『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ08



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 次に起こされたのは、寝入ってからそれほど経たないうちだったと思われる。
 控えめに明かりを持ったマリの表情はかなり強ばっていて、真珠は一気に目が覚めた。先ほど来たとき、暗いと思っていたが、この明かりを見て、あれでもまだ明るかったことを知った。

「アレクの追っ手が、屋敷を囲んでいるようです」

 マリの言葉に、真珠もつられて表情が強ばった。

「幸いなことに、もう少ししたら使用人が資材の調達のために荷車でここを出るようなのです。後ろに乗せてもらって、出ましょう」

 真珠は寝台から降りて荷物を肩に担ぎ、マリと一緒に部屋の外へと出ると、モリオンが立って待っていた。

「急げ」

 と小声でせかされた。モリオンの案内により、真珠たちは使用人が寝泊まりしているという建物を通り、牧舎に行くと、すでにスアヴァーリに繋がれた荷車が用意されていた。
 真珠は馬車のようなものを想像していたため、荷車を見て、顔が引きつった。
 街道を行き来していたスアヴァーリが引っ張っていた物を思い出せば、たしかにこの形のものが多かったのは確かだ。
 大きな木箱状の物の左右に大ぶりな車輪が左右につけられただけのもの。
 モリオンは真珠とマリに緑色の布を手渡してきた。

「それを頭からかぶって、荷台に乗れ」

 真珠とマリは仕方がなく、モリオンの指示に従った。
 荷台の中を見ると、空っぽだった。今から資材を調達すると言っているのだから、空で当たり前なのだろう。
 真珠とマリは荷台に乗り込み、渡された布を頭からかぶった。
 それを確認したモリオンは、荷台の横に置いていた荷物を隙間に押し込み始めた。
 まさかなにかを乗せられると思っていなかった真珠とマリは驚き、布を取り去った。

「こら、出てくるな。いいか、今からオレがいいと言うまで、なにがあってもその中から出るなよ? 出てきたら、命の保証はないと思え」
「はっ、はひぃ」

 真珠とマリは慌てて、布をかぶり直した。
 モリオンと使用人はどんどんと荷台になにかを積んできている。
 真珠とマリが乗り込んだことで、本来、乗せるはずだった荷物が乗り切らないのか、遠慮なく二人の上に荷物が重ねられた。文句を言いたいが、すでに身動きが取れない状況だ。
 荷物を積み終わると、動き始めた。
 乗り心地は悪く、がたがたと揺れている。荷台部分も人間が乗るように作られていないせいで、すでにお尻が痛い。
 布にくるまっているため、息もしにくいし、暑いし、がたがたと揺れ、下から突き上げる感覚が気持ち悪い。
 真珠はそれに耐えるために、きつく目を閉じた。
 とにもかくにも、こんな最悪な状態が一刻も早く、過ぎ去りますようにと心の中で祈りながら。

 がらがら、がたがた。
 目を閉じている真珠には、荷台の車の部分が回る音と、地面を動く音。それに伴い、上下左右に容赦なく身体が揺れる。
 規則性があるならばまだしも、予期せぬ方向に突然、揺れる。地面も舗装されていないため、揺れまくる。
 荷物にぶつかる、隣のマリにぶつかる。
 マリにぶつかる度に謝りたいと思うのだが、口を開くと舌を噛みそうで、ぐっと口をきつく閉じる。
 早く降りたいと願っていたら、思ったよりも早く止まった。
 降りられるのかと思ったのだが、しかし。

「こんな時間から、どこに行く?」

 厳しい声に、真珠は身体をかたくした。隣のマリも息を飲んだのが分かった。
 モリオンがのんびりとした声で、受け答えをしている。

「今日は、納品日なんだ。納品先まで遠いから、いつもこれくらいから出ている」
「荷物は……その後ろの?」
「そうだ」
「多いな」
「今日は特別に多いんだ」

 どきどきが止まらない。喚きたくなる気持ちをおさえて、真珠は息をひそめる。

「荷物を確認する」

 真珠とマリは同時に、息を飲み込んだ。背中に、冷たいものが伝う。

「急いでいるんだ。勘弁してくれないか」

 心なしか、モリオンの口調にいらだちが含まれてきた。

「しっ、失礼しましたっ!」

 これで相手が引いてくれたらいいのにと思ったが、それはどうやら甘い考えだったようだ。解放されるかと思ったのに、別の人物がどうやら現れたようだ。少しざわめいている。

「ふん、アメシストさまのお兄さまだとか言って偉そうにしているけど、おまえなんて、アレクさまより地位が低いんだろう? なにを遠慮している。さっさと調べろ!」
「え、いや……その、しかし」
「オレの命令が聞けないっていうのか?」

 どうやら、追っ手側の責任者らしき人物がやってきたようだ。居丈高な口調と言葉に、数人がかりで荷物を調べ始めてしまったようだ。

「なあに、夜明けまでまだ時間がある。じっくりと見させてもらうぜ?」
「夜が明けたらまずいんだ! その荷物の中には……!」

 モリオンの焦っている様子を見て、責任者は周りをせかしている。

「あああ、『アレ』を見つけたら、おまえたちは……!」

 モリオンの恐怖に引きつったかのような声。
 『アレ』というのは、真珠とマリのことだろうか。見つかって困るのは、追っ手たちではなくモリオンのはずだ。それなのにそうではないような言い方に、真珠は引っかかりを覚えた。

「オレは……もう知らないぞ! おまえたちが『アレ』を朝日の下で見てしまったとしても!」

 荷台の側から人が遠ざかった気配がした。モリオンはどうやら、全力で荷台から離れていってしまったようだ。

「いっ、いいかっ! いいのかっ! 『アレ』がっ!」

 遠くからモリオンの声がする。
 それにしても、これほど取り乱す『アレ』というのはなんだろうか。

「たっ、隊長……。ほっ、本当に『アレ』が……ここにあったら」

 沈黙が落ちた。

「『アレ』は実在しないだろう?」

 声が震えている。

「で、でも……ばーちゃんが昔、見たことあるって」

 がさり……

「!」
「たっ、隊長! まずいっすよ!」

 がさがさがさっ

「たっ、隊長! 逃げましょう!」

 どこかでがさがさと荷物が動いている。『アレ』がやっぱりなにか分からないが、真珠は泣きたくなった。怖くて身体がすくんで動けない。

「うっ……。わっ、分かった! よしっ、荷物の検分はこれでいいとする!」

 そそくさと遠ざかっていく音がした。
 急に静かになり、恐怖感はますますあおられる。怖くなってモリオンの許可が出るまで出てきたらダメだと言われていたにもかかわらず、ここから飛び出して逃げ出したい、我慢出来ずにそうしようかと思って腰を浮かせたところで、だれかがまた、近づいてくる気配がした。
 拳を握りしめ、唇をかみしめることで耐えた。

「どうやら、作戦は成功したようだな」

 その声に、真珠の身体から力が抜けた。
 遠くに行っていたモリオンが戻ってきたようだ。

「よし、先を急ごう」

 その声と同時に、再び、荷台が動き始めた。
 やっぱりがたごとと不快だったが、先ほどの恐怖に比べれば幾分かはマシ、と思えるようになっていた。






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