『月をナイフに』


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《五》変わりゆく世界06



 真珠は目の前の壁を取り払いたくて、腕を思いっきり前へと突き出した。

「うわっ!」
「カッシー、いい加減、起きろっ!」

 その声に真珠は驚き、目を開けた。

「え……あ、ここ、は?」

 目を開けると、ぼんやりとする視界の先に、見覚えのある顔が三つ。真珠は慌てて眼鏡をかけた。
 視界がくっきりとして、モリオンとルベウス、その後ろから心配そうにのぞき込んでいるマリが見えた。

「ったく。うなされていたぞ」

 マントと残り布にくるまっていたはずなのに、それはぐちゃぐちゃに乱れ、散らばっていた。
 真珠はのろのろと身体を起こし、寝ているときに投げ飛ばしたと思われる布を引き寄せた。

「さあ、飯にするぞ!」

 モリオンの声にしかし、真珠は動けなかった。
 夢の中で、久しぶりに琥珀を見た。それは真珠にとってはとても幸せなことではあったが、気になることがいくつかあった。
 琥珀が告白をしていた女性は、琥珀が真珠のことを好きなのではないかと聞いていた。
 あの、琥珀が?
 真珠にだけ冷たい琥珀が、真珠のことを、好き?
 もしもそうだったら、嬉しくて踊り出してしまいそうだ。
 しかし。
 ──琥珀は真珠のことを知らないと言っていた。さらには、見知らぬ女性に好きだと……告白を、していた。
 いや、あれは、夢だ。
 だから──真珠の願望も含まれている。

「カッシー、食わないのかあ?」

 モリオンに催促され、真珠は現実に戻った。

「うわっ! 食べますっ!」

 真珠は嫌な思いを振りほどき、焚き火へと駆け寄った。

┿─────────────┿

 赤黒い空の下、真珠たちはアラレヒベへと向かっていた。
 今日は今までのことが嘘だったかのように、静かだ。真珠たち以外の生物の気配がまったくしない。
 だからなのか、よけいに寒く感じる。

「コタツ……湯たんぽ……カイロぉ」

 真珠は欲望のままに欲しいものを口にしてみたが、ぱっと現れるわけもなく。
 真珠たちの間を吹き抜けていく風に、寒さを思い知らされるだけだった。

 コタツに入って琥珀に罵られながら食べる鍋、美味しかったなあ……。
 そもそもあのとき、なんで怒られていたんだっけ?
 ああ、そうだ。残っていたお餅も入れて食べようと言って、ちょうど三つあったから入れたら、一つだけあんこ入りが混ざっていて、それがたまたま琥珀のところに行ってしまったのだ。あんこ入りのお餅は琥珀の好物で、普通に焼いて食べるのを楽しみにしていたようなのだ。それなのに、鍋に入ってしまったというダブルの悲劇が起こり……。
 まあ、あれは怒られても仕方がなかったよなあ。
 と、どうでもいいことに思いを馳せて現実逃避を試みるのだが、寒さは無情にもすぐに現実に引き戻してくれる。

「さっむいっ!」
「おかしいわね。アラレヒベの周りは寒さとは無縁なのに」

 マリはマントの前をかき合わせ、風が入ってこないようにするのだが、隙間が開いてしまう。

「しかし、この寒さは確かに異常だな」

 モリオンは何度も前をかき合わせ、少しでも寒さを軽減させようとしているのだが上手くいかないことに苛立ち、諦めて適当に合わせたまま歩いていた。

「以前、アラレヒベへ行った時はとても暑くて困ったのですが……。どうしたのでしょうか」

 マリのつぶやきに真珠は顔を上げた。

「アラレヒベに行ったこと、あるのっ?」
「はい、あります。まだ、アメシストさま付きの護衛になる前でしたけど、一度だけ」

 まさか行ったことがあるとは思っていなかったため、真珠は思わずマリに詰め寄った。

「アッ、アラレヒベってどんなところなのっ?」

 向かっている先がどんなところか真珠にはさっぱり想像がつかなくて不安に思っていた。知っているのなら教えてほしいと思い、近寄って聞いたのだが……。
 マリは真珠が寄ってきたことで驚き、反射的に飛び退けた。
 それを見て、真珠は慌てて身を引いた。

「ごっ、ごめん……。つい、興奮して」
「え……いえ、だ、大丈夫……よ」

 とは言っているが、マリの表情は引きつっていた。

「アラレヒベというのはだな」

 モリオンは真珠とマリのやりとりを見てため息を吐きながら、説明を引き受けた。

「フィラー国の辺境の地で、別名を炎の森と言っている」
「……炎の森?」

 真珠は炎をまとった木々を想像して、顔が引きつった。今から向かおうとしているのはそんな恐ろしい場所なのだろうか。

「もちろん、木が燃えているわけではないぞ」
「木が燃えてるから、炎の森と言われているのかと思ったよ」
「それはただの森林火災だろう」

 モリオンの突っ込みに真珠は口を尖らせてふくれっ面をしたが、相手にされなかった。
たわっている」

 といわれても、真珠にはいまいち、想像がつかない。真珠の脳内には炎をまとった木々がけだるそうに横たわり、ごろごろと転がっている姿しか思い浮かばなかった。

「今はなだらかな道が続いているが、アラレヒベに近づくと上り坂になってくる。山の頂に着くと、炎の森の意味が分かるだろう」

 それだけ告げると、モリオンは口を閉じた。

「えっ。説明はそれだけっ?」
「ああ。なにか不満か?」
「なんだよ、その『正解はCMの後で!』みたいなのはっ!」
「……しーえむ?」

 真珠は地球のノリで口にしたが、ここは地球ではない。伝わるわけがなかった。

「や……あ、うん。問題を出しておいて、答えは後で! って引っ張る人がいるんだよ」
「……それがしーえむとかいう人なのか?」

 かなり違うのだが、真珠は説明をするのが面倒になって、うなずいた。

「ふむ。説明してもいいんだが……あれをなんと言えばいいのか分からないんだ」

 アラレヒベへ行ったことがあるというマリを見ても、困ったような笑みを返されるだけだった。

「……分かったよ。行けばいーんだろ、行けば」

 どちらにしろ、行かなければいけない場所である。事前にどんなところか知っておいた方がいいかと思ったのだが、知っている二人が説明をしてくれないのなら、仕方がない。
 真珠は脳内でごろごろと転がっている炎をまとった木々を振り払い、考えてみる。
 アラレヒベは山の上にあるという。ということは、火山口なのではないだろうか。
 真珠の知っている火山は、火口からかなり下に溶岩があるところであるのだが、モリオンの口ぶりからすると、少し様子が違うような気がする。
 国境の手前に他国からの侵入を阻むように横たわっているという、アラレヒベ。
 アラレヒベへ行けば、楽園パラディッサのことが分かるかもしれないという。
 ということは、そこにモリオンとアメシストの母であるシトリンは行ったのだろうか。
 真珠はふと視線を横へ向けた。
 萎れてはいるが、そこには街路樹が生えていて、道を形作っている。
 アラレヒベへ行くにはきっと、ここが近道なのだろう。真珠には他に道があるのかどうか分からないが、シトリンもきっと、ここを通ったに違いない。お忍びで行ったとしても、供は連れて行っているはずだ。人目を忍んでいたとしたら、村には寄らなかったかもしれない。それでも、脇にそれた広場で休憩は取っただろう。
 マリは以前、シトリンが旅立ったのはいつだと言っていたか?
 マリがアメシスト付きになったのは半年ほど前。それ以前で一年くらい前ではないかという話だったが……。
 なにかがおかしい。
 しかし、真珠にはなにがどうおかしいのか、はっきりと分からなかった。





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