《五》変わりゆく世界07
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時間はずいぶんと前に戻り、
アレクは消すことよりも人命を第一に考え、全員に避難勧告を出した。
消すことを諦めて遠くへ逃げたここで働いている人たちはただ、呆然と燃えていくのを見ていることしか出来ないでいた。
夜が更け、朝が来る前に
日が昇るにつれ、
火元と出火原因は調査中だが、分かったところで元に戻るわけではないため、不明のまま終わりそうだ。そしてなによりも、本気で調べられると困るのは、炎を放ったアレクだ。適当なところで切り上げるように指示を出していた。
そのアレクは、紫水晶と化してしまったアメシストとともに、小高い丘の上に避難していた。簡易的に天幕を張り、アレクはそこに待機していた。
「アレクさま」
白装束に身を包んだ女性警備兵が二人、アレクの元へと訪れ、両膝をつき、頭を垂れている。これはフィラー国でのもっとも丁寧なお辞儀である。
よく見ると女性警備兵の衣装は煤で汚れていたが、アレクは女性警備兵に背を向けたままでいたため、見えていない。アレクの視線は、白い簡易円蓋に向けられている。そこには搬出されたアメシストが入れてあった。
「なんだ」
「残念ながら、
「……そうか」
アレクはうつむき、無意識のうちに口角をあげた。それこそ、アレクが狙っていたことだった。それを悟られないよう、いつもより低めに声を出した。
「非常に残念ではあるが、燃えてしまったのなら仕方があるまい」
「…………」
女性警備兵はアレクに叱責されると思っていたので、その言葉に安堵すると同時に、なにやら恐ろしいことになるのではないかと内心、ひやひやしていた。
「ところで、逃げ遅れた者はいないか?」
「一名を残し、全員の無事を確認しました」
一名を残し、という言葉にアレクは反応した。
「……一名? それはだれだ?」
鋭い声に身を縮こまらせ、女性警備兵はさらに頭を下げ、かしこまった。
「確認出来なかった一名はだれだと聞いている」
なかなか答えない二人にアレクは静かだが、怒気をはらんだ声で再度、問いかけた。二人は恐ろしくなり地面に頭をこすりつけ、こわごわと口を開いた。
「もっ、申しあげます。アメシストさま付きのマリの姿が先ほどから見当たりません」
アメシストはマリを大変、信頼していた。そのマリが行方不明になっているという事実を伝えるのはとても勇気が必要だった。
「確認出来ていない一名というのは、その者だけか?」
「はっ……はいっ」
よりによって、どうしてマリだけがいないのだろうと二人は思う。
アレクとアメシストはここにこうして無事にいるというのに、マリはなにをしているのだろう。
マリの役目は、アメシストの側にいて、身の回りを世話をして、危険が迫ればアメシストを守ることだ。そのマリがこの緊急時に大切な主君であるアメシストを放置してどこかに消えてしまったのだ。
連帯責任と言われて処分が全体に下される可能性を考え、女性警備兵二人はおびえた。
「マリには別の任務を与えている」
アレクの言葉に、二人はほっと胸をなで下ろした。
「それ以外の者は全員、無事ということか?」
「はいっ」
「報告は以上か」
「はいっ、以上ですっ」
「それならば、下がって待機していろ」
アレクはそれだけ告げると、女性警備兵二人を追い返すようにして、天幕から出した。
て、アレクはアメシストがいる円蓋の中へと足を踏み入れた。
中はあまり広くなく、両手を伸ばすと円蓋を覆っている布地に当たるほどだ。その真ん中に白い布をかぶせ、アメシストだった紫水晶を置いていた。
アレクはそっと白い布を外し、変わり果てたアメシストの姿を視界に入れ、ため息を吐いた。
自らがしたこととはいえ、やはり心が痛む。
「どうして……」
アレクの口からは思わずそんな言葉が洩れる。
シトリンに望まれ、巨大水晶から産まれてきたアメシスト。
アレクはその日を昨日のことのように鮮明に覚えていた。
アレクはシトリンに見いだされ、最年少でシトリン付きの騎士として配属された。
周りは若いというよりは幼いということを理由に、アレクを登用することに反対したという。
シトリンはアレクを登用した時、なにか未来を見たのだろうか。男であるモリオンを生み出したことで微妙な立場にあったであろうシトリンは、それでも強固にアレクを側付きにとごり押ししたようだ。
そのせいで、アレクはずいぶんと苦労をしてきた。
口さがない連中は、アレクはシトリンに色気で取り入っただの、寝取っただのとあらぬ噂を流していたが、アレクはそんなことを一度もした覚えがなかった。それに、アレクとしては、シトリンに対してそんな感情を一度も抱いたことはなかった。
ただただ、神々しくて、直視出来ないほどまばゆい存在。
アレクの役割は、その当時、まだ産まれて間もないモリオンの世話をすることだった。世話係なら男よりも女の方が適任だとはアレクは思ったが、それは口に出さなかった。慣れないながらもアレクはモリオンを育てた。
シトリンはモリオンが成長したところで、アレクに剣術を教えるようにと言ってきた。アレクは言われるがまま、モリオンに剣の手ほどきをした。
モリオンはアレクよりもさらに色々と言われ、窮屈な思いをしていただろう。その鬱憤を晴らすかのように剣術にのめり込み、めきめきと腕を上げていった。
シトリンはアレクにモリオンを託して安心したのか、熱心に祈りを捧げ続けた。それこそ、昼夜問わず、起きている時間はずっと、あの巨大水晶に祈りを捧げていたのではないだろうか。
そして──アメシストが巨大水晶から産まれた。
今まで見たことがないほどのまばゆい光を巨大水晶が発し、周りの者は皆、目を覆った。
光がおさまり、シトリンを見ると、その腕の中には淡い紫色に輝く赤子がいた。
モリオンはアレクに抱きつき、良かったと泣いて喜んでいた。
アレクは……複雑な気持ちだった。
ここにいるモリオンはどうなるのだ。それまで自分が費やしてきた歳月は、なんだったというのだ。
それと同時に、ようやくフィラー国も落ち着いてくれるから良かったという安堵の気持ちもあった。
アメシストには複数人の侍女を付けられ、大切に育てられた。
モリオンはそれまでと変わらず、シトリンの側でアレクとともにあった。
シトリンは目に見えて疲れ切っていた。
それでも祈ることをやめることはなかった。
不安は山のようにあったが、唯一の救いはモリオンが元気に成長しているということだった。特に問題はなく、モリオンは二十になった。モリオンは
そして、アメシストはシトリンの後継者ということで
──それがキッカケで、とある事件が起こってしまった。
事件を知っている者は、シトリンとアメシストとアレクのみ。モリオンは
アレクはそのときのことを思い出す度、今でも左手の甲が疼く。
いつもは白い手袋をして隠しているが、これもいつまで持つのだろうか。
あの時、アレクがもう一瞬でも決断が早ければ──。
そして、後悔はもうしたくないと思ったが、また、後悔してしまう出来事が起こってしまった。
「どうして、あなたは……」
アレクは握っていた白い布から手を離し、紫水晶の中で眠るアメシストを隠した。
「なにが不満だったというのですか」
アレクは答えがないのを知りながら、アメシストにそう、語りかけた。