『月をナイフに』


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《五》変わりゆく世界01



 モリオンの予想通り、真珠とルベウスは村に入るために反れた脇道から街道に戻っていた。

「マリとモリオンは大丈夫だろうか」

 街道に出てほっとした真珠は呟いた。

「モリオンは旅慣れしているみたいだし、マリちゃんはしっかりしているから大丈夫。あの村の状況を見て、さすがにまずいのは分かってるだろう」

 真珠の方がマリとモリオンの二人と長くいたはずなのに、ルベウスの方が性格などを把握していているようだ。

「戻るより、進もう。時間がもったいない」

 ルベウスは真珠の手首から手を離した。真珠はそれに気がつき、慌てて手を解いた。二人は並んで歩く。

「いいかい、カッシー。この先、アラレヒベにたどり着くまでにはぐれてしまったら、とにかくなにがなんでもこの街道を道なりにアツィームに向かうこと」
「…………」
「ボクも楽園パラディッサに行きたい。でも、しょせんボクの願いなんて、個人的な小さなもの。ルビーにもしものことがあったらもちろん悲しいけど、仕方がなかったと時間はかかるけど、どうにかして諦めはつける」

 真珠は思わず、ルベウスの横顔を見た。真珠の視線に気がついているはずなのに、真っ直ぐ前を向いたままだ。

「ルビー以外のことは、とても穏やかで、幸せだった。正直な話、ルビーのことを疎ましいと思うこともあったよ」
「……そう、なんだ」

 なんだか相づちを打たなくてはならないような気がして口にしたが、気の利いた言葉はなにも思いつかない。

「ボクが放棄したら、ルビーは生きていけない。ボクのせいで……ルビーがいなくなったらきっと、ボクは一生、後悔する。ルビーを殺してしまったという事実を背負ったまま生きていけるほど、ボクは強くない」

 真珠はそういったものを背負っていないので、分からない。

「結局、ルビーを守ることは、自分かわいさからなんだ」
「そんなこと……!」
「ないと言ってくれるかい?」

 ルベウスは真珠に視線を向けてきた。真珠はうなずいた。

「人はみんな、自分のためだけに生きている。だから間違っていないのかもしれないね」

 ルベウスの皮肉な言葉に真珠は反論したかったが、なんと返せばいいのか分からない。

「なにかをしなければ、自分の心が辛くなる。だから自分の心を軽くするために行動するんだ」
「そうかもしれないけど……」

 真珠はうつむく。
 ルベウスの言うことは、一理ある……と思う。でも、それだけではないはずだ。

「そもそも、カッシーはなんのために楽園パラディッサに行こうとしている?」

 ルベウスに聞かれて、逡巡してから口を開いた。

「アメシストさまを救うために」
「救って、それで?」

 真珠はルベウスに自分がこの世界の住人ではないと話をしていいのか、悩んだ。

「まあ、いいや。その先のことは。ボクだって、ルビーの身体が普通になった先のことなんて、考えていないからね」

 ルベウスから先のことはいいと言われて、安堵した。

「だけど、マリちゃんやモリオンがそういうのならともかく、どうしてカッシーがアメシストさまを救わないといけないんだい?」

 旅の目的は話したが、ルベウスにはどうして真珠がそういった役割を担ってしまったのか語っていなかったことを思い出した。

「ぼくは、アメシストさまに喚ばれて……」
「喚ばれた?」

 ルベウスは訝しげな表情を浮かべた。

「どうしてぼくだったのか、アメシストさまから聞いていない。喚ばれて、この世界を救ってほしいと言われたんだ」
「世界を……救ってほしい?」

 真珠はうなずいた。
 ルベウスはしかめっ面をして、遠くを睨んでいる。

「アメシストさまと会話をしているということは、異変が起こる前……なんだよな?」
「そうだ」

 アメシストさまは……と呟き、ルベウスは顎に手を当ててなにか悩み始めた。

「アメシストさまは……こうなることを、知っていた?」

 それとも……とぶつぶつと独り言を口早に呟いている。

「アメシストさまは、本来の守護者であるシトリンさまに代わり、この世界をただ一人で支えている」
「シトリンさまは……?」
「さあ?」

 シトリンの行方は一般の人たちは知らないということなのか?

「アメシストさまになってから世界はますます豊かになり、過ごしやすくなったんだ」

 だから、先代の行方などどうでもよい?

「シトリンさまの話を出すのはなんとなく禁忌だという空気が流れているから、あまり口にする人がいないんだ」

 シトリンの話をしてはいけない?
 真珠はそこに違和感を覚えたが、ルベウスが話を続けたので聞けなくなってしまった。

「ともあれ、世界の礎であるアメシストさまに異変があること自体が、異常なんだ」

 アメシストはたった一人で世界を支えていた……ということになる。

「アメシストさまが倒れたら、それって……」
「そうだね。今回のようなことになる。もしかしたら、アメシストさまは身体の異変を感じていたのかもしれないね」

 真珠は思い出す。
 粉々に砕け散った巨大水晶の前に倒れていたアメシスト。目をきつく閉じて、苦しそうな表情をしていた。どこか悪くて、倒れた……?
 そうだったとしたら、その後のアレクの対応は最悪ではないだろうか。
 それとも、この世界では倒れた人を足蹴にするのが普通なのか?

「なあ、もしもぼくが今、ここで倒れたとする。地面に横たわって、動かない。そうしたら、どうする?」

 真珠の唐突で脈略のない質問にルベウスは不思議そうな表情を浮かべたが、答えてくれた。

「側に寄って、大丈夫かと声をかけて……そうだなあ、返事がなければ肩の辺りを叩いて意識があるか確認するな」
「足で蹴ったりは……?」
「しないね。……カッシーはそういうのが好みなのか?」

 ルベウスは口角を上げてにやにやしながら聞いてきた。真珠は慌てる。

「やっ、違うっ! 優しくしてもらう方がっ!」

 変な誤解を受けたのではないかと真珠は真っ赤になって否定する。それを見て、ますますルベウスは意地悪な笑みを真珠に向けてきた。

「いいんだよ、隠さなくても。たまにいるんだよな、強くしないと感じないっていう人が」
「だっ、だれがっ! しかも、なんの話だっ!」
「ん? なにか勘違いしているみたいだけど、気を失った人を起こす方法だよ? カッシーはなにを誤解したのかなあ」

 ルベウスは人の悪い笑みを浮かべて真珠を見ている。真珠は全身がカッと熱くなり、顔は今まで見たことがないほど、真っ赤になっている。

「かわいいなあ」

 くすくすと笑い、ルベウスはそんなことを呟いた。

「かわいくなんかっ……!」

 本来の会話を忘れて真珠は必死になって反論するのだが、ただ誤解を深くするだけだった。

「まあ、カッシーの好みはともかくとして」

 ルベウスは肩で笑いながら続ける。

「倒れている人を足蹴にするのは、敵対しているヤツにだけだ」
「……敵対?」

 真珠の反復に、ルベウスはうなずく。
 アメシストとアレクは、主従関係ではなかったのか? それとも、二人の間での取り決め……だったのか?
『わたくしが倒れたときは、足で蹴って起こしてください』
 とお願いしているアメシストを想像して、真珠は慌てて首を振って否定した。真面目そうなあの二人に限って、そんな馬鹿なことがあるわけない。
 敵対……していたのか?
 真珠が見ていた限りでは、そうも見えなかった。アメシストが主人で、アレクとマリが従者という図式が綺麗に出来上がっていた。そのあたりのことは、マリに聞いてみよう。
 それにしても、アレクのあの行動は、何度思い出しても納得がいかない。
 考えても答えが出ないのは分かっていたが、真珠は歩きながらずっと、そのことを悩み続けていた。







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