『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ09



 整備されていなかった道を抜けると、快適とまではいかないが、かなりマシになったため、荷台はそれほど激しい動きをしなくなってきた。
 乗り心地がいいというわけではないが、あまりの緊張感から気が緩み、しかも寝不足も祟り、真珠はうとうとと眠り始めた。

 どれだけ経ったのか分からないが、荷台は急に止まった。
 ようやくゆっくりと眠れると思っていたら、かぶっていた布を思いっきりはがされ、外の新鮮な空気と明るさに真珠は驚いた。

「この荷台で眠れるなんて、相当な大物だな」

 含み笑いを浮かべているモリオンに、真珠はむっとしながら周りを見回した。
 モリオンの屋敷を抜ける頃よりは空は明るんできていたが、昨日と変わらず、変な色をしている。
 そしてここは、道の分岐点のようだった。立て札があり、なにか書かれていたが、予想通り、真珠には読めなかった。
 かぶっていた布の中が暑いくらいだったからか、外との温度差に身震いした。

「ここで別れるから、降りろ」

 真珠とマリは周りの荷物を落とさないように注意しながら立ち上がった。同じ体勢で動かないようにしていたため、身体が変に凝り固まっている。慎重に動き、ゆっくりと荷台から降りた。

「ありがとうございました」

 荷台をスアヴァーリとともに引っ張っていた人物にお礼を言うと、にやりと笑われた。
 真珠たちは荷車を見送ると、モリオンは荷物を担いで歩き始めた。
 真珠は歩きながら、気になっていたことを質問した。

「さっき、『アレ』って言っていたのは?」

 マリとモリオンは、追っ手たちが激しくおびえていた様子を思い出し、肩を揺らして笑い出した。

「マリ、なかなかいい演出だったな」
「いえ。まさかあんなに効くとは思わず」

 二人は顔を合わせて、もう一度思い出して笑っている。分からない真珠は一人、面白くない。
 その気配を察したマリが、目尻に浮かんだ涙をぬぐいながら、真珠に説明をしてくれた。

「『アレ』というのは、カドラドラカという伝説の生き物なんです」
「カ……カドラドラカ?」

 舌を噛みそうなその名前に、真珠は眉間にしわを寄せる。

「色は黒っぽい茶色で羽を持っていて、普段は人差し指くらいの長さなんですが、太陽を浴びると巨大化して、大暴れするという生き物です。朝日を浴びるととんでもない大きさになると言われています」

 そう言われて、真珠が最初に思い出したのは、あの忌まわしきゴから始まる生き物だった。
 思わず、想像してしまう。
 ゴがつく生き物が太陽の光を浴びた途端、巨大化して大暴れする。そのままの大きさでも存在するだけで凶暴なのに、大きくなるとは、なんという悲劇……!

「カドラドラカは羽があるため、空を飛べます。しかも、死を象徴しているため、忌み嫌われているのです」

 空を飛ぶ、というのは共通だ。アレが空を飛ぶと、地球上、いや、宇宙最強だと真珠は思っている。

「それって……本当に、存在しないの?」

 怖くて、真珠の声は思わず震える。
 その声を聞き、マリは少し優しい声音で説明をしてくれた。

「存在しているかのようなもっともらしい逸話はいくつかありますが、そんなもの、見たこともありませんし、太陽の光を浴びて巨大化する生き物なん聞いたことありません。伝説です」

 マリがきっぱりと言い切ってくれたので、真珠は安心した。
 それにしても、実在しない生き物に対して、どうしてあそこまでおびえるのだろうか。

「カドラドラカはラーツィ・マギエの使いとも言われていますから」

 久しぶりに聞いた、ラーツィ・マギエという単語に、真珠は反応した。

「ずっと気になっていたんだけど、そのラーツィ・マギエってなに?」

 前にも聞いたような気がしたが、結局、説明をされないままあやふやに終わってしまったような気がする。

「ジャーザナの神話は知っていますか?」
「ジャーザナ……?」

 マリたちにとって常識であっても、真珠にとっては見るもの聞くもの、すべてが初めてのことだ。生まれたばかりの赤ん坊と同じくらいの常識しかないと言っても過言ではない。
 前に精霊ファナーヒに教えてもらったような気がしたが、前提が分からないととんでもない勘違いをしてしまいそうだと気がつき、真珠は質問した。

「ジャーザナというのは、この世界のことです」

 ジャーザナというのは、真珠が本来いる世界でいえば地球と言っているのと変わりないのだろう。
 真珠はもちろん、この世界の神話は知らない。だから首を振った。

「この世に、最初に生まれたのは、ハザヴァーナアイジナだったのです」

 マリはこの世界の創世物語を語り始めた。

「二つは最初、いがみ合っていました。しかし、やがて惹かれあい──そして、交わったのです」

 まるで、高天原の神々が天地開闢(てんちかいびゃく)で日本を作っていった神話のようではないか。

「そこから、様々なものが生まれたと言われます。光の一番まばゆいところから輝く石が生まれて、それがダイアンとディーナという名の二対の神になりました」

 光の中から生まれた二対の神。

「創造のどさくさの中、闇の一番昏いところからも、こっそりと悪が生まれました。それをわたしたちは、ラーツィ・マギエと呼んでいます」

 真珠はふと、疑問に思ったことを口にした。

「今の話って、この世界の神話なんでしょう? ラーツィ・マギエって実在するの?」

 先ほどのカドラドラカではないが、伝説の生き物なのではないだろうか。

「いいえ。ダイアンとディーナも目には見えませんが、います。だから、わたしたちがこの世に生まれて来られたのです。ですから、ラーツィ・マギエも……」

 それまで黙っていたモリオンが、補足するように口を開いた。

ハザヴァーナアイジナはこの世界に様々な物を生み出したとき、自分たちの関係のようにお互いを補えるように、男と女という二対で一つとして生み出した。だが、ラーツィ・マギエだけは勝手に生まれたので、ヤツだけ一対だ。それ故に、存在しない片翼を求めて、この世をさまよっているという」

 それを聞いて、真珠はなんだか切ない気持ちを抱いた。胸の奥がぎゅっと締め付けられる。

「なんだか、かわいそう……」

 真珠のつぶやきに、マリとモリオンは驚いた表情を向けてきた。

「だって……存在しないものをずっと求めているんでしょ?」
「そうだけど、ラーツィ・マギエに同情する必要なんてないわよ」

 マリは真珠がラーツィ・マギエに同情したことに憤慨したように鼻を鳴らし、続けた。

「ラーツィ・マギエのせいで、この世界は混沌に包まれたの。あいつが動くことで、争いが起き、世界は闇に包まれる」

 マリが空を見上げたため、真珠もつられて見る。
 モリオンの屋敷を出発した頃よりは明るくなっているが、やはり空は変な色だ。

「アメシストさまはおっしゃっていました。──ラーツィ・マギエが動き出した、と」
「じゃあ、これは……」
「たぶん、そうだと思います」

 神話として語られたラーツィ・マギエだが、それは未だに存在しているという。
 そして、今のこの現象がラーツィ・マギエに繋がっていると言われると、神話が真実ということを身をもって知り、真珠は知らずに背筋を伸ばしていた。

「とにかく! わたしたちはアメシストさまを救い出さないと、この世界はめちゃくちゃになってしまいます」

 決意するように、マリは拳を握りしめた。

「アメシストは……一体、どうなっているんだ」

 マリの決意にかぶせるように、モリオンが聞いてきた。
 モリオンはどうやら、アメシストがどうなっているのか、知らないようだ。

「アメシストさまは……その」

 マリが辛そうに瞳を伏せたので、真珠が代わりに説明をする。

「ぼくが見たのは、アレクがアメシストさまの『核』を傷つけて、巨大な紫色の水晶に包まれたところだった」
「アレクがアメシストの『核』を傷つけた……だと?」

 真珠のうなずきに、モリオンは大きく首を振った。

「あり得ない。アメシストはこの国で一番の力の持ち主だ。アレクごときに『核』を傷つけられるわけがない」
「ぼくだって、そう信じたいよ!」

 真珠は思い出していた。アレクが剣を振り下ろし、アメシストの額を打ち付けていたことを。

「なんだかすごく耳障りな不快な音がして……ピキッと音がして、地面から透き通った紫色の柱が何本も立ち上がったんだ」

 真珠の説明に、モリオンは腕を組んでうなった。

「たぶんだが、それはアメシストが身の危険を感じて、無意識のうちに水晶で身体を守ったのだろう。『核』には傷は入ってない。大丈夫だ、心配するな」

 モリオンのその言葉に、真珠はほっとした。それが例え気休めの言葉だったとしても、希望は残っている。

「どちらにしても、楽園パラディッサに向かおう」

 モリオンの言葉に、真珠とマリの二人はうなずいた。






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