『月をナイフに』


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《五》変わりゆく世界08



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 緩やかな道が終わり、急に上り坂になった。
 事前に聞いていたとはいえ、予想以上の急坂に、真珠は恨み言を言いたかった。が、だれに向けて言えばいいのか分からなかった。それに、言葉を口にする元気がなかったのだ。
 真珠たちの訪れを拒むように、吹き下ろしてくる風は冷たく、強い。
 正面から風を受け、顔がかじかんでいた。耳は髪の色を隠すために被っている布きれで覆ったので痛くはなかったが、寒さよけのマントは風にはためき、風圧で歩きにくい。だからといって取ってしまうと寒くて仕方がない。
 風に背中を向けて歩くのはどうだろうかと思って実行したが、一歩ずつ、視界が高くなっていくことが怖くなり、慌てて元に戻った。
 杖があればまだ楽なのかなと思ったが、周りを見ても草木一本も生えていないような荒れた地で、準備不足だった自分を呪いたくなった。
 この道はどれだけ続くのだろうか。
 足を止めたら二度と再び動けなくなりそうで、真珠は意地になり、必死に足を動かしていた。
 上を向いても頂上は霞んで見えず、足下も油断をすると石に躓いて転んでしまいそうなので、足下を見ていることにした。
 自分の吐く荒い呼気と吹き下ろしてくる風の音、足を上げるのが辛く、引きずるようにして歩いている音。それ以外、なにも聞こえない。
 横にはマリ、前にはモリオンとルベウスもいる。
 それなのにどうしてだろう。なんだかとても孤独だ。
 みんな苦しくて、登ることに必死になっているため、他人に構っていられない。
 こんなに苦しい思いをして登ったところで、そこに楽園パラディッサの情報があるとは限らないのだ。
 この先に楽園パラディッサのことがないということを確認するために向かっているような気がして、真珠は何度も足を止め、身体を反転させて降りようと思っただろう。
 そうしなかったのは、意地でもなんでもなく、惰性だった。

 そんな思いを抱えながらどれくらい歩いたのか。
 ふいに足下が平らになった。

「……着いたか」

 先を歩いていたモリオンが安堵の声を上げた。

「マリちゃん、カッシー、もう少しだ。頑張れ」

 とルベウスが無責任に頂上からそんなことを言っている。

「予想していたけど、これはまずいなぁ」

 モリオンは頂上の風景を見て、唸っていた。

「まだ他国には知られていないだろう」
「そうだが……。時間の問題だな」

 なにを話しているのか真珠には分からず、最後の気力を振り絞って身体を持ち上げた。
 残り二歩……一歩……。
 ようやく、真珠の足は頂上にたどり着いた。最後の一歩は半ば身体を放り投げるようにしたため、勢い良すぎて地面に転がった。

「おいっ、カッシー! 危ないぞ!」

 モリオンがあわてて駆け寄ってきたが、真珠はもう、起きる気力さえなかった。視界の端にマリも頂上に着いたのが見えた。

「これは……」

 マリも頂上の光景を見て、絶句している。
 真珠はどうして絶句しているのか分からない。
 荒い息を吐き、必死になって呼吸を整えるが、下より少しだけ空気が薄いのか、苦しい。

「カッシー、とにかく身体を起こせ」

 そういわれ、モリオンに腕を引っ張られた。真珠は仕方がなく言われるがままに上体を起こした。

「カッシー、ここがいつも通りだったら、おまえは火だるまになっていたぞ」
「……はっ?」

 言われている意味が分からず、真珠はあわてて立ち上がった。

「だからここは別名で炎の森だと言っただろう」

 それは覚えている。どんなところか聞いたら説明が難しいとも言われた。
 真珠は視線をモリオンから頂上へと向けた。
 そこはごつごつとした黒い岩が転がっているだけで、どうして炎の森と言うのか、さっぱり分からない。
 ここが目的地であるアラレヒベだとすると、なに一つ、楽園パラディッサに続く手がかりがあるように見えない。むしろ荒れた場所に来て、徒労だったというのを思い知っただけだ。
 真珠が想像していたアラレヒベは、堅牢な要塞だった。そこに叡智を司る人がいて、楽園パラディッサの場所を知っていて教えてもらえると思っていたのだ。
 しかし、叡智を司る人は簡単には教えてくれなくて、与えられる試練を乗り越えて初めて認めてもらい、教えてもらう。
 今まで真珠が読んできた物語ではよくある展開だった。
 だけどここには、そんな要塞も人もいなくて、ただ荒れ果てた石ころがたくさんあるなにもない場所だった。
 ごおっと音が鳴り、真珠たちの間を強くて冷たい風が抜けて行った。

「炎は消えてしまっているが、風は止まっていないのか」

 モリオンは目を細めて、風が吹いてくる方向へと目を向けている。

「……炎が消えた?」

 そういえばしきりに
「炎の森」
と言っていた。ということは、ここは本来は炎があったということだろうか。

「そうだ。ここは地面から炎が吹き出していて、それらが燃える木のように見えていたんだ。この炎が発する熱を利用してここでは様々な加工がされていて……。そして、この強い風が熱い空気を運び、国全体を暖めていた」

 それでモリオンは本来ならば寝転んだら火だるまになると言っていたのか、と真珠はようやく理解した。

「じゃあ、炎はどこに……」
「もしかしたら、あの大きな揺れが原因で、炎が消えてしまった……のでしょうか」

 マリが控えめに声を上げた。

「……そうかもしれない。あの地面の大きな揺れがあってから、この世界は──変わってしまった」

 モリオンは唇をかみしめ、遠くへと視線を向けた。

「ここの炎はもう、戻らないのか?」

 辺りを散策してきたらしいルベウスは三人の側に立ち、見回しながら聞いてきた。

「それは……分かりません。しかし、ここの炎が戻らないと、国はさらに冷え、人が住めなくなってしまうでしょう」
「その前にこの国を奪おうとする国の侵入を許してしまう」
「しかし、アラレヒベのなくなったこの国に価値など……」
「ある。オレたちという存在は価値があるのだろう、ヤツらからすれば」
「あ……」

 マリは拳を握り、泣きそうな表情をして俯いた。モリオンもルベウスさえも悲壮な表情をしている。
 真珠は分からず、しかし、たやすく聞くこともできる雰囲気ではなく、強く吹き付けてくる風に寒さを覚え、ぶるりと震えると、マントをぎゅっと身体に巻き付けた。

 モリオンは嫌な考えを振り払うように頭を強く振ると、声を上げた。

「ここにいても仕方がない。とにかく、加工場チャーヌに行ってみよう」

 ざりっと地面を踏みしめる音とともに、モリオンが歩き始めた。ルベウスが続き、マリも歩き出した。真珠も遅れを取らないようにモリオンに続く。
 一列になり、四人は頂上の縁を歩く。
 真珠は出来るだけ下を見ないようにしていたが、吹き付けてくる風に煽られ、落ちそうになる。その度に慌てて内側へ移動するのだが、本来、ここの下から炎が吹き出していたと聞いていたため、あまり中へ寄るのも恐ろしい。突如、前触れもなく吹き出してきたら……その先は恐ろしくて想像したくない。
 ぎりぎりの場所を真珠はそろそろと歩き、モリオンに着いていく。
 モリオンが向かっている先は、地面は幾ばくか上下してはいるが、どこまで行っても視界を遮る物はなく、良好だ。この先になにがあるのだろうと思っている頃、小さな黒い点が見えてきた。
 なんだろうと目をすがめて見ると、徐々に見えてきた。
 黒くて厳めしい外装。最初は点にしか見えなかったそれは、近づくにつれ、横に長くて縦に高い建物だというのが分かってきた。

「あれは……?」

 真珠のつぶやきにマリが答えてくれた。

「あそこはここの熱を利用して、様々な物を作り出しているところです」

 工場、ということだろうか。

「モリオン、待て。そこには人がいるのか?」

 ルベウスは立ち止まり、モリオンに質問をしている。

「いるが……それがなにか?」

 モリオンは振り返ることもせず、答える。

「村の状況を思い出せ。下手に近づくのは危険ではないか?」

 ルベウスに指摘され、モリオンは止まった。

「そうだが……」

 モリオンは地面を見つめ、何事か考えていた。

「ボクはここに来たことがないから分からないけど、どうみても動いていないよな?」

 しかし──。
 ルベウスの指摘はすでに遅く、真珠たちの間をなにかが切り裂いた。



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