『月をナイフに』


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《二》旅立つのも困難なのですっ07



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 一日かけて、街で楽園パラディッサの聞き込みを行ったが、予想通り、大した情報を得ることが出来なかった。
 空は相変わらず変な雲らしきものが太陽を覆い隠し、時間が経つにつれ、街を往く人々の上に重くのしかかってきていた。そのせいか、街を流れる空気は重苦しく、些細なことで言い合いが増えているような雰囲気だ。
 なんとなくそんな空気に萎縮して情報収集が滞り始めた頃、モリオンが今日の活動を終わらせることを提案した。
 モリオンが普段、寝起きしている場所は街の外れにあるというので、そこに行くこととなった。慣れない場所で、慣れないこと続きで疲れ切っていた真珠は素直に従った。
 モリオンに連れてこられたのは、街外れの石造りの屋敷だった。頑丈な造りで、しかも思っているより大きい。正面玄関から入ると、この屋敷の使用人たちに出迎えられ、真珠とマリは恐縮してしまった。
 真珠とマリは、奥の隣同士の部屋に通された。
 部屋の中は、寝心地の良さそうな寝台と、机と椅子だけの至って簡素な造りだ。見知らぬ場所とはいえ、独りきりになったことで真珠はホッとして、寝台に腰をかけたところまで記憶がある。

 次の記憶は、マリに激しく揺さぶられたところだった。ぼんやりと目を開けると、安堵した表情のマリがいて、何事かと悩む。

「うめき声が聞こえたから、焦りました。大丈夫ですか?」

 言われてみれば、なにか夢を見ていたような気がしないでもない。しかし、内容はまったく覚えておらず、まだ眠いという感覚だけが真珠を包み込んでいるだけだ。部屋の中を見回すと、すっかり暗くなっているようだ。

「なにか飲みますか?」

 聞かれ、うなずくと、筒状の物を手渡された。
 蓋を取って鼻を近づけたが、匂いはない。口に含むと、ほんのりと甘みを感じた。二・三口ほど飲んでひと息つくと、ずいぶんと喉が渇いていたことに気がつき、残りは一気に飲み干した。喉の渇きが癒えると、今度はお腹がぐぅと鳴り、真珠は慌てた。
 マリはくすりと笑うと、寝台の脇に置かれた机の上に用意していた食べ物を真珠に渡してきた。
 明かりがないためよく見えないが、野菜の煮物のようなもの、汁物、黒っぽい塊はパンのようだ。
 真珠は塊を手に取り、千切って汁に付け、口に含んだ。じんわりと優しい味が口の中に広がる。汁が温かいため、ホッとする。次に煮物を食べようとして、箸もフォークもないことに気がつき、マリに聞いた。

「これ、どうやって食べるの?」
「どうと言われましても、手で食べますけど?」

 どうやら、手掴みが基本のようだ。手で直接掴んで食べることに抵抗を感じて、真珠はパンを千切り、煮物を挟んだ。そうやって食べるとサンドイッチのようになり、思ったよりも美味しい。入れ物に引っ付いた野菜もパンできれいに浚い、すべて腹におさめ、真珠は人心地ついた。

「ごちそうさま」

 少し量が少ないとは思ったが、時間も遅いようだし、お代わりをしてもいいのか分からないので、食事は終わりにした。
 食べ終わった真珠を見て、マリは空いた食器を受け取り、立ち上がった。

「モリオンさまが明日、少し早めに出ましょうとおっしゃっています」

 マリは部屋の扉の前に立ち、明日の予定を口にした。もちろん、真珠としては出発することは反対ではないが、当てがあるのだろうか。

楽園パラディッサの場所は……?」

 真珠の質問に、マリは困ったような笑みを浮かべたようだった。

「モリオンさまが文献を調べてくださったようでして、南にあるアラレヒベを目指してみようという話になりました」
「アラレヒベ?」

 たまに挟まる、聞いたことのない単語。とそこで、真珠は一つ、気がついた。懐に収めていた宝石図鑑を取り出し、マリに適当に開いた頁を見せた。

「……なんですか?」
「これ、読める?」

 マリの持っている空の食器と図鑑を交換する。マリは不思議そうに本を手に取り、中を見ているが、眉間にしわが寄っている。ぱらぱらとめくり、首を振ると、真珠に突き返してきた。

「さっぱり分かりません」

 マリの発する言葉も注意深く聞くと、日本語ではない。今の今までまったく違和感なく受け入れていたが、マリの喋っている言葉は、明らかに日本語ではない。まだこの国の文字は目にしてないが、きっと真珠が見たことのない形をしているのだろう。
 地球でも国が違えば文字も喋る言葉も違うのだ。ここはましてや、地球ではない違う世界だ。言葉も違うに決まっている。
 しかし、真珠は最初からこの世界の言葉を理解していた。たまに分からない単語があるものの、日常会話は不便することなく今まで来た。
 学校で習う英語はあんなにも苦労しているというのに、この世界の言葉は苦労せずに話せるとは、こちらに喚ばれたときになにかしらの力が作用した結果なのだろうか。
 どちらにしても、言葉が分からないことには意志の疎通がはかれない。
 それ以外にも、不思議なことはたくさんある。
 精霊ファナーヒが見えたり、意思の疎通を行うことが出来るようになっている。
 しかも、泣けば涙が真珠(パール)になるし、さらにはマリの話によると、真珠の身体からなにやら不思議な玉が飛び出し、弾けたという。それはモリオンになにやら影響を与えたとみていいだろう。
 真珠がこの世界で生きていくために必要な能力を、こちらに来たときに与えられた……ということなのだろうか。
 それはアメシストなのか、はたまた違う人物なのか。
 分からないことだらけで、むしろ、分かっていることは、アレクにやってもいない罪を着せられて追われていることくらいだ。
 考えてそこで止まってしまうことは、今の真珠にとってすなわち、死を意味する。疑問に思うことは多いが、とにかく、今は前に進むことだけを考えなくてはならないらしい。
 ここでどうしてと喚いたところで、状況が良くなるとは思えない。
 真珠は自分にそう言い聞かせた。

「もう少し、寝ていてください。この先、こんなにゆっくり身体を休められないと思いますから」

 マリはそれだけ告げると、部屋から出て行った。
 真珠はマリに言われた通り、もう一寝入りすることにした。お腹に食べ物が入ったことで、眠くなってきた。
 真珠は寝台に横になり、目を閉じた。
 眠りはすぐに訪れた。











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