『怨人─オニ─』


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九章・後



 四人は宝物庫前から喫茶店へと移動する。
「いらっしゃいませ」
 明枝の朗らかな声とかぐわしいコーヒーの香りに迎えられた四人は、胡桃の案内で入ってすぐの少し奥まった場所へ座る。そこは普段は壮一がお昼を取ったりする場所だ。そのテーブル席の上にはご丁寧に「予約席」と書かれたプレートが置かれている。胡桃はそのプレートをテーブルから取り、ソファの端に置く。
 窓際の奥に朔也、その横に将司、朔也の向かい側に淳平、そしてその横に胡桃が座る。
 喫茶店『HOME』は胡桃の母・明枝が経営するお店だ。神社の境内の一部を切り開いて胡桃たちが住んでいるマンションを建てるときに一緒に建てた。開店当初はお客が来なくて閑古鳥が鳴いていたのだが、今は明枝の入れるコーヒーと手作りプリンが口コミで広まり、大繁盛とまではいかないが、いつ行ってもお客さんがいるという程度には繁盛している。店内自体はあまり広くないが、最大で二十名はお客を入れることができる。神社に来た参拝客が寄ったりもするので、正月や七五三などのイベント時にはかなり混雑する。
「飲み物はどうする?」
 注文を取りに来た明枝に、胡桃は、
「いつもの!」
 淳平は慣れているようで、
「コーヒー」
「淳平くんはミルク多めよね」
 明枝は、淳平がうなずくのを確認してから朔也と将司を見る。
「犬伏先生のとこのお兄ちゃんと雉子波さんちの末っ子くんか」
 四人を見て、明枝は苦笑している。
「同じ高校という以外、共通点を見つけられないわね。二人とも、コーヒーでよいかしら?」
 朔也と将司はどうすればいいのか分からず迷っていて、明枝の言葉に二人は首を縦に振る。
「ところで」
 店内は今、それほど客はいなかった。それでも胡桃はできるだけ声を小さくして話し始める。
「生徒は今のところ、三人だけなの?」
「俺が聞いた話ではそう」
 朔也の返事に、胡桃は首をひねる。そこになにか理由があるのだろうか。
「蓬莱谷関係者以外に襲われた人は?」
「モモのお父さん以外は今のところいない」
 明枝がトレイに品物を乗せてやってきた。
「はい、コーヒーね。で、これが胡桃の」
 白い陶器のコーヒーカップを三つ、テーブルに置く。胡桃のカップだけ彼女専用で、そこには並々とミルクティが注がれている。
「あと、これは試作品。つまんでみて、あとで感想を聞かせて」
 大皿に大量のクッキーが乗せられているものを真ん中に置く。
「ごゆっくり」
 明枝は調理場へと戻っていった。
「僕はどうすれば」
 小声でつぶやく将司に胡桃はあごに指を当て、小首をかしげている。
「うん、どうすればいいんだろうね」
 胡桃の言葉に将司はきょとんとする。
「あたしだって、いきなりあんなこと言われて戸惑ってるよ。だって、あたしはあなたたち三人と違って、怨人が近くにいるからってどこかが痛くなるわけではない。だけど、何度もあの変な気持ちの悪い生き物に遭遇している。それに、倒しちゃったわけじゃない?」
 胡桃は明枝が「試作品」と言ったクッキーを口に放り込む。ほんわりと甘くて優しい味が口に広がる。
「クッキー、美味しいよ」
 胡桃はにっこりと笑って三人に食べるように促す。三人が手を伸ばして食べ始めたのを見て、胡桃は言葉を紡ぐ。
「よくわかんないけどやってみようよ。なにがなんだかわからないけど、あたしたちは怨人に遭遇したけどこうして無事なんだし。それに」
 胡桃はミルクティを口に含み、
「あたしたちと同じ学校の人たちが傷ついて、しかもお父さんまであんなことになった。あたしたちでどうにかできるというのなら、やってやろうじゃないの」
 淳平は胡桃の言葉を聞き、正義感の強い彼女らしいなと心の中で苦笑する。
「だけど、それをするにしてもどうすれば?」
「さっきの話の続きになるけど、怨人が出る場所が特定できればなぁ」
 胡桃は調理場の前にあるレジカウンターの下から紙を取り出してきた。
「犬伏先輩、襲われた場所は分かりますか?」
 明枝作の試作クッキーを無言で食べていた朔也はいきなり声をかけられ、喉に詰まらせる。
「あ、ごめんなさい」
 コーヒーを飲み、朔也は少し涙目で胡桃を見る。
「全部は分からないが」
 胡桃から紙とペンを受け取り、蓬郷とまごう地区の地図を書く。怨人に襲われたところにバツを入れていく。
 この蓬郷地区は、東西に線路が走っている。南北に大きな道路が走り、線路と道路が混じわる場所に駅がある。線路と道路で地区が分断されている。胡桃たちが住む場所は住宅地区、線路を隔てた向こう側は胡桃と朔也が通う道場などはあるがここも住宅地区、道路を隔てた向こう側は小学校から高校まであるので学校地区、線路を挟んで向こう側は高級住宅地区となっていた。

蓬郷地区手描き地図

「思ったよりばらばらだなぁ」
 四人で地図を覗き込む。襲われたという場所は学校周辺から駅周り、胡桃たちの住んでいる住宅街とばらばらで、なにか特徴があるように見えない。
「こうやって改めて地図を書いてみると、線路の向こう側はあまりないな」
「本当だ。どうしてだろう?」
 線路の向こう側は胡桃と朔也が初めて怨人に遭遇したのと朔也が追いかけられていた以外は印がないようだった。
「あたしと犬伏先輩が遭遇したのはここでしょ、淳平とはここでしょ、将司くんとはここで」
 胡桃は退治した場所を丸印でつけていく。しかし、なにか特徴があるように見えない。
「困ったなぁ」
 朔也は手に持ったペンで頭を軽く叩く。
「でも確かにばらばらだけど、こっち側が妙に多くない?」
 胡桃たちが住む住宅地区を指さして三人を見る。
「高級住宅地に至ってはゼロ。学校地区は少しあるな」
 しかし、圧倒的に胡桃たちのいる地区が多いようだ。
「これは襲われた人の住んでいる地域の問題なのかな?」
「そうかもしれないな。襲われた人間すべて、住宅地区に住んでいる。学校周辺で襲われたのは、先生と佐々木か」
 朔也は胡桃と同じクラスの佐々木楓実の家を地図に書き込む。
「吉田先輩と山崎さんは?」
 吉田千真と山崎利華の家を書きこむと、そこは住宅地区だった。
「これは無差別に襲っているわけではなくてターゲットを絞って襲っているということを意味していないか?」
 朔也の発言に再度、手書きの地図を見る。その場所だから怨人に襲われたというよりは、襲われた人がそこにいたからと見ると。
「吉田は塾帰りに襲われたらしい」
「他の人は?」
「佐々木と山崎は学校帰りに襲われた。二人は特にクラブ活動はしていない」
 先生たちも見回りをしているところで怨人と遭遇したようだ。
「あれ?」
 地図を見ていた将司が声を上げる。
「犬伏先輩、佐々木先輩の襲われた場所ってここで合ってるんですか?」
 楓実の家は学校からほど近いところにあり、胡桃たちの住む住宅地区ではない学校地区にある。朔也がバツ印をつけた楓実の襲われたとされる場所は、学校側ではなく、家から少し離れた向こう側のようだ。
「そこで襲われたと聞いた」
 山崎利華が襲われたという場所を見ると、胡桃たちの住むマンションのすぐ近くだった。
「山崎さんも変な場所で襲われてますよね」
「言われてみれば」
 救急車で運ばれる時、制服姿だったのですぐにどこの学校か分かったという話も出て来ているらしいので、学校帰りだったのは間違いないだろう。
「しかし、どうしてこの三人が襲われたんだろうな」
 朔也の疑問に、胡桃は急に声を上げた。なぜかふと、とある人物が脳裏に浮かんだのだ。それは、勘だったのかもしれない。
「どうした?」
 口を押さえて真っ青になっている胡桃に、朔也はいぶかしく声をかける。
「……推測でしかないし、そうではないと願いたいんだけど」
 と前置きをしてから胡桃は口を開く。
「あたしのクラスに野尻万代って子がいるんだけど……淳平は知ってる?」
 胡桃に急に話を振られた淳平は少し考え、陰気な顔をした少女を思い出した。眼鏡越しに周りをうかがうようなおどおどした瞳。なにをこの人はおびえているのだろうかと見かける度に疑問に思っていた。
「あいつがどうしたんだ?」
「襲われたっていう佐々木さん、野尻さんのことをいじめていたの」
 いじめという言葉に朔也の眉が反応する。
「いじめ?」
 朔也の険しい表情に胡桃は少し、口ごもりながらも続きを話す。
「数日前の放課後、髪の毛がぐちゃぐちゃになった野尻さんを見かけたの」
 胡桃は悔しそうに下唇を噛む。
「掃除が終わって道場に向かおうとしていたところに野尻さんが教室に飛び込んできて、あまりにもひどい格好をしていたから声をかけたんだけど……かばんを持ってすぐに出て行ったから、追いかけなかった」
 両手を握りしめ、膝の上に置いてうなだれる。
「あたし、自分のことしか考えてなくて、野尻さんのことを気にしつつも追いかけることもしないでそのまま道場に……。あの時、追いかけて話を聞いてあげていたら」
 胡桃は万代の様子を思い出して責任を感じているようだ。
「野尻さんの髪の毛がぐちゃぐちゃにされた後に佐々木さんは怨人に襲われたし……その」
 胡桃は言葉尻を濁したが、朔也は胡桃が言いたかった言葉をはっきりと口にした。
「モモがそう思う気持ちはよく分かる。だけど、野尻は人を襲うようなヤツか? 吉田と山崎はどうして襲われた?」
 胡桃は朔也に聞かれ、首を振る。
「佐々木たち三人の証言から、怨人に襲われたのはほぼ間違いないだろう。野尻が襲ったわけではない。襲ったのは怨人だ。その怨人を人間が操れるとは思えない。だから、たまたまだ」
 朔也の言うことはもっともだ。その上、教師たちも状況的に怨人に襲われたと見てもよいし、なんの接点のない壮一も怨人に襲われているのだ。それにと朔也は続ける。
「佐々木が野尻のことをいじめていたというのが事実なら、それはそれで問題だ」
 怨人の問題でも頭が痛いのにさらにはいじめかと、朔也は困ったかのようにため息をつく。
「そう、だよね。あたし、一瞬でもクラスメイトを疑っちゃった」
 朔也に指摘され、根拠のないのに万代を疑ってしまった胡桃は、自己嫌悪に陥る。落ち込んでさらにうなだれている胡桃の頬を、隣に座っていた淳平が人差し指でつつく。
「おいこら、おまえが落ち込むな。そんなガラじゃないだろう」
「だって」
「オレだって同じこと、思ったよ。あいつ、こう言ったらなんだけど、暗いからその雰囲気を嫌っているヤツもいる。いじめられているらしいという噂も聞いたことがある。だけど胡桃、おまえはあいつを助けたんだろう?」
 淳平が万代を助けたということを知っていたことに驚いた胡桃は、顔を上げる。
「でも、まだ陰でいじめられていた」
 胡桃はもういじめられていないと安心していたのだ。万代は変わらずに学校に来ていたし、周りの人たちは彼女のことを遠慮がちに見ていたけど必要最低限のことは話をしていた。だからもう、大丈夫だと思っていた。だけどそれは、胡桃が知らなかっただけで実は陰では今までとは比にならないいじめを受けていたのかもしれない。それはあのひどく切られた髪の毛が物語っていた。
「あたしがやったことは、余計なお世話、だったのかな」
 朔也は腕を組み、目を閉じて胡桃の話を聞いていた。胡桃の問いに目を開けて、
「いや。間違っていない。間違っているのは、いじめている側だ」
 朔也はあんなに山のようにあったはずの残り少なくなったクッキーを口に入れ、
「俺、いじめていたという佐々木の見舞いに行って、話を聞いてくる」
 コーヒーも飲み、立ち上がる。通路側にいた将司はあわてて立ち上がる。
「あ、先輩」
 胡桃は渡そうと思っていた父の作ってくれた鈴を渡す。
「これ、怨人避けに」
 胡桃は少し頬が赤くなるのを自覚しつつ、朔也に渡す。
「これは?」
「怨人は鈴の音が苦手みたいだから。これで父も助かったから、持っていてください」
「ありがとう」
 朔也は素直に受け取り、すぐに携帯電話のストラップに通す。
「そうだ。おまえたちの番号とアドレス、教えてくれないか」
 淳平と将司はさっそく朔也と番号交換をしている。胡桃も将司と交換した。
「俺のことは朔也でいいから。犬伏先輩と校外で言われるとなんかむずむずする」
「あたしも胡桃でいいから」
「オレは淳平で」
「僕は将司と呼んでください」
 朔也は襲われたという三人に見舞いがてら事情聴取してくるとレジへと向かった。朔也は明枝にクッキーの感想を伝えながらお会計をしている。
「あなた、なかなかの男前ね。おばさん、いい男は大歓迎よ。遠慮せず、また来てね」
 明枝は朔也にウインクしている。壮一が見たら「またか」と頭を抱えていたことだろう。朔也は困ったように頭をかき、ごちそうさまと店を出て行った。
「そうだ、これ」
 朔也が抜け、三人になったところで淳平は思い出す。携帯電話を取り出し、昨日借りていた鈴をはずして胡桃に返す。
「ありがとう、助かったよ」
「なにかあったんですか?」
 将司は胡桃と淳平を見ている。
「昨日、朔也が怨人に追われていて、淳平が助けたらしいのよ」
「それなら一人で行かせて危なくないですか?」
「そう言われてみれば」
 将司は立ち上がり、店の奥にいる明枝に向かって
「ごちそうさま。クッキー、美味しかったです。お会計は次回!」
 と叫んで店を飛び出していった。
「あたしはお父さんの仕事の手伝いをするけど、淳平はどうする?」
「家に戻って勉強するよ」
「淳平が勉強?」
 胡桃の認識は淳平は勉強嫌いと思っていたので、意外なセリフにおののいている。
「ちょっと……な」
 淳平は頭をかきながら立ちあがる。
「おばさん、ごちそうさま」
 淳平はテーブルの上のカップなどを空になったクッキーの入っていた大皿に乗せて調理場へと持っていく。そこで二・三言、なにか話をしているようだった。
 胡桃は奥に聞こえるように「また後で来るね」と言ってお店を出た。




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