《七》月をナイフに04
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とうとう、この日がやってきたようだ。
アレクは消え去ったアメシストが立っていた場所に視線を向け、大きく息を吐いた。
来ることを恐れていたと同時に、焦がれていた瞬間。
先ほど対峙したアメシストの瞳の奥には、昏い光が見て取れた。
アレクはアメシストが紫水晶になったことで気がついたことがある。
アメシストの中にあんな光を宿らせたのは、自分のせいだということを。
それだけは分かったのだが、それではいつから、アメシストからあんな瞳で見つめられるようになったのだろう。
アレクは思い出そうとしたが、分からなかった。
アメシストが消えてからどれくらい経っただろうか。
パンッと弾けた音がアレクの耳元でしたような気がして、驚き、顔を上げた。
月のない真っ暗な空がアレクの目を刺した。
「ああ……!」
弾けた音がなんだったのか、それでアレクは悟ってしまった。
「あ……あ、ああぁ……」
呻き声を上げ、アレクは首を振りながら、その場に跪いた。
──大切な、この世で一番、大切な存在が……消えてしまった。
アレクの身体はわなわなと震えた。
その意味するところは──世界の、死。
この世界の監視者として生まれてきたアレクが、もっとも恐れていた出来事。
「なんと……いう、ことを」
アレクの絞り出すような声に、涼やかな声が答えを返した。
「あなたたちが、わたくしを……いえ、この世界まで騙し続けていたからよ」
ああ……とアレクは心の中で声を上げた。その一言で、分かってしまった。アメシストはすべてを知ってしまったのだ。
「こんな世界、なくなってしまえばいいのよ」
まるで今日の天気を口にするような軽い口調で、アメシストはとんでもないことを口にした。
「アメシストさま……!」
アレクの咎める声に、アメシストは口の端に笑みを浮かべた。
「その『嘘』の名で、わたくしを呼ばないで」
ぎくりとアレクの身体が強ばった。それを見て、アメシストは真実だと知ってしまった。
「あなたとシトリンの犯した罪は、この世界に終焉をもたらした──」
「アメシストさま!」
「まだ『嘘』の名で呼ぶの? あなたにとってはわたくしよりこの世界の方が大切……ということね」
アメシストの瞳の奥にはまた、あの昏い光が宿った。それと同時に、切なさがたっぷりと詰まった儚い笑み。
アメシストがゆっくりとアレクへと近寄ってきた。アレクは動くことが出来ず、じっとアメシストを見つめていることしか出来なかった。
アメシストはアレクの前に立つと、アレクの左手を取った。真っ白な手袋がされた、アレクの手。
アメシストはおもむろにアレクの手袋を外した。
手の甲には、アレクの瞳と同じ色の深緑の石。端が少し欠け、ヒビが入っているのが見えた。
アメシストはそっとヒビに指を這わせ、アレクを見上げた。
「……さようなら、アレク」
アメシストの指先から紫色の光があふれ出した。
アレクは本能的に危険だと分かっていたが、アメシストの綺麗な紫色の瞳に魅入られて、動けなかった。
ぴきり……という嫌な音がアレクの耳朶を打った。
それから身体を引き裂く激しい痛み。
「あ……あっ、あああっ!」
急激に収縮した紫色の光だったが、次の瞬間には拡散して、辺りはまばゆい紫色の光に包まれてしまった。
「アレク……」
アメシストの呟きの後、そこは轟音に包まれた。
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シトリンとアレクが犯した『大罪』とは、アメシストの出自を偽ったことだった。
アレクは日々、疲弊していくシトリンを見ていられなかった。
シトリンがいくら巨大水晶に祈りを捧げても、シトリンの跡を継ぐ水晶族の乙女は生まれて来なかった。
そんなとき、アレクの屋敷の外に、生まれたばかりの子どもが捨てられていたのだ。
アレクは一目でその赤子が自分と同じ種族だと分かった。
そして、アレクの種族には珍しい紫色をした宝石を額に抱いていた。
手紙が添えられていて、この子の両親はすでにこの世にいないこと、そして託せる相手がアレクしかいないことが綴られていた。
それを見て……アレクは魔が差した。
シトリンがいくら巨大水晶に祈りを捧げても次代を担う水晶族の乙女は生まれない。
そして今、アレクの元に身元は分からないが確実に自分と同じ種族である女の子の赤子がいる。
モリオンを育ててきたとはいえ、アレクが一人でこの赤子を育てられるとは思えない。
それならば……。
アレクは大切に赤子をくるむと、だれにも見つからないようにシトリンの元へと訪れ、一つの提案をした。
「そんなことをして……許されるの、でしょうか」
「本当の水晶族の乙女が生まれるまでの身代わりです」
「…………」
アレクの提案に、シトリンは長い間、迷っているようだった。
本当にそんなことをしても良いのだろうか。
「このままでは、モリオンさまのお立場がますます危うくなるのではないでしょうか」
シトリンがモリオンのことをとても大切に思っていることを知っていたアレクは、あえてその名を口にした。
アレクはシトリンを
シトリンの次に大切なモリオンの立場が微妙だというのは、アレクも痛いほど知っていた。だからモリオンを守るために。そしてなにより、大切なシトリンの負担を少しでも軽くしたいと願ったために。
本来ならば、世界の監視者として取ってはならない行動だった。
それでもアレクにそう選択させたのは、世界よりもシトリンを選択した結果。
いや、たぶん間違っていないのだ。
シトリンを守ることは、世界を守ること。
だから間違っていなかったはずなのだ。
アレクのことを信じて静かに腕の中に抱かれている小さな命は、シトリンが新たに生み出す本来の水晶族の乙女が生まれるまでの身代わり。
そのはずだったのだ。
アレクはシトリンと二人で回りを欺き、紫色の宝石を抱くこの赤子をシトリンの後継者として巨大水晶から産みだした──。
アメシストと偽りの名を与え、大切に育ててきた。
シトリンはますます熱心に祈りを捧げたが、世界を偽ったからなのか、やはり真の後継者が産まれることはなく……。
そしてあの日。
神様の屋根にアレクとシトリンとアメシストの三人だけになった時。
事件が起こってしまった。
それは起こるべきして起こった事件であった。
アレクが杞憂してしまうほど、アメシストは力を持っていた。アメシストは本来の後継者が生まれるまでの身代わり。だから出来るだけアメシストを巨大水晶から遠ざけたかったのだが……。
疲弊していくシトリンを労るアメシストは、徐々にシトリンに代わり、祈りを捧げるほどの存在になっていた。アレクとシトリン以外はアメシストは正当な後継者と思っていたため、そんなアメシストを快く受け入れていた。
アメシストが祈りを捧げるようになってから、目に見えて国が発展しているのが分かった。だからアレクは正しくないと知りながら、シトリンのことを思えばこれでもいいのかもしれないと思い始めたところだった。
ところが。
アメシストの口から、とんでもない言葉がこぼれ落ちた。
「こんな世界、壊れてしまえばいいのよ」
そう言ってアメシストは儚い笑みを浮かべ、シトリンとアレクに向かって力を振るったのだ。