『月をナイフに』


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《五》変わりゆく世界02



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 明かりもなく、時計もない。時間を知るのは……。

「ぐぅ」

 腹の虫のみ。

「ぶっ」

 横にいるルベウスは真珠のお腹が鳴ったのを聞き、吹き出した。

「本来なら、もう休んで飯を食っているところだもんな」

 ルベウスは肯定してくれるが、真珠は恥ずかしい。真っ赤になり、そっぽを向いた。
 街道に出てもまた襲われるかもしれないと気を張っていたときはまだしも、緊張感は長く続かない。
 寒いけど、怖いくらい静かな街道。なにかが待ち構えているようにも感じないため、気が抜けてきた。
 そもそも、平和ボケしまくっている真珠がずっと警戒をしていられるわけがない。

「次に広場を見つけたら、入るか?」
「マリとモリオンは?」
「そうだなあ」

 ルベウスは取り返した袋の中に手を突っ込み、マントにしている切れ端を取り出した。

「広場の入口に、これを下げておこう」

 これに気がついてくれるのだろうかという真珠の疑問に答えるように、ルベウスは言葉を続けた。

「街道の脇にある広場は、ここを行き来する商人が、自分たちを含む通行人のために作ったものなんだ。入口に目印がある場合、そこは使用中という目印になる。決まった目印をつけておけば、待ち合わせに使うことができる」

 それに、と続ける。

「人目を避けて密会するにもいいし、中間点で会うことにすれば、行き来がお互いに半分になる」

 密会はともかくとして、中間点というのはいい考えだ。

「ということで、心配しなくていい」

 どちらにしても、休みたい真珠は、反対しなかった。
 それほど歩かず、脇道を見つけた。

「ここにこうやって……と。出るときはこれを外せばいい」

 と布を挟んでいた。あとは二人が気がついてくれるのを願うばかりだ。
 中はそれほど広くはなかったが、四人で使うには充分だし、設備も必要最低限はそろっているようだ。すぐ側に泉があるのもルベウスが確認してくれた。

「ここには湯はないみたいだな」

 ルベウスの話によれば、広場は場所によって設備が違うという。中に入ってみないことにはなにがあるのかまでは分からない。広場は管理をしている人や組織があるわけではなく、利用者たちが自主的に整えたり片付けたりしている。

「すごいな」
「なにがすごいんだ。使ったら前より綺麗にして去るのが当たり前だろ?」

 と言われたが、あの村の惨状を見た後なので、信じられない。
 ルベウスは落ち葉と枯れ枝を集めている。真珠もそれを見て、手伝っている。

「これくらいでとりあえず、いいだろう。ボクは火を熾して食事の準備をするから、カッシーはもう少し、枯れ枝を集めてきてくれないか」
「分かった」

 疲れてはいたが、すべてをルベウスに任せるのはさすがに申し訳ないので、引き受けた。
 それにしても、暗くて周りが見えにくい。焚き火がつくまでの辛抱だと真珠は言い聞かせ、手探りで地面を探す。
 夜がこんなにも暗いものとは思っていなかった。
 地球にいる頃、明かりをすべて消してもほんのりと明るかったことを思い出す。幼い頃、暗くて怖いと明かりのない夜を怖がっていたが、あれはまだ、明るかったのだ。真の暗闇を知らなかっただけなのだ、と真珠は知った。
 いきなり視界が明るくなったので、眩しくて目を細めた。
 辺りを仄かに照らす程度の光だが、それまでは暗闇に包まれていたため、とても明るく感じる。
 暗くなれば自動的に明かりがつくのが当たり前だと思っていた。自動的にというのは間違いであるのだけど、当然だと信じ切っていた。喪ってからはじめて気がついた。
 アメシストに喚ばれなければ、気がつかなかったこと。
 それにしても、どうしてアメシストは真珠をこの世界に喚んだのだろう。
真珠しんじゅの名を持つ者』
 と言っていたが、もしも名前のせいだけで喚ばれたとすれば、名付け親である琥珀を少しだけ恨んでしまいそうだ。
 今でこそ琥珀は素っ気ないが、真珠が生まれるのを心待ちにしていたそうだし、名前もつけてくれたという。
 だからというわけではないが、真珠はずっと、琥珀と一緒にいると思っていた。まさか異世界に飛ばされてしまうとは思ってもいなかった。

「……帰れるのかな」

 久しぶりに琥珀のことを思い出して、感傷的になってしまった。滲んできた涙を手の甲で乱暴に拭った。

「カッシー、どうしたんだい?」

 急に動かなくなった真珠に、ルベウスは心配そうに声をかけてきた。

「ん……、あぁ」

 真珠は両手いっぱいに枯れ枝を持ち、焚き火に近寄った。

「名付け親のことを思い出していた」
「……名付け親?」

 ルベウスは訝しげな表情を真珠に向けてきた。

「ぼくの名前は、とても大切な人がつけてくれたんだ」
「ふーん。もしかしてカッシーって、この国の人ではないの?」

 真珠は逡巡してからうなずいた。

「なるほどね。それで子どもでも知っていることを知らないのか」

 どこから来たのかと聞かれたらどうしようと考えていたら、ルベウスは別のことが気になったようだ。

「だけど、アメシストさまもなにも他の国の人を喚びつけることをしなくてもなあ」

 ルベウスはなんとなく面白くないみたいだ。真珠が抱えている枯れ枝を乱暴にむしり取った。

「まだ足りない」
「分かった」

 真珠は広場を掃除するつもりで枯れ枝や葉っぱを集めた。
 広場の燃やせそうな物はほとんど集めてきた真珠は、焚き火の側に戻った。温かさにほっとする。

「この先にも村はあるけど、今日の様子を考えたら、近づかない方がいいような気がするな」

 声は淡々としていたが、悔しさが滲んでいるように聞こえるのは気のせいだろうか。

「そうすると、食材の確保が生命線になるな」

 袋の中にはあまり食べ物が入ってない。この先、小さな村があるから分けてもらいながらアラレヒベへ向かうつもりでいたのだ。こんな状態になってしまうのが分かっていたら……。
 悔やんでも仕方がないのだが、そう考えてしまう。

「森もあんなに枯れていたし……一刻を争うな」

 悠長にしていられない。気が急いてきて、いてもたってもいられなくなってきた。そわそわとし始めた真珠を見て、ルベウスは苦笑する。ルベウスは袋の中から色々と取りだし、食事の準備をしていた。

「急ぐのも大切だけど、身体をきちんと休めないと」
「だけど……」
「カッシーはまだ子どもだから分からないかもしれなけど」

 その前置きに真珠はむっとしたが、口にはしなかった。

「ただひたすら待つことしか出来ないことってのは、これから先もたくさん、出てくるんだ」

 泉の水を鍋に掛け、沸かしているようだ。その横でルベウスは袋の中から取りだした食材を短刀で切っている。

「見守っているだけ、というのが一番、辛い立場なんだと思うよ」

 沸騰を始めた湯の中に、切った食材を入れていく。

「ぼくは幸いなことに、こんなにも健康だ。だけどルビーは……ただ、ぼくの帰りをいつもじっと待っていることしか出来ない」

 食材はお湯に溶け、どろりとした物へと変化していた。あんなに乾燥して固そうだったのに……と真珠は不思議な気持ちで見つめていた。立ち上る湯気が、食べ物のいい香りを真珠の元へ運んできてくれた。

「今だって、鍋に水を入れて火を掛けて、沸いたら入れる。だけど、ただ待っているだけで、こんなにも美味しそうな物が出来てくるんだ」

 言われてみればそうだった。真珠たちはただ、待つだけ。その間に炎が仕事をして水を温め、沸いたお湯が食材を柔らかくする。

「ぼくたちは今、この炎であり、水であり、食材でもあるわけだ。炎が水を湯にするまで待ち、そこに食材を放り込む。水が湯になるまで待たなくてはならなかっただろう? 今はそういう時なんだよ」

 ルベウスの説明はとても分かりやすかった。

「だから、機が熟すまで待つのも大切なのさ。……よし、できた」

 ルベウスがそう言ったと同時に、よく知った気配を感じて、真珠は入口に視線を向けた。

「やっぱりここにいたのか!」

 そこには、モリオンとマリがいた。







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