはあの緑色の奇妙な姿が映る。将司はあまりの気持ち悪い姿に、喉の奥で悲鳴をあげた。
 涼やかな鈴の音に怨人は悲しい声をあげて、気配を消した。途端に二人は何事もなかったかのように臭いと目の痛みが消えた。
「ぼ、僕もあの気持ちが悪いの、見ました」
 少し見えただけで気持ちが悪くて仕方がなかった。宝物庫内で見て聞いていた容姿そのままで、あの張り付いた皮膚の表面のぬめり具合にぞっとした。
「あれがいろんな人を傷つけてきた『怨人』なんだ」
 将司は先ほど怨人退治をすると心に決めたものの、あんな気持ちの悪い生き物と対峙しなくてはならないのかと思うと、やっぱり逃げたい気持ちの方が大きくなってきた。
「あれを胡桃一人で?」
「ああ、そうだ。あいつは震えながらでも竹刀一本でやっつけていた」
 将司は絵では気持ちの悪い姿を見ていたが、実物を見るまでいまいち実感が湧かなかった。しかし実際見て、あれと正面から向き合って、しかも倒したという胡桃に対して尊敬の念と、そんな彼女をサポートしなければいけないという強い思いが将司の中で新たに産まれた。
「僕、あれは気持ちが悪いですけど、胡桃が頑張ってるのに、逃げていたら駄目なんですよね」
「ああ、そうだな」
 しゃがみこんでいる将司の手をとり、朔也は立ちあがらせる。
「さて、病院まであと少しだ。行こう」
「はい!」
 二人は病院へと向かって行った。

     *

 入院している楓実は、千真と利華と同室だった。三人が同室にしてほしいと希望したからだ。三人はずっと、布団の中で震えていた。
「ねえ……あの緑色の変な生き物はなんだったの?」
 楓実は恐る恐る布団の中から顔だけ出し、同室にいる千真と利華へと問いかけた。
「そ……そんなの、わかんないわよ!」
 千真は吐き捨てるようにそう言い、身体を丸め、抱きしめた。
 この三人の中でリーダーは年長者である千真だが、このいじめに関しては、当初は楓実が率先して行っていた。同じクラスで見た目が気に入らなかったからという理由だけで始めた、いじめ。だけど、一度始めてしまったものを止めることが出来ずにいた。
 ある日いきなり、いい子ぶって「止めよう」と言ったら……今度はきっと、自分がいじめられてしまう。楓実から始めてしまったものではあったが、止める術を知らずにいた。
 千真がいじめるのをただ見ているわけにもいかず、止めることも出来ずに一緒になっていじめていた。
「あ……あの変な生き物、あいつにちょっと似てなかった?」
 利華は思ったことをふと口にしたようだ。
「あいつってだれよ」
 と千真は質問をして、すぐにだれか分かったのか、顔をしかめた。
「あの上目遣いの目。気持ち悪い見た目。怖がることなんて、ないじゃない!」
「確かに、あの気持ち悪さは一緒よね」
 利華と千真はともに憤慨している。
「そうよね、あんなのに対して、怖がっていたのが馬鹿みたい!」
 いつか天罰が下るかもしれない。楓実はずっと、そんな恐れを抱いていた。あの奇妙な生き物に襲われたとき、楓実はとうとう天罰が下ったのだと思った。これでようやく、このいじめから解放される。楓実は病院のベッドの上で、奇妙な安堵を覚えていた。
 しかし、千真と利華はどうやら考えが違うようだ。このままいけば、退院してからさらにいじめが激化しそうだ。ここで楓実が二人を止めなければならない。始めてしまった責任から、楓実は二人を止めなくてはならないという妙な使命感に燃えた。再びこんな痛い思いをしたくない、というのもあった。楓実は決意を持って、声を上げた。
「ねえ……もう、あの人に関わるの、止めない?」
 楓実はかなりの勇気を振り絞って口にしたが、思っている以上にその声は震えていた。
「なによ。今更いい子ぶるわけ?」
「ちっ、違うわよ! そ、そんなんじゃなくて」
 楓実は千真と利華に視線を向けられ、うつむく。
「あんなことをしていたってばれたら……。あの人のせいで、自分たちの人生を棒に振るのも、馬鹿らしくない?」
 楓実の言葉に、千真は考え込んだようだ。
「ワタシはどっちでもいいよ」
 利華はいつものように、どっちつかずな発言をしてきた。
 利華は主体性というものを持ち合わせていなかった。いつも言われるがまま、なされるがままに千真と楓実についてきていた。利華の答えは想定していたものだった。千真さえ「止める」と言えば、このいじめから解放される。
 千真が口を開きかけた時、部屋の扉がノックされた。





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