『怨人─オニ─』


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六章・後



 マンションの外壁にいたことを話そうとしたら、明枝は嫌な顔をして席を立った。明枝が台所に立って食器を洗い始めたのを確認して、胡桃は小さな声で壮一に先ほど見たことを話す。
「ふむ」
 壮一は腕を組み、なにかを考えているようだ。
 ちなみに今は、宮司服から着替えて、グレイのスウェットを着ている。普段着だととても宮司をしているようには見えない。スーツを着ていたら会社勤めのサラリーマンのように見える。
「泥棒よけのために設置していた鈴の音を聞いておびえたように消えた、か」
「過去二回、『怨人』は鈴の音におびえていたなあ、そういえば」
「鈴の音、か」
「うん。鈴の音の後に、額になにか見えて……」
「額に?」
「うん。あ、だけど、さっきは見えなかったな、額のなにかわかんないもの」
 なんでだろう、と胡桃は首をひねっている。
「この件に関しては、もう少し宝物庫の古文書を漁ってみるよ」
「お父さん、読めるの?」
「読めるよ。宮司になるために大学に通っていたからね」
「宮司になるのに大学に行かないといけないの?」
「いけないということはないけど、神職の資格を取得するために大学に行ったよ」
 胡桃はてっきり世襲制だと思っていたので驚きだった。
「そこで母さんと出逢ったんだよなぁ」
 初めて聞く両親の出逢いの話に胡桃はうんうんそれで、と身を乗り出して聞く。胡桃も男勝りと言っても年頃の女の子、である。あこがれの先輩がいるくらいだから、そういう恋愛話は基本は好きである。
「母さんは神社の娘なのに、とにかくなにもかもそういうことが疎くてね」
「えー、意外! お母さんってオカルト話が苦手なのに、なんでお父さんと結婚したんだろうって思ってた。そういう話が駄目ならお父さんと結婚しなければいいのに、と思ったくらいで」
 胡桃の言葉に、壮一は意外そうな表情で胡桃を見る。
「あれ、胡桃は知らなかった? 実は父さん、入り婿だってこと」
 初めて聞く話に、胡桃は目を点にして壮一を見る。
「父さんは昔からおとぎ話や神社仏閣が好きで、それが高じて神道学科に進んで、そこで母さんと出逢って結婚したんだよ」
 予想外な話に、胡桃は目をぱちくりさせた。それでようやく、明枝はオカルトが苦手なのにどうして神社の宮司の嫁なんかをやっているのかが分かった。
「桃里家は女系のようでね。母さんも、胡桃のお祖母さんも婿を迎えたみたいだし、胡桃もそのうち、だれかいい人を見つけてあの神社を継いでほしいよ」
 まったく今までそういうそぶりを見せなかったので、壮一に言われてどう返事をしていいのか分からない。
「あの、あたしが継ぐ、じゃ駄目なの?」
 神社を継ぐ人イコール結婚相手を探せと唐突に言われ、胡桃はかなり戸惑っている。
「胡桃が宮司になって継いでくれるのならそれはそれで歓迎だけど」
 壮一は組んでいた腕を反対にしてうなっている。
「胡桃は宮司になりたいの?」
 胡桃は壮一と同じように腕を組んで悩んでいる。
「お父さんが宮司になれ、というのならなってもいいかなぁ」
 胡桃の答えに、壮一はダイニングテーブルを叩く。今まで荒っぽいことをした覚えがあまりない壮一だったので胡桃は驚く。食器を洗っていた明枝も何事かと水を止めて壮一を見ている。
「父さんは胡桃をそんな自主性のない子に育てた覚えはない」
 明枝は苦笑して、片づけを再開させる。
「胡桃は将来、なにになりたい?」
 壮一に突然質問され、胡桃は戸惑う。来年は高校三年生だ。まだ二年生になったばかりだが、この先の進路をある程度決めておかなくてはならない年頃だという自覚はある。将来、自分がどうしたいのかという明確なビジョンは胡桃の中にはなにもなかった。
 なんとなく周りに流されるようなぼんやりとした未来像はそれなりにはあった。自分の学力に合った大学を見つけて受験をして、大学に行って適当にアルバイトをして──といっても神社のことをさせられるのだろうけど──就職活動をしてどこかの会社に入れればいいか、くらいにしか思っていなかった。だから壮一に将来は「なにに」なりたい、と聞かれて困った。
 幼稚園の頃は胡桃にもそれなりに夢はあった。といっても、その頃の女の子の大半が夢を見たりあこがれたりする「お花屋さん」だとか「看護師」だったりするのだが、現実を知ることにより、夢を見られなくなっていた。
「分からない」
 答えられなくて、胡桃はうつむく。壮一は頬を緩めてお茶をすすってから口を開く。
「もちろん、胡桃が父さんの跡を継いで宮司になってくれるのが一番うれしいよ。だけどそれは胡桃がやりたいことではなかったら、苦痛でしかないだろう?」
 やりたくないことを無理矢理やらなければいけない苦痛、というのはわかる。
「そろそろ進路を考えないといけないのは確かだけど、今日の明日で決めないといけないことではないから。ゆっくりでいいから胡桃自身が考えて納得できる答えを見つけるといいよ」
 壮一は微笑んでいる。
「幸いなことに当分、出席停止みたいだし?」
 壮一に言われ、胡桃は唇を尖らせる。
「なんなら、父さんの仕事を手伝ってみるかい? 宮司とはどういったものか、知ることができていい機会だと思うよ」
 休みごとに手伝っているからなんとなくは分かっているけど、知らないことも多い。
「はい、お願いします」
 改まった胡桃の返事に、壮一は笑う。
「いい社会勉強だな」
 その言葉に、落ち込んでいた気持ちが少しだけ浮上した。胡桃はそっと、壮一に感謝した。




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